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2023/11/28

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「喇叭」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Rappa

 

     喇  叭

 

 

 ルビツク氏は、今朝、巴里から歸つて來たところである。鞄をあける。お土產が出る。兄貴のフエリツクスと姉のエルネステイヌへの素敵なお土產だ。それも丁度――なんといふ不思議なことだらう――彼等が一と晚中夢に見たといふものばかりだ。それからあとで、ルピツク氏は、兩手を後ろへまわし、にんじんの方を揶揄ふやうに見て云ふ――[やぶちゃん注:「揶揄ふ」「からかふ」。]

 「今度はお前だ、なにが一番欲しい。喇叭か、それともピストルか?」

 事實、にんじんは、それほど向う見ずではないのである。寧ろ、用心深い方である。そこで、彼は、どつちかといふと喇叭の方がいゝ。手に持つてゐて飛び出す心配がない。しかし、普段聞くところによると、自分くらゐの男の子は、飛び道具か劒か、戰爭で使ふ道具でなければ、遊んだつて本氣になれないらしい。年から云つても、火藥の臭いを嗅ぎ、物といふ物を粉碎したい年になつてゐるのだ。おやぢは子供を識つてゐる。誂(あつら)へ向きのものを持つて來てくれたに違ひない。

 「僕あ、ピストルの方がいゝや」

と、彼は、大膽に云つた。てつきり圖星を指したつもりなのだ。

 それだけならいゝが、彼は少し調子に乘り過ぎた。そして、かう附け加へた――

 「匿したつてだめだよ。ちやんと見えてるんだもの」

 「へえ、さうか」と、ルピツク氏は、當惑して云つた――「お前はピストルの方がいゝのか。ぢや、また變つたんだね」

 にんじんは、たちどころに、應へた。

 「うゝん、さうぢやないよ、ふざけて云つてみたんだよ。心配しないだつていゝよ。僕あ、大嫌ひだ、ピストルなんか。さ、早く、喇叭をおくれよ。吹いてみせるからさ。僕、喇叭を吹くの大好きさ」

 

ルピツク夫人――「そんなら、どうして噓を吐くんだい。お父さんを困らせようと思つてだらう。喇叭が好きなら、ピストルが好きだなんて云ふもんぢやない。おまけに、なんにも見えないくせに、ピストルが見えてるなんて云ふもんぢやない。だから、その罰に、ピストルも喇叭も、お前にはあげないよ。よくこれを見とくといゝ。赤い總と、金の緣飾のある旗がついてる。よく見たね。ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。さつさと走つて! 指で口笛を吹いてるがいゝ」[やぶちゃん注:「吐く」「つく」。戦後版で、そう、ルビする。「緣飾」「ふちかざり」。]

 

 戶棚のてつぺんの、白い下着類を重ねた上で、三つの赤い總と、金の緣飾のある旗にくるまつて、にんじんの喇叭、手も屆かず、見えもせず、音も立てず、最後の審判のそれのやうに、誰かに吹かれるのを待つてゐる。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。」原作は“Maintenant, va voir à la cuisine si j'y suis ;”となつてゐる。これは、逐語訳するなら、「私が、そこにいるなら、キッチンを見に行って御覧な、」であるが、まず、これは如何にもな言わずもがなの酷い嫌味であって、『私とは違つた、おぞましいお前を甘やかしてくれるような、もう一人の別な母さんが、いるかどうか、さっさと、探しに行っといで!』という意味であろう。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中學生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では、この部分、同様に、『じや、もういいから、台所へ行って、あたしがそこにいるかどうか、見ておいで、早くお行き。』と訳されておられるが、一九九五年臨川書店刊『全集』第三巻の佃裕文訳では、全くあっさりと、『さあ、どこなとお行き。とっととお行きよ、』と訳しておられる。ここはしかし、子どもに読ませることを考えるなら、私のような意訳の方が躓かないと思うのだが? 如何か?

「最後の審判のそれ」「新約聖書」の「ヨハネの黙示録」の第八章から第十一章にかけて、神の御使い達が吹くラッパ。小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、最後の七つ目の封印が解かれた時に吹かれ、その度に様々なカタストロフ(災い)が起こる(例えば、第三のラツパが吹き鳴らされると、空から「苦よもぎ」という名の星が落下し、地上の川と、水源の上に落ちた。水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったため、多くの人が死んだ、とある。因みに、ウクライナ語で、キク科ヨモギ属のニガヨモギArtemisia absinthiumの近縁種オウシュウヨモギArtemisia vulgarisを「チョルノービリ」(“Чорно́биль”で、「茎の暗い色」を指す語。ロシア語では“Чернобыль”で、「チェルノブイリ」但し、現在の聖書研究では、これは、同属アルテミシア・ジュダイカ Artemisia Judaica とする説が有力)と言う。続く、善と悪の世界最終戦争たる「ハルマゲドン」の後、キリストが再臨し、あらゆる死者を蘇らせて、「最後の審判」が行われる。そこでは永遠の生命を与えられる者と、地獄へ墜ちる者とが、分けられるとするのである。チェルノブイリ原子力発電所事故では、ドニプロ(ドニエプル)川・ドニステール(ドニエストル)川、そして黒海が汚染された。私は無神論者であるが、この符合はぞっとする。而して、私は――誰が、ではなく、「人類」総てが「地獄に堕ちる者」と認識している――人種である。

 

 

 

 

    Le Trompette

 
   Lepic arrive de Paris ce matin même. Il ouvre sa malle. Des cadeaux en sortent pour grand frère Félix et soeur Ernestine, de beaux cadeaux, dont précisément (comme c’est drôle !) ils ont rêvé toute la nuit. Ensuite M. Lepic, les mains derrière son dos, regarde malignement Poil de Carotte et lui dit :

   Et toi, qu’est-ce que tu aimes le mieux : une trompette ou un pistolet ?

   En vérité, Poil de Carotte est plutôt prudent que téméraire. Il préférerait une trompette, parce que ça ne part pas dans les mains ; mais il a toujours entendu dire qu’un garçon de sa taille ne peut jouer sérieusement qu’avec des armes, des sabres, des engins de guerre. L’âge lui est venu de renifler de la poudre et d’exterminer des choses. Son père connaît les enfants : il a apporté ce qu’il faut.

   J’aime mieux un pistolet, dit-il hardiment, sûr de deviner.

   Il va même un peu loin et ajoute :

   Ce n’est plus la peine de le cacher ; je le vois !

   Ah ! dit monsieur Lepic embarrassé, tu aimes mieux un pistolet ! tu as donc bien changé ?

   Tout de suite Poil de Carotte se reprend :

   Mais non, va, mon papa, c’était pour rire. Sois tranquille, je les déteste, les pistolets. Donne-moi vite ma trompette, que je te montre comme ça m’amuse de souffler dedans.

 

     MADAME LEPIC

   Alors pourquoi mens-tu ? pour faire de la peine à ton père, n’est-ce pas ? Quand on aime les trompettes, on ne dit pas qu’on aime les pistolets, et surtout on ne dit pas qu’on voit des pistolets, quand on ne voit rien. Aussi, pour t’apprendre, tu n’auras ni pistolet ni trompette. Regarde-la bien : elle a trois pompons rouges et un drapeau à franges d’or. Tu l’as assez regardée. Maintenant, va voir à la cuisine si j’y suis ; déguerpis, trotte et flûte dans tes doigts.

   Tout en haut de l’armoire, sur une pile de linge blanc, roulée dans ses trois pompons rouges et son drapeau à franges d’or, la trompette de Poil de Carotte attend qui souffle, imprenable, invisible, muette, comme celle du jugement dernier.

 

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