フライング単発 甲子夜話卷二十 29 壬午年白氣の事幷圖 / 甲子夜話卷二十 37 壬午の秋夜、赤氣の圖
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために後者が必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。別にある二篇をカップリングして採ったのは、同様の空中の光学的変異をほぼ近日で、二回、静山が見、同じ巻に記してあり、それぞれにモノクロームの静山の図が載るからで、記事の連関性が甚だ強いからである。図は底本の東洋文庫からOCRで読み取り、補正を加えて添えておいた。キャプションは殆んど視認出来るので電子化はせず、やや見え難い一部を注で記した。]
20―29 壬午年(みずづのえうまどし)白氣(はくき)の事幷(ならびに)圖
壬午九月十四日未の刻に、白氣、天に亙(わた)れり。予及(および)侍人(じじん)、皆、視たり。尋(つい)で、消盡せり。
夜に至(いたり)て、又、見ゆ。酉の刻に過(すぎ)て、これも亦、消(け)す。
共に其圖を作る。
予、因(よつ)て、或る識者に問ふ。答に曰(いはく)。
「雲氣、心づかず。久旱(きうかん)、淫霖(いんりん)、大風(たいふう)などは孰(いづ)れか兆朕(てうちん)ある者なり。其餘は何事も無きものに侯。」
則(すなはち)、これを記(しるす)とす。
■やぶちゃんの呟き
図は上が最初に発生した「晝」間に発生した「白氣」の図で、下が「夜」発生したそれである。「夜」の方の「丑寅」(正しく北東)から南及び「未申」(南西)にかけて走る二本の線の右から二番目と、最も左にある文字が判読し難い。頭の二字は「氣光」で決まりだが、最後は推定で「線」ととっておく。因みに、「白氣」は、箒星・彗星の類いの出現を指す語である。
「壬午九月十四日」文政五年、静山満六十二歳の秋である。グレゴリオ暦一八二二年十月二十八日。
「未の刻」午後二時前後各一時間。
「酉の刻」午後六時前後各一時間。
「雲氣、心づかず」「雲気という現象は、決定的な前兆現象とするには当たらぬものと思う。」の意か。
「久旱」長く続く深刻な旱魃(かんばつ)。
「淫霖」長期間に降り続く異常な長雨。
「大風」強力な颱風(たいふう)。
「兆朕」(現代仮名遣「ちょうちん」)は何らかの起こる兆(きざ)しの意。
20―37 壬午の秋夜、赤氣の圖
又、廿二日、宵間(よひのま)のことと云(いふ)。
時に、天色、陰冥、黑雲、多し。
赤氣あり、南方より出(いで)て、東方に至る。其氣、始めは、高からずして、次第に高くなり、終(つひ)に黑雲に入る。
其狀、縱五尺餘ばかり、橫六尺餘、終(をは)りに至(いたり)ては、漸々(やうやう)、大きく見えて、橫は、一丈にも、こえたり。
その行くこと、蝶飛(てふひ)のごとく、輕くして、疾(はや)からず。或(あるひ)は、弘(ひろ)く、また、縮まり、明(あきらか)にて、亦、朧(おぼろ)なり。
その光火(かうくわ)は、映ずる如し。
人、視ること、一時に足らず、東天、黑雲の中(うち)に在(あり)て消滅す、と云ふ。
いかなる氣にや。別に圖を作る。
■やぶちゃんの呟き
上が「始」(はじめ)「見ル所」の図。下の図は「終」(をはり)「ニ見ル所」の図。後者のやや見え難い右下方の「此所雲隱」のさらに濃い色に被さってある下方のそれは、「黑雲」「堤ノ如シ」であると思う。なお、「赤氣」は〙 夜或いは夕方、空に現われる赤色の雲気を指し、何らかの光の反射などで生ずるもの。別に彗星、或いは、太陽活動と地磁気の変動が作用して生じたオーロラ現象(実際に発生しており、複数の記録が残っている。サイト「国立極地研究所」の『日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述』を見られたい)と考えられる。
「壬午の秋夜」「又」「廿二日」「又」は言うまでもなく、「3―29」の「白氣」があったからであり、そうすると、これは、「白氣」現象の発生した「壬午九月十四日」(文政五年/グレゴリオ暦一八二二年十月二十八日)から、僅か八日後の文政五年九月二十二日(グレゴリオ暦一八二二年十一月五日)に「赤氣」が発生したことになる。これは偶然ではないように思われる。因みに、それかどうかは、判らないが(日本で普通に視認出来る光学現象が起こったかどうかは判らないということ)、この一八二二年には、かのハレー彗星に次いで周期彗星と断定された「エンケ彗星」(Comet Encke)が、一八二二年六月二日、はシドニー天文台』で『観測』が行われている、と当該ウィキにあった。
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