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2023/11/13

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「深淵の黄牛」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 深淵の黄牛【しんえんのこうぎゅう】 〔煙霞綺談巻四〕吉田より四里北東上村といふところあり。この村の北六七町に本宮山《ほんぐうさん》より落る大飛泉(《おほ》たき)あり。高サ四五丈、落る所は谷底《たにそこ》草木《さうもく》繁茂し、昼も暗く凌兢(ものすごき)ところなり。飛泉の壺は盤渦(うづまき)かへりて人寄り得ず。それより二間程下へ落る、これを雌滝《めだき》といふ。こゝも至りて深淵たれども、東上村六左衛門といふもの、水に馴れたるゆゑ、常にこの雌滝の壺に潜《くぐ》りて魚を捕る。享保中[やぶちゃん注:一七一六年~一七三六年。]ある日、此所に至り年魚(あゆ)を捕らんとせしに、水大《おほき》に逆浪《げきらう》せし故、暫く見居《みをり》たれば、淵の中より大なる黄牛湧出《ゆうしゆつ》し、角を振立《ふりた》て吽々(うんうん)と吼えて、六左衛門を目がけ来《きた》る。六左衛門剛強の者なれども、手に何も持たざるゆゑ、早々上の道へ上り宿へかへりぬ。時に忽ち発熱し、譫語(うはごと)など𠳂(しやべ)りて、三日目に相果てたり。深淵より大蛇《だいじや》にても出《いづ》べきに、牛の出たるは奇事なり。淵の主霊なるべし。またこの東上村と新城《しんしろ》との間に、一鋤田(ひとくはだ)村と云ふあり。この村の川筋に(今の吉田大川の上なり)皆鞍(かいくら)が淵とて、川筋第一の深淵あり。世俗この淵は竜宮城なりと云ひ伝ふ。彼の六左衛門、常にこの淵へ潜《くぐ》つて漁猟す。常に語るに、この水底《みなそこ》何もなし、上よりは只水の寒冷《つめたき》ばかりなり。深さ七尋二尺ありといふ。また河水は十尋より深き淵はなきもののよし。それより深き所へは、息切れ潜《くぐ》る事なりがたしとなり。海には二十尋も三十尋もある所あり。海は川と違ひ十五六尋潜りても息切れずといふ。

[やぶちゃん注:「池の満干」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷二(昭和二(一九二七)年日本隨筆大成刊行会刊)のここで正字で視認出来る。ルビがかなり振られてあるので、一部で参考にした。実は、これ、先行する「大入道」の続き部分であって、そちらの注で私が紹介している。

「吉田」諸条件から見て、愛知県豊橋市今橋町にあった吉田城跡(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)であろう。

「東上村」愛知県豊川市東上町(とうじょうちょう)。

「本宮山」ここ。愛知県岡崎市・新城市・豊川市に跨る標高七百八十九メートルの山。別名を「三河富士」と呼ぶ。古来より山岳信仰の対象とされてきた山で、山頂近くには砥鹿(とが)神社奥宮が鎮座し、地元東三河の人々に親しまれている。

「大飛泉」話の「黄牛」にあやかるなら、「牛の滝」がある。ここは東上町と新城市川田本宮道(かわだほんぐうみち)との境に当たる。

「一鋤田(ひとくはだ)村」「ひなたGPS」の戦前の地図で探しても、見当たらない。しかし、「牛の滝」から新城市街に向かう東北東に愛知県新城市川田一丁田(かわだいっちょうでん)の地名を見出した。或いは、この附近か。

「吉田大川」これは現在の豊川の古称である。過去に「吉田川」と呼ばれたことが確認出来た。

「皆鞍(かいくら)が淵」不詳。

「世俗この淵は竜宮城なりと云ひ伝ふ」ここより東北に遡るが、寒狭川に同様の伝承がある。私の『早川孝太郞「三州橫山話」 川に沿つた話 「鮎の登れぬ瀧」・「龍宮へ行つて來た男」・「人と鮎の智惠競べ」』を読まれたい。

「七尋二尺」一尋は水深の場合は、六尺=約一・八二メートル弱。十八・二七メートル。仮に豊川としても、洪水時でない限り、こんなに水深は、ない。]

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