柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と下女」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
狸と下女【たぬきとげじょ】 〔梅翁随筆巻一〕小倉侯の神田明神<東京都千代田区内>下の中屋敷に、女隠居《をんないんきよ》すみ給ふ。その附(つき)の下女の名は卯《う》の、八月頃より行衛知れず。いかゞいたせしにやと過ぐる処に、同年十一月のはじめ、長局《ながのつぼね》の縁の下より手を出して、貝殼にて水をすくひのむものあり。皆々あれはとたち出れば、奥深く逃込《にげこ》みける。化生《けしやう》のものにこそあらめとて、役人へ届けければ、則ち人を入れてさがしみるに、縁の下の隅にかくれ居たるものを引出し見れば、八月失せし下女なり。髪はみだれ、痩せおとろへて居たり。その子細を尋ぬるに、若衆三人に仕《つかうまつ》はれ[やぶちゃん注:仕えらえて。世話されて。]、日々おもしろき事のみなり。その中に壱人《ひとり》はむつかしくて苦しき事も有りし。食事は代る代るいろいろのものを持来りて、毎日好味《かうみ》ばかり食し、何ひとつ不足なる事なしといふ。一体ふぬけとなりて、言葉もさだかならず。やうやう右の趣を聞きとりしなり。されば早速宿へしらせ申すべしとて、当人をも遣はしけるが、程なく死《しに》けるとぞ。宿は神田辺にて、小酒《こざけ》をあきなふ者の娘なり。狸この屋しきには多し。まれにこれ等の事あるよし申す者ありし。この女を見出せし後おもひ合すれば、八月已来、神仏ヘ備へし品、または仕廻《しま》ひ置きたる喰《くひ》ものなど、自然と紛失せし事有りしが、これをぬすみて女にくはせ置きけるにやあらんといひあへり。さてこの事を見聞きし女ども、また見込まるゝ事もあらんかと、大かた暇《いとま》をねがひけるとぞ。その後日々祈禱など種々執行あれども、化ものの出たるといふにもあらねば、そのしるし見ゆべき事もあらず。たゞ心ならずとぞ。
[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○狸、下女を犯す事』。この話、現代語訳の怪談本では、かなりメジャーな話としてよく知られるものであるが、この下女、談話が、見かけ上は、一部が細かく奇妙ながらある種の現実的統一感を感じさせる。これはラポートを生じにくい難症の偏執的妄想体系を示す統合失調症辺りが疑われる。
「小倉侯の神田明神」「東京都千代田区内」「下の中屋敷」豊前小倉藩小笠原家中屋敷。現在の東京都千代田区外神田五丁目にある亀住稲荷神社(グーグル・マップ・データ)は、同中屋敷内にあったものである。
「卯の年、八月頃」リンク先の原話の前話『○山東京傳が事』の時制が、『寬政七卯年五月』とすることから、これも寛政七年乙卯、グレゴリオ暦で一七九五年、その旧暦八月一日はグレゴリオ暦八月十五日である。
「十一月のはじめ」グレゴリオ暦で既に十二月十一日から十二月二十日。暑い夏から、既に年末の寒い時期、ずっと縁の下にいたとしたら、ちょっと見るのも厭な様子であろう。
「貝殼」イタヤガイやホタテガイの片貝や、巻の非常に緩い腹足類のトコブシ・アワビなど貝殻に木の把手をつけた貝柄杓(かいびしゃく)のこと。]
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