柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蘇生奇談」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
蘇生奇談【そせいきだん】 〔耳囊巻六〕文化七年七月廿二日の事の由、同八月或人来り語りけるは、田安御屋形御馬飼の由、相部《あひべ》や六七人ある事なるに、右の内壱人、寒かくらんにて殊の外苦しみける故、相部やのものども、色々介抱いたし、医師を所々へ申遣し候へども、時節やあしかりけん、一向医師も来らず。終日苦しみて、終にはかなくなりしに、彼《かの》あひ部屋の者ども、評議しけるは、かく傍輩の死に及ぶ病、一貼《いちてふ》の薬をも呑まざる儀、いづれ上役人へ願ひて、只今にても薬を飲ませ、せめて心晴しにいたしたき由にて、上役の者へ願ひければ、程近き所とて小嶋活庵方へ申遣しけるに、活庵は在宿無ㇾ之、子息安順見廻(みまひ)て、かの病人を見けるに、事切れて時刻も漸《やうや》くうつりければ、四肢もつめたく、療治沙汰も無ㇾ之由ゆゑ、断り申述べければ、右傍輩ども時刻も相立ち候事ゆゑ、仰せの趣御尤もながら、急病ながら薬一貼も用ひずと申すも心苦しければ、たとへ蘇生等致さずとも、御薬一貼給はり、無理に吹込み申したき由、達而《たつて》願ひけるゆゑ、安順もその意にまかせ、薬一貼あたへ帰りぬ。さて傍輩ども打寄り、薬を煎じ口を割りつぎ込みしに、口を洩れ或はのどに溜り居り候ばかりにて、しるしあるべきやうもなければ、片脇へ寄せ置きけるに、二三時過ぎて息吹返しける故、早速粥湯(かゆゆ)などのませ、安順方へも早速申遣しければ、これも蘇生に驚き、早速罷り越し、その様子を見て、これなれば療治なり候とて薬をあたへ、今は全快なしけるに、傍輩の内、さるにても、いかなる様子なりしやと尋ねければ、最初煩ひ付き候節、苦しさいはんかたなく、それよりは夢中となり、何か広き原へ出て、むかうへ行かんと思ひしに、二筋に道わかれあり、壱ツは登りざか、壱ツは下り候道ながら、下りの方けんそにして、彼男の了簡には、登り坂の方へ行くべしと思ひしに、ふと本郷辺米屋にて、その娘へこの御馬方、心を懸けしが、右娘に行逢ひ、我もひとりにては心細し、つれ立たんといふに、同意なしけるが、娘は下り道の方を行くべしといふ。この男は登り坂の方へ行かんと申し争ひ、立別れしに、向うの方より赤衣《しやくえ》きたる僧一人参り、なんぢはいづ方より何方へ通るやと尋ねける故、あらましを語り、我等は死せしにやと申しければ、爾(なんぢ)思ひのこす事もなきやと尋ねし故、何もおもひ残す事はなけれど、未だ在所に両親もありて、久しく逢ひ申さゞる間、これへ対面致したき由と申しければ、しからば帰し遣すべしとて、跡へ戻ると思ひしに、何か咽に薬がつくりと内へ入りて蘇りしと、予<根岸鎮衛>が元へ来る云栄《うんえい》かたりぬ。
[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之十 蘇生奇談の事」である。]
〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻二〕香町<東京都千代田区内>小林氏の方に年久しく召遣ひし老女ありけるが、以ての外煩ひて、急に差重《さしおも》り[やぶちゃん注:急激に症状が悪化し。]相果てけるが、呼びなどして辺(あた)りの者立騒ぎける内、蘇生しけるが、程なく快気して語りけるは、我等事誠に夢の如く、旅にても致し候心得にて広き野へ出けるが、何地《いづち》へ行くべきや知れず、人家ある方へ至らんと思へども、方角知れざるに、一人の出家通りける故、呼掛けぬれど答へず。いづれ右出家の跡に付きて行きたらんに、悪しき事はあらじと頻りに跡を追行きしに、右出家足早くして、中々追付く事叶はず、その内に跡より声を掛けし者ありと覚えて蘇りぬと咄しける由、小林の親友牛奥子《うしおくし》語りぬ。
[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之二 鄙姥冥途へ至り立歸りし事 又は 僕が俳優木之元亮が好きな理由」を見られたい。]
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