柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蛇毒と脂」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
蛇毒と脂【じやどくとやに】 〔北窻瑣談後編巻一〕備後福山<広島県福山市>の家中内藤何某といふ人、或時、庭に蛇出たりしかば、杖もて強く打ちけるに、そのまゝ走りて巣中《さうちゆう》[やぶちゃん注:以下に掲げる活字本では『草中(さうちう)』である。]に入りければ、草の上より頻りに打ち尋ね求めけれども、つひに見失ひぬ。暫く程へて奴僕《ぬぼく》見当りて、草中に蛇死し居《ゐ》れりと告げしかば、内藤出《いで》て杖もてかきのけんとしける時、その蛇《じや》、頭《かしら》をあげ、煙草の煙《けぶり》のごときものを吹きかけゝるが、その烟内藤が左の目に当りて、蛇はそのまゝ倒れ死しける。内藤が眼《まなこ》、俄かに痛みてはれあがり、寒熱出て苦悩言はんかたなし。既に命も失ふべく見えし程に、内藤、煙草のやにの蛇に毒なることを思ひ出して、煙管《きせる》のやにを眼中《がんちゆう》に入れしに、漸々《やうやう》に腫(はれ)消(せう)し痛みやはらぎて、一日中[やぶちゃん注:原本では『一日斗』(ばかり)である。]に苦悩退《しりぞ》き、眼赤きばかりなりしかば、日々にやにを入れたるに、五六日して全く癒えたり。その翌年、その時節また眼《め》痛み出したるに、色々の眼科医《めいしや》の治療を施しけれども、癒えざりしかば、蛇毒の事を思ひ出し、また煙管のやにを入れしに、忽ち癒えたり。二三年もその時節には、必ず眼目《がんもく》痛ければ、いつもその後《のち》はやにを入れて癒えぬ。この事、村上彦峻(むらかみげんしゆん)物語なりき。また云ふ、蛇《じや》を打ちし人は助左衛門と云ふ人にて、毒に当りし人は、その庭に居合《ゐあは》せし内藤なりとぞ。
[やぶちゃん注:「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで当該箇所が視認出来る(右ページ三行目から)が、実は「柴田宵曲 妖異博物館 煙草の效用」の私の注で正規表現で電子化してあるので、見られたい。読みは、前者のルビを大いに参考にした。
「蛇」原本では『烏蛇(うじや)』とする。一般にかく古くから呼び慣わす(訓で「からすへび」)のは無毒の有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata の黒変個体である。
「煙草のやにの蛇に毒なる」古くから民間で伝わる説であるが、Q&Aサイトで実際に試したところ、蛇が退散したというアンサーがあったので、実際に蛇の忌避物質であるようである。
「村上彦峻」は「平安人物志」(文化一〇(一八一三)年版)に、京の東洞院御池南で医師をしていた人物で、俗名は村上左衛門権大尉とあった。本書の著者橘南谿は医師であったから、医者仲間なったようである。但し、南谿は文化二年に亡くなっているから、村上は橘より若かった可能性が高いように思われる。]
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