柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大蛇に吞まれた人」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
大蛇に吞まれた人【だいじゃにのまれたひと】 〔醍醐随筆上〕近江国甲賀《こうか》<滋賀県甲賀市>あたりの在家とかや、わらはべとも多くともなひ、深林に入りて雀の子をとらへぬるに、大木の上より大蛇下りて、十二三ばかりなるわらべをのみてけり。残りの童子にげはしりて、家にかへりてこの事を語るに、のまれたる童の父、きくとひとしく行きてみれば、大蛇頭《かしら》をさげて谷の水を飲み居たる。かの父飛びかゝり、刀を以て二つにきりぬ。きられて口をひらきて童を吐出す。つく息につれて一丈ばかり前へとび出たり。されども父つゞいて蛇をきりころす。その長三丈にあまり、ふとさは抱くばかりなり。さて飛出たる童は死せる如くなれども、呼吸はとまらず。家にともなひ帰りて、修養して安全なれども、頭潰れてゆがみくぼむ。髪ことごとくぬけてふたゝび生ぜず。この人七十有余の時、みづから語りぬるとたしかに伝へけらし。また京の人広沢へ月みんとて出たるに、くもりて月みえず。水の上に雞卵《けいらん》ほどのひかり物二つあらはれたり。人々いぶかしくながめ居るに、一人衣をぬぎて水に入り、これをみんと行きむかひければ、大蛇眼をいからしにらみ居たるなりけり。たちかへらんとせしに、蛇のび出《いで》てこの男の肩に頭をうちかけぬ。男とらへて曳きぬれば、蛇頭をしゞめてしさる。男かへらんとすればまた頭をうちかく。又ひけば又しゞむ。かやうに三四度しけるが、後は頭をさゞりけり。男まぬかれてかへりぬ。五躰つゝがなしやととへば、少しもくるしむところなしと答ふ。さて家にかへりてやすみぬる中《うち》に、かの頭をうちかけたる肩次第にいたみ出て、くすりやうのものかずかずつけぬれどもやまず。二二日過ぎてくさり、骨に入て終に死けるとぞ。毒蛇にやありけん。
[やぶちゃん注:「吞」はママ。「呑」の正字で、「康熙字典」に載るが、現在、本邦では、この字体を多用するのは恐らく正規表現を旨とする私ぐらいなもので、まず、見かけない。私はこの字を正統な「呑」の正字と考えている。
「醍醐随筆」は大和国の医師・儒者中山三柳の随筆。初版は寛文一〇(一六七〇)年(徳川家綱の治世)。国立国会図書館デジタルコレクションの『杏林叢書』第三輯(富士川游等編・大正一三(一九三八)年吐鳳堂書店刊)のこちらで正字版の当該部を視認出来る(但し、この底本は文化年間(一八〇四年~一八一八年:徳川家斉の治世)の抄録写本底本である)。]
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