「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鷓鴣」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
鷓 鴣(しやこ)
鷓鴣と農夫とは、一方は鋤車(すきぐるま)の後ろに、一方は近所の苜蓿(うまごやし)の中に、お互に邪魔にならないくらゐの距離を隔てて、平和に暮らしてゐる。鷓鴣は農夫の聲を識つてゐる。怒鳴つたり喚いたりしても怖がらない。
鋤車が軋(きし)つても、牛が咳をしても、または驢馬が啼き出しても、それは別になんでもないのである。
で、この平和は、私が行つてそれを亂すまで續くのである。
ところが、私がやつて來る。すると鷓鴣は飛んでしまふ。農夫も落着かぬ樣子である。牛も驢馬もその通りである。私は鐵砲を擊つ。すると、この狼藉者の放つた爆音によつて、あたりの自然は悉く調子を亂してしまふ。
これらの鷓鴣を、私は先づ切株の間から追ひ立てる。次に苜蓿のなかから追ひ立てる。それから、草原のなか、それから生垣(いけがき)に沿つて追ひ立てる。ついでなほ、林の出つ張りから追ひ立てる。それからあそこ、それから此處……。
それで、突然、私は汗をびつしよりかいて立ち停る。そして怒鳴る――
「ああ、畜生、可愛げのないやつだ。人をさんざん走らせやがる!」
遠くから、草原のまんなかの一本の木の根に、何か見える。
私は生垣に近づいて、その上から覗いてみる。
どうしてもその樹の蔭に鳥の頸が一つ突き出てゐるやうに思はれる。さう思ふと、もう心臟の鼓動が激しくなる。この草のなかに、鷓鴣がゐなくて何がいよう。親鳥が、私の跫音を聞きつけて、早速いつもの合圖をしたに違ひない。そして子供たちを腹這ひに寢させて、自分もからだを低くしてゐるのだ。頭だけが眞つ直に立つてゐる。それは見張りをしてゐるのだ。が、私は躊躇する。なぜなら、その首が動かないのである。間違へて、木の根を擊つても馬鹿馬鹿しい。
ところどころ、樹のまはりには、黃色い斑點が、鷓鴣のやうでもあり、また土くれのやうでもあり、私の眼はすつかり迷つてしまふ。
うつかり追ひ立てて、ほんとに鷓鴣が飛び出したら、樹の枝が邪魔になつて追ひ擊ちはできない。それよりも、そのまま地上にゐるのを擊つ、つまり玄人の獵師の所謂「人殺し」をやつた方がいい。
ところが、その鷓鴣の首らしいものが、いつまでたつても動かない。
永い間、私は隙を覘つてゐる。[やぶちゃん注:「覘つて」「うかがつて」。]
果してそれが鷓鴣であるとすれば、その動かないこと、警戒の周密なことは、まつたく驚くべきものである。それに、ほかのが、また、よくいふことを聽いて、この護衞者に恥ぢない見事な警戒ぶりである。どれ一つ動かない。
私は、そこで驅引をしてみるのである。私は、からだぐるみ、生籬のうしろに隱れて、しばらくその方を見ないでゐる。といふのは、こつちで見てゐるうちは、向ふでも見てゐるわけだからである。
これでもう、どつちも姿が見えなくなつた。死の沈默が續く。
やがて、私は顏を上げて見た。
今度こそは確かである。鷓鴣は私がゐなくなつたと思つたに違ひない。首が以前より高くなつてゐる。そして、それを急に引つこめた動作が、もう疑ひの餘地を與へない。
私は、おもむろに銃尾を肩に當てる……。
夕方、からだは疲れてゐる。腹はふくれてゐる。すると、私は、多くの獲物のあつた快い眠りに就く前に、その日一日追い廻した鷓鴣のことを考へる。そして、彼等がどんなにして今夜を過すだらうかといふことを想像してみる。
彼等は氣違ひのやうになつて騷いでゐるに違ひない。
どうしてみんな揃はないのだろう、いつも集る時刻に?
