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2023/11/26

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竜の雲」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竜の雲【たつのくも】 〔一宵話巻二〕寛政八年[やぶちゃん注:一七九六年。]の事かとよ。常陸の国鹿嶋の浦<茨城県鹿島市辺の海岸>へ鯨よりければ、その辺三ケ村の百姓、天のあたへと喜び、それ船出《いだ》せといふやいな、男子とある分は、十五六より五十ばかりまで、船四艘におつとり[やぶちゃん注:落ち着いているさま。]のり、我おとらじとこぎ出す。折節海面に、黒雲一むれ見えしかば、老人、あの雲はゆだんがならぬぞ、風変りが計られぬぞ、しばし様子見合せよと制すれども、耳に少しも聞入れねば、かゝる時は飯の用心するものぢや、それやれと飯櫃《めしびつ》抱《いだ》て走り来て、岸より船へなげやりぬ。やがて。一里も出《いで》し時、はや手《て》[やぶちゃん注:「疾風(はやて)」。]どうと吹きおちて、彼《か》の黒雲はびこりわたり、海一面真黒《まくろ》になる。岸の者どもこれをみて、ハアハアヤレヤレといへども、すべき様なし。しばしありて風なぎ雲晴れても、船は竜《たつ》の雲の中へ巻上げしやらん、一艘も見えず。日数《ひかず》経てもおとづれなし。惣じてくツきやうの者五十四人ばかり、一時にさつぱりなくなりたり。この時、正明《まさあき》が書中に、足弱《あしよわ》ばかり残りしから、田地の耕作も出来ず、強盗は白昼にも押し入る。また江戸の中都(《なか》いち)と云ふ座頭が妻は、其所の者にて、兄弟従弟四人、一度になくせしをなげくよしを載せ、またその後、水戸の咸章主人《かんしやうしゆじん》よりは、雲に巻かれしものどもの、名も年も詳《つぶら》にしるして、年月ふれども竿一本だに帰らずとさへ申しこして、おのれみな記し置きぬ。或時、この事をいひ出《いで》て、かゝる時には、急に人々髪の毛をきり、烟《けむり》にたき立れば、雲を払ふものゝよし語れば、一人の医師、剃立(そりたて)の円頂《まるあたま》をなで廻し、我等が如きものはいかゞせんといふ。それこそ貴公持まヘの長き鼻毛をやき給へと戯れたり。これは戯れなり。洋中(わだなか[やぶちゃん注:後に示す活字本では「洋」にのみ『ワタ』と振る。])の船の様を聞くに、鳥の羽を多く貯ふるよしなり。これ急なるとき烟にたかん料《れう》なりとぞ。一年、江戸の栖原《すはら》や某《なにがし》が舟、かゝる難に逢ひし時、船中にあるとある刃物をぬき、船のへさき、船のへさきへ高くさし上げたりと云ふ。これもよろしきか。鳥の羽の事は書にも出たれば、用意ありたきものなり。

[やぶちゃん注:「一宵話」秦鼎(はたかなえ 宝暦一一(一七六一)年~天保二(一八三一)年:江戸後期の漢学者。美濃出身で尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍したが、驕慢で失脚したという)の三巻三冊から成る随筆。以上は同書の「卷之二」の「龍 の 雲」の中の本文で、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで視認出来る。実は、後に宵曲がカットした作者のかなり長い補注考証(但し、内容は高山に登って『風雨雲霧の変(ヘン)に逢ふ』という類似現象に基づくもの)があるが、カットされているので、見られたい。私は電子化する気はない。だいたい、大勢の死を齎した怪事の最後にお笑い(「剃立の圓頭をなで𢌞し」云々)を記す輩は、怪奇談を語る資格はない、厭な奴だとしか考えない私だからである。

「正明」不詳。

「水戸の咸章主人」岩田健文(けんぶん 宝暦一二(一七六二)年~文化一一(一八一四)年)は常陸水戸の薬種商人。幼い時に目を患い、後に失明した。立原翠軒に琴と法帖(ほうじょう:書の手本とすべき古人の筆跡を、石・木に刻して拓本に採り、折り本に仕立てたもの。広義には真跡・模写・碑文拓本などを、折り本にしたものも含む。墨帖。墨本)の模刻法を学び、墨本を数十種作っている。号は咸章堂。]

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