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2023/11/21

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鴫(しぎ)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   (しぎ)

 

 

 四月の太陽は既に沈み、行き着く所に行き着いたやうに、ぢつと動かない雲の上に、薔薇色の輝きが殘つてゐるばかりだつた。

 夜が地面から這ひ上がつて來て、次第に私たちを包んだ。林の中の狹い空地で、父は鴫の來るのを待つてゐたのである。

 そばに立つてゐる私も、やつと父の顏だけがはつきり見えてゐた。私より背の高い父には、私の姿さへ見えるか見えないくらゐだつた。犬も私たちの足元で、姿は見えず、ただ喘ぐ息遣ひだけが聞えてゐた。

 鶫は、林の中に歸ることを急いでゐた。くろ鶫は、例の喉を押しつけたやうな叫び聲を頻りにあげてゐた。その馬の嘶きのやうな鳴き聲は、すべての小鳥たちにとつて、もう囀るのをやめて寢ろと命令する聲である。

 鴫は、ほどなく、その枯葉の中の隱れ家(が)を出て、舞ひ上つて來るだらう。今晚のやうな穩かな天氣の日には、鴫は、平地へやつて行く前に、途中でゆつくり道草を喰ふ。林の上を廻りながら、頻りに道連れを搜し求める。その微かな叫び聲で、こつちへやつて來るのか、遠くへ行つてしまふのかわかるのである。彼は大きな槲(かしは)の樹の間を縫つて、重たげに飛んで行く。長い嘴が低く垂れ下り、恰度、小さなステッキを突いて、空中を散步してゐるやうに見える。

 私が八方に眼を配りながら、ぢつと耳を澄ましてゐると、その時突然、父がぶつぱなした。然し、いきなり跳び出して行つた犬のあとを父は追はなかつた。

 「駄目だつたの?」と、私は言つた。

 「擊つたんじやないんだ」と、父は云つた。「彈丸(たま)が出ちまつたのさ、持つてゐるうちに」

 「ひとりでに?」

 「うん」

 「ふうん……。木の枝にでも引つかかつたんだね、きつと?」

 「さあ、どうだか」

 父が空になつた藥莢を外してゐるのが聞えた。

 「いつたい、どういふ風に持つてたの?」

 その意味がわからなかつたのだろうか?

 「つまりさ、銃先(つつさき)はどつちに向いてたの?」

 父がもう返事をしないので、私もそれ以上云ふ勇氣がなかつた。が、たうとう私は云つた――

 「よく當らなかつたもんだ……犬に」

 「もう歸らう」と、父は云つた。

 

[やぶちやん注:ボナールの絵はない。「鴫」はシギ科 Scolopacidaeの模式種であるチドリ目シギ科ヤマシギ属ヤマシギ Scolopax rusticola としてよい。

「鶇」だが、「鳥のゐない鳥籠」に出る「茶色の鶫」で注したが、再掲すると、そちらの原文は『“grive brune”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多い。別に、ヨーロッパで広く棲息する茶色のツグミに似た種を調べてみたところ、ツグミ科にチャツグミ属  Catharus があり、その中のチャイロコツグミ Catharus guttatus が名にし負うことが判ったので、有力候補として掲げておく。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。「茶色の鶫」と呼ぶに相応しいという気はする』としたのに従う。

「くろ鶫」も、また、「くろ鶇(つぐみ)!」で注したのを再掲すると、merle”は私の辞書では、確かに『鶇』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる』としたのに従う。

「槲(かしは)」これも既に述べたが、再度、示すと、フランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名はcommon oakQuercus roburを挙げてもよいだろう。

 なお、この一篇は、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「最初の鴫(しぎ)」も、このシークエンスを下敷きにしているように見える。参照されたい。

 さて。この一篇には、ある非常に深いネガティヴな不吉な雰囲気が漂っている。前に述べたが、ルナールは、一八六四年にマイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(Châlons-du-Maine)で生まれたが、二年後、一家は市長となった父の出生地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に定住したので、このロケーションはそちらである(後、十七歳の時、パリに出、四区のリセ・シャルルマーニュに入っている)。父フランソワ・ルナール(François Renard 一八二四年~一八九七年)は、かねてより病気を患っており、自分が不治の病であることを知っていて、一八九七年六月十九日、猟銃(ショットガン)で心臓を撃ち抜き、自殺している。ルナール三十三歳の時であった。本「博物誌」初版を刊行した翌年のことであった。この一篇に銃の暴発の一件は、事実であると思って問題ないが、ルナールにとっては後に起こった、父の、この猟銃自殺が、結果して、《偶然のトラウマの翳》を落としていることになるのである。

「彼は大きな槲(かしは)の樹の間を縫つて、重たげに飛んで行く。」誤訳である。原文は“Elle passe d'un vol lourd entre les gros chênes et son long bec pend si bas qu'elle semble se promener en l'air avec une petite canne.”で“Elle”は「彼女」の意。題名の“LA BÉCASSE”の通り、“Bécasse”(山鴫)は女性名詞である。]

 

 

 

 

LA BÉCASSE

 

Il ne restait, d'un soleil d'avril, que des lueurs roses aux nuages qui ne bougeaient plus, comme arrivés.

La nuit montait du sol et nous vêtait peu à peu, dans la clairière étroite où mon père attendait les bécasses.

Debout près de lui, je ne distinguais nettement que sa figure. Plus grand que moi, il me voyait à peine, et le chien soufflait, invisible à nos pieds.

Les grives se dépêchaient de rentrer au bois où le merle jetait son cri guttural, cette espèce de hennissement qui est un ordre à tous les oiseaux de se taire et de dormir.

La bécasse allait bientôt quitter ses retraites de feuilles mortes et s'élever. Quand il fait doux, comme ce soir-là, elle s'attarde, avant de gagner la plaine. Elle tourne sur le bois et se cherche une compagne. On devine, à son appel léger, qu'elle s'approche ou s'éloigne. Elle passe d'un vol lourd entre les gros chênes et son long bec pend si bas qu'elle semble se promener en l'air avec une petite canne.

Comme j'écoutais et regardais en tous sens, mon père brusquement fit feu, mais il ne suivit pas le chien qui s'élançait.

- Tu l'as manquée ? lui dis-je.

- Je n'ai pas tiré, dit-il. Mon fusil vient de partir dans mes mains.

- Tout seul ?

- Oui.

- Ah !... une branche peut-être ?

- Je ne sais pas.

Je l'entendais ôter sa cartouche vide.

- Comment le tenais-tu ?

N'avait-il pas compris ?

- Je te demande de quel côté était le canon ?

Comme il ne répondait plus, je n'osais plus parler.

Enfin je lui dis :

- Tu aurais pu tuer... le chien.

- Allons-nous-en, dit mon père.

 

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