どうして、苦しがつてゐるものがあるのだらう――それから、傷口を嘴で押さへながら、どうしてもぢつと立つてゐられないものが?
どうして、またあんなに、みんなを怖がらせるやうなことをやり始めたんだらう?
やつと、休み場所に落着いたと思ふと、直ぐもう見張りのものが警報を傳へる。また飛んで行かなければならない。草なり株なりを離れなければならない。
彼等は逃げてばかりゐるのである。聞き慣れた音にさへ驚くのである。
彼等はもう遊んではゐられない。喰ふものも喰つてゐられない。眠つてゐられない。
彼等は何がなんだかわからない。
傷ついた鷓鴣の羽が落ちて來て、ひとりでに、この誇らかな獵師の帽子に刺さつたとしても、私はそれがあんまりだとは思はない。
雨が降り過ぎたり、旱天(ひでり)が續き過ぎたりして、犬の鼻が利かなくなり、私の銃先(つつさき)が狂ふやうになり、鷓鴣のそばへも寄りつけなくなると、私はもう正當防衞の權利でも與へられたやうな氣になる。
鳥の中でも、鵲とか、樫鳥(かけす)とか、くろ鶫(つぐみ)とか、鶫とか、腕に覺えのある獵師なら相手にしない鳥がある。私は腕に覺えがある。
私は、鷓鴣以外に好敵手を見出さない。
彼等は實に小ざかしい。
その小ざかしさは、遠くから逃げることである。然し、それを逃がさないで、とつちめるのである。
それはまた、そつと獵師をやり過すことである。が、そのうしろから、あんまり早く飛び出して、獵師がうしろを振返るのである。
それは、深い苜蓿の中に隱れることである。然し、獵師は眞つ直にそこへ行くのである。
それは、飛ぶ時に、急に方向を變へることである。然し、そのために間隔が詰るのである。
それは、飛ぶ代りに走るのである。人間より早く走るのである。然し、犬がゐるのである。
それは、追はれて離れ離れになると、互に呼び合ふのである。然し、それが獵師を呼ぶことにもなるのである。獵師にとつて、彼等の歌を聞くほど氣持のいいものはない。
その若い一組は、もう親鳥から離れて、新しい生活を始めてゐた。私は、夕方、畑のそばで、それを見つけたのである。彼等は、ぴつたり寄り添つて、それこそ翼(はね)を組んでといふ格好で舞ひ上がつた。で、一方を殺した彈丸(たま)は、そのままもう一方を突き落としたのである。
一方は何も見なかつた。何も感じなかつた。然し、もう一方は、自分の連れ合ひが死ぬのを見、そのそばで自分も死んで行くのを感じるだけのひまがあつた。
この二羽の鷓鴣は、いづれも地上の同じ場所に、幾らかの愛と、幾らかの血と、そして何枚かの羽とを殘したのである。
獵師よ、お前は一發で、見事に二羽をしとめた。早く歸つて、うちのものにその鷓鴣の話を聞かせてやれ。
あの年を取つた去年の鳥、折角育てた雛を殺された親鳥、彼等も若いのに劣らず愛し合つてゐた。いつ見ても、彼等は一緖にゐた。いつ見ても、彼らは一緖にゐた。彼等は逃げることが上手だつた。私は、强ひてそのあとを追ひ驅けようとはしなかつた。その一方を殺したのも、全く偶然であつた。で、それから、私はもう一方を搜した――可哀さうだから一緖に殺してやたうと思つて!
