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2023/11/05

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「止宿の危難」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 止宿の危難【ししゅくのきなん】 〔耳嚢巻四〕駿河の国に呉服商売しける、鯛や源助といへる有徳の町人ありしが、雪中庵蓼太が門人にて、風雅の道に執心し、頃は秋の中ばに、鳳来寺のあたりを尋ねんと、一僕はさはる事ありて先へ帰し、一人にてこゝかしこ、しらぬ山路をも路み分けしに、折ふしの急雨にて、立よるべき雨やどりの影もなく、漸《やうや》くにとある人家へよりて、雨具をとゝのへんとせしに、売るべき雨具ももたず、気の毒にはあれど、いたしかたなし、旅のそらさこそ難儀なるべし、これより一二町先に、長屋門の家あり、これに立よりて雨具など乞はゞ施し申すべしと、壱人かたはらにて語りけるゆゑ、幸ひの事と思ひ、壱弐町袖かさに雨を凌いで、かの長屋門へ立より、雨具を乞ひしかば、安き事なりとて、雨具を持出しが、内より五十にあまる男出で、これより先き山道にて、殊に日夕陽なれば、難儀し給はん事なれば、こよひは此処に泊り給へといひければ、幸ひの事と思ひ、一宿なしけるが、外より見しとは格別に違ひ、ゆたかに暮したる様子にて、膳部など、かたのごとく奇麗にて、夜もすがら百韻など主ともども口ずさみて、翌日も朝より降りしきり、深切にとゞめけるゆゑ、その心に随ひ足を留めけるに、一間隔てたる放れ座敷にて、琴の調べなど気高く聞えけるゆゑ、かよひする女子に尋ねければ、あれはこの宿の隠居にて、琴は娘なる人の弾けるよし、かたるも奥ゆかし。夜に入て人なき折から、五十ばかりの老いたる局らしき老女出で、四方山の咄しの上、此あるじ娘ばかりにて男子なし、兼ねて聟を求め給ふが、御身の様子、娘とも相応にて、此処にくらし給はんは、行末安き事なりと進めければ、源助も心に思ひけるは、駿河の身上《しんしやう》は弟へ譲り、此所に住居《すまひ》せんは、商売の道に心を苦しめんよりは、増しやせんと思へば、我らは駿河にて呉服商ひせる者なるが、帰りて親其外親類へも相談して、追《おつ》てその趣意に随はんと、翌(あく)れば暇《いとま》を告げて立出でしに、帰りには必ず立より給へと、厚くもてなしける故、立分れ、山路を多葉粉のみながら通りしに、右道筋にて、村名はわすれたり。孝行奇特の儀、公儀より御褒ありし、善七といへるものの居《をる》村を通り、門先《かどさき》に多葉粉呑み居り候ものへ、火を乞ひければ、かしがたきよしを断る。善七家並の家に至り、火を乞ひければ、もえさしを表へ投出して与へける故、その訳を尋ねしに、訳あればこそとて取合はず。かの善七右の様子を見て、年若なる人いたはしき事なり、全く欺かれしものならん、訳をいひて聞かせよといへども、外々《ほかほか》の者どもも、不便(ふびん)にはあれども、訳をいひても仕方なしとて、皆々立去りぬ。その跡にて、いかやうの訳あるやと、右善七に歎き尋ねければ、御身一両夜止宿し給ふ処は、この辺の火の穢れたる人なれば、最早御身の宿せんものもなく、痛はしさに語り申すなりと聞きて大いに驚き、この難は如何して免れんと歎きければ、いたはしき事ながら、彼は素人を聟などにとるを外分にもいたし、最早口々へも目附を付けて、御身のこの山路を出で候を伺ふならんと語りければ、弥〻《いよいよ》身の上の難儀を悲しみ、涙をながして頼みければ、しからば某《それがし》老母ありて、日毎に里の薬師へ参詣する間、これも仏の知遇なれば、かの老母に形を似せ給へと、しかじかの衣類などを上へ著せて、壱人の僕《しもべ》に負はせ、面《おもて》をも飽くまで包みて、翌朝里へ送りしが、必ず道すがら声ばし立てそと、深く誡めけるが、実(げに)や途中にて若きものなど五六人立集り、いかに昨日の旅人はいづ方へ行きしや、不思議に見えざる由を、咄し合ふ声を聞きても、犬狼の吠る声かと怖ろしく思ひ、漸く里へ出で、我宿へ帰りて厚くかの善七かたへも礼をなしけるとなり。<『譚海巻七』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之七 俳諧師某備中穢多の所に止宿せし事(フライング公開)」を作成しておいた。なお、本篇は、宵曲の言う通り。同内容のものが、「耳囊 卷之四 鯛屋源介危難の事」としてある。]

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