或るものは、折れた片脚をだらりと下げて、まるで私が絲で括つてつかまへてでもゐるやうな恰好だ。
或るものは、最初はほかのもののあとについて行くが、たうとう翼(はね)が利かなくなる。地上に落ちる。ちよこちよこ走りをする。犬に追はれながら、身輕に、半ば畝を離れて、走れるだけ走るのである。[やぶちゃん注:「畝」戦後版では『うね』のルビがある。]
或るものは、頭のなかに鉛の彈丸(たま)を擊ち込まれる。ほかのものから離れる。狂ほしく、空の方に舞ひ上がる。樹よりも高く、鐘樓の雄鷄よりも高く、太陽を目がけて舞ひ上るのである。すると、獵師は氣が氣ではない。しまひにそれを見失つてしまふ。が、その時、鳥は重い頭の重量をたうとう支へきれなくなる。翼を閉じる。遙か向ふへ、嘴を地に向けて、矢のやうに落ちて來る。
或るものは、犬を仕込むとき鼻先へ投げてやる襤褸つきれのやうに、ぎゆつとも云はず落ちる。
或るものは、彈丸(たま)が飛び出すと同時に、小舟のやうにぐらつく。そして、ひつくり返る。
また或るものは、どうして死んだのかわからないほど、傷口が羽のなかに深くひそんでゐる。
或るものは、急いでポケットに押し込む――人にも自分にも見られまいとするやうに。
或るものはなかなか死なない。さういふのは絞(し)め殺す必要がある。私の指の間で、空(くう)をつかむ。嘴を開く。細い舌がぴりぴりと動く。すると、ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る。
向ふで、百姓が、私の鐵砲の音を聞きつけて、頭を上げる。そして、私の方を見る。
つまり私たちの審判者なのだ。この働いてゐる男は……。彼は私に話をするつもりなのだ。そして、嚴かな聲で、私を恥ぢ入らせるだらう。
ところが、さうでない、それは、時としては、私のやうに獵ができないのが癪で、業を煑やしてゐる百姓である。時としては、私のやることを面白がつて見てゐるばかりでなく、鷓鴣がどつちへ行つたかを敎へてくれるお人好しの百姓である。
決して、それが義憤に燃えた自然の代辯者であつたためしはない。
私は、今朝、五時間も步き廻つた揚句、空(から)の獲物囊を提げ、頭をうなだれ、重い鐵砲を擔いで歸つて來た。暴風雨(あらし)の來さうな暑さである。私の犬は、疲れ切つて、小走りに私の前を步きながら、ずつと生垣に沿つて行く。そして、何度となく、木蔭に坐つて、私の追ひつくのを待つてゐる。
すると、恰度、私がすがすがしい苜蓿の中を通つてゐると、突然、彼はぱつと立ち停つた。といふよりは、腹這ひになつた。それが實に一生懸命なとまり方で、植物のやうに動かない。ただ、尻尾(しつぽ)の先だけが顫へてゐる。てつきり、彼の鼻先に、鷓鴣が何羽かゐるのだ。直ぐそこに、互にからだをすりつけて、風と陽(ひ)とをよけてゐるのだ。彼等の方ではちやんと犬の姿が見えてゐる。私の姿も見えてゐる。多分、私の顏に見覺えがあるかも知れない。で、すつかり怯えきつて、飛び立たうともしないのだ。
ぐつたりしてゐた氣持が急に引き緊つて、私は身構へる。そしてぢつと待つ。
犬も私も、決してこつちから先には動かない。
と、遽(にはか)に、前後して、鷓鴣は飛び出す。どこまでも寄り添つて、ひとかたまりになつてゐる。私はそのかたまりのなかへ、拳骨で毆るように、彈丸(たま)を擊ち込む。そのうちの一羽が、見事に彈丸(たま)を喰つて、宙に舞ふ。犬が跳びつく。そして血だらけの襤褸みたいな、半分になつた鷓鴣を持つて來る。拳骨が、殘りの半分をふつ飛ばしてしまつたのである。[やぶちゃん注:「拳骨」言わずもがなだが、弾丸の換喩である。]
さあ、行はう。これでもう空手(からて)で歸らないでも濟む。犬が雀躍(こをどり)する。私も得得としてからだをゆすぶる。
まつたく、この尻つぺたに、一發、彈丸(たま)を擊ち込んでやつてもいい。
[やぶちやん注:「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科Phasianinaeの内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。本篇でも多出し、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でも取り上げられることが多い、ルナールに親しい鳥である。なお、岩波の辻昶氏も臨川書店全集の佃裕文氏も、ともに『山うづら』と訳しておられるが、これは全く従えない。何故なら、標準和名ヤマウヅラは、キジ亜科ヤマウズラ属ヤマウズラ Perdix dauuricae であるが、同種はウズベキスタン・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・中国北部或いは北東部・トルキスタン・モンゴル・ロシア(ウスリー)にしか分布しないからである。バイ・プレーヤーの「犬」は哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiaris 。本篇は既に二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがあり、全集の佃氏の後注に、その『初出は一八九九年一月二日「エコール・ド・パリ」』であるとあり、続けて、『ルナールは一八九七年ころから『日記』や書簡で狩猟にたいする嫌悪を表明しはじめ、一九〇〇年十二月二十二日の日記には栗鼠を一匹殺した後で、「殺害の嫌悪」という表題で何か書こうと考え、「大決心。私はもう狩猟はしない。そして一年後にはフィリップにもそれを止めさせる」と記すにいたった。』(既注であるが、「フィリップ」(Philipppe)というのは、ルナールの多くの著作に登場する主人公の使用人のモデルとなった、ショーモとシトリーで、ルナール家の使用人であったシモン・シャリュモーのこと)『しかしこれ以降にも野生の動物を殺した記述が見られるが、一九〇五年八月三十日』(死の五年前)『の狩猟の記述が最後のものと思われる。一九〇九年八月三十日』(死の九月前)『の書簡で「私はもう狩猟はやらない」と書いている』とある。日記は全集で確認した。
「苜蓿(うまごやし)」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属Medicagoの種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium亜属Trifoliastrum節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。
「鵲」鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica 。
「樫鳥(かけす)」スズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius 。但し、約三十もの亜種がいるのでカケスGarrulus sp. とすべきか。
「くろ鶫(つぐみ)」「くろ鶇(つぐみ)!」で既注であるが、そのまま再掲すると、“Merle”は私の辞書では、確かに『鶇』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、♂が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる。
「鶫」「鳥のゐない鳥籠」で既注であるが、そこに出る「茶色の鶇」に注して、私は、『原文は“grive brune”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多い。別に、ヨーロッパで広く棲息する茶色のツグミに似た種を調べてみたところ、ツグミ科にチャツグミ属 Catharus があり、その中のチャイロコツグミ Catharus guttatus が名にし負うことが判ったので、有力候補として掲げておく。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。「茶色の鶫」と呼ぶに相応しいという気はする。』とした。ここも同種である可能性がすこぶる高いと思う。
「或るものはなかなか死なない。さういふのは絞(し)め殺す必要がある。私の指の間で、空(くう)をつかむ。嘴を開く。細い舌がぴりぴりと動く。すると、ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る。」。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「鷓 鴣(しゃこ)」を参照されたい。また、「ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る」全集の佃氏は『彼の眼にはホメロスの言う「死の闇が降り」る』と訳され、後注に、『ホメロス』(紀元前八世紀末の古代ギリシャのアオイドス(吟遊詩人))『の『イリアッド』や『オデッセイ』によく出て来る表現』とある。
なお、以下の原文は、原本に従い、行空けを施した。]
*
LES PERDRIX
La perdrix et le laboureur vivent en paix, lui derrière sa charrue, elle dans la luzerne voisine, à la distance qu'il faut l'un de l'autre pour ne pas se gêner. La perdrix connaît la voix du laboureur, elle ne le redoute pas quand il crie ou qu'il jure.
Que la charrue grince, que le boeuf tousse et que l'âne se mette à braire, elle sait que ce n'est rien.
Et cette paix dure jusqu'à ce que je la trouble.
Mais j'arrive et la perdrix s'envole, le laboureur n'est pas tranquille, le boeuf non plus, l'âne non plus. Je tire, et au fracas d'un importun, toute la nature se désordonne.
Ces perdrix, je les lève d'abord dans une éteule, puis je les relève dans une luzerne, puis je les relève dans un pré, puis le long d'une haie ; puis à la corne d'un bois, puis...
Et tout à coup je m'arrête, en sueur, et je m'écrie :
- Ah ! les sauvages, me font-elles courir !
De loin, j'ai aperçu quelque chose au pied d'un arbre, au milieu du pré.
Je m'approche de la haie et je regarde par-dessus.
Il me semble qu'un col d'oiseau se dresse à l'ombre de l'arbre. Aussitôt mes battements de coeur s'accélèrent. Il ne peut y avoir dans cette herbe que des perdrix. Par un signal familier, la mère, en m'entendant, les a fait se coucher à plat. Elle-même s'est baissée. Son col seul reste droit et elle veille. Mais j'hésite, car le col ne remue pas et j'ai peur de me tromper, de tirer sur une racine.
Ça et là, autour de l'arbre, des taches, jaunes, perdrix ou motte de terre, achèvent de me troubler la vue.
Si je fais partir les perdrix, les branches de l'arbre m'empêcheront de tirer au vol, et j'aime mieux, en tirant par terre, commettre ce que les chasseurs sérieux appellent un assassinat.
Mais ce que je prends pour un col de perdrix ne remue toujours pas.
Longtemps j'épie.
Si c'est bien une perdrix, elle est admirable d'immobilité et de vigilance, et toutes les autres, par leur façon de lui obéir, méritent cette gardienne. Pas une ne bouge.
Je fais une feinte. Je me cache tout entier derrière la haie et je cesse d'observer, car tant que je vois la perdrix, elle me voit.
Maintenant nous sommes tous invisibles, dans un silence de mort.
Puis, de nouveau, je regarde.
Oh ! cette fois, je suis sûr ! La perdrix a cru à ma disparition. Le col s'est haussé et le mouvement qu'elle fait pour le raccourcir la dénonce.
l'applique lentement à mon épaule ma crosse de fusil...
Le soir, las et repu, avant de m'endormir d'un sommeil giboyeux, je pense aux perdrix que j'ai chassées tout le jour, et j'imagine la nuit qu'elles passent.
Elles sont affolées.
Pourquoi en manque-t-il à l'appel ?
Pourquoi en est-il qui souffrent et qui, becquetant leurs blessures, ne peuvent tenir en place ?
Et pourquoi s'est-on mis à leur faire peur à toutes ?
A peine se posent-elles maintenant, que celle qui guette sonne l'alarme. Il faut repartir, quitter l'herbe ou l'éteule.
Elles ne font que se sauver, et elles s'effraient même des bruits dont elles avaient l'habitude.
Elles ne s'ébattent plus, ne mangent plus, ne dorment plus.
Elles n'y comprennent rien.
Si la plume qui tombe d'une perdrix blessée venait se piquer d'elle-même à mon chapeau de fier chasseur, je ne trouverais pas que c'est exagéré.
Dès qu'il pleut trop ou qu'il fait trop sec, que mon chien ne sent plus, que je tire mal et que les perdrix deviennent inabordables, je me crois en état de légitime défense.
Il y a des oiseaux, la pie, le geai, le merle, la grive avec lesquels un chasseur qui se respecte ne se bat pas, et je me respecte.
Je n'aime me battre qu'avec les perdrix ! .
Elles sont si rusées !
Leurs ruses, c'est de partir de loin, mais on les rattrape et on les corrige.
C'est d'attendre que le chasseur ait passé, mais derrière lui elles s'envolent trop tôt et il se retourne.
C'est de se cacher dans une luzerne profonde, mais il y va tout droit.
C'est de faire un crochet au vol, mais ainsi elles se rapprochent.
C'est de courir au lieu de voler, et elles courent plus vite que l'homme, mais il y a le chien.
C'est de s'appeler quand on les divise, mais elles appellent aussi le chasseur et rien ne lui est plus agréable que leur chant.
Déjà ce couple de jeunes commençait de vivre à part.
Je les surpris, le soir, au bord d'un labouré. Elles s'envolèrent si étroitement jointes, aile dessus, aile dessous je peux dire, que le coup de fusil qui tua l'une démonta l'autre.
L'une ne vit rien et ne sentit rien, mais l'autre eut le temps de voir sa compagne morte et de se sentir mourir près d'elle.
Toutes deux, au même endroit de la terre, elles ont laissé un peu d'amour, un peu de sang et quelques plumes.
Chasseur, d'un coup de fusil tu as fait deux beaux coups : va les conter à ta famille.
Ces deux vieilles de l'année dernière dont la couvée avait été détruite, ne s'aimaient pas moins que des jeunes. Je les voyais toujours ensemble. Elles étaient habiles à m'éviter et je ne m'acharnais pas à leur poursuite. C'est par hasard que j'en ai tué une. Et puis j'ai cherché l'autre, pour la tuer, elle aussi, par pitié !
Celle-ci a une patte cassée qui pend, comme si je la retenais par un fil.
Celle-là suit d'abord les autres jusqu'à ce que ses ailes la trahissent ; elle s'abat, et elle piète ; elle court tant qu'elle peut, devant le chien, légère et à demi hors des sillons.
Celle-ci a reçu un grain de plomb dans la tête. Elle se détache des autres. Elle pointe en l'air, étourdie, elle monte plus haut que les arbres, plus haut qu'un coq de clocher, vers le soleil. Et le chasseur, plein d'angoisse, la perd de vue, quand elle cède enfin au poids de sa tête lourde. Elle ferme ses ailes, et va piquer du bec le sol, là-bas, comme une flèche.
Celle-là tombe, sans faire ouf ! comme un chiffon qu'on jette au nez du chien pour le dresser.
Celle-là, au coup de feu, oscille comme une petite barque et chavire.
On ne sait pas pourquoi celle-ci est morte, tant la blessure est secrète sous les plumes.
Je fourre vite celle-là dans ma poche, comme si j'avais peur d'être vu, de me voir.
Mais il faut que j'étrangle celle qui ne veut pas mourir. Entre mes doigts, elle griffe l'air, elle ouvre le bec, sa fine langue palpite, et sur les yeux, dit Homère, descend l'ombre de la mort.
Là-bas, le paysan lève la tête à mon coup de feu et me regarde.
C'est un juge, cet homme de travail ; il va me parler ; il va me faire honte d'une voix grave.
Mais non : tantôt c'est un paysan jaloux qui bisque de ne pas chasser comme moi, tantôt c'est un brave paysan que j'amuse et qui m'indique où sont allées mes perdrix.
Jamais ce n'est l'interprète indigné de la nature.
Je rentre ce matin, après cinq heures de marche, la carnassière vide, la tête basse et le fusil lourd. Il fait une chaleur d'orage et mon chien, éreinté, va devant moi, à petits pas, suit les haies, et fréquemment, s'assied à l'ombre d'un arbre où il m'attend.
Soudain, comme je traverse une luzerne fraîche, il tombe ou plutôt il s'aplatit en arrêt : c'est un arrêt ferme, une immobilité de végétal. Seuls les poils du bout de sa queue tremblent. Il y a, je le jurerais, des perdrix sous son nez. Elles sont là, collées les unes aux autres, à l'abri du vent et du soleil. Elles voient le chien, elles me voient, elles me reconnaissent peut-être, et, terrifiées, elles ne partent pas.
Réveillé de ma torpeur, je suis prêt et j'attends.
Mon chien et moi, nous ne bougerons pas les premiers.
Brusquement et simultanément, les perdrix partent :
toujours collées, elles ne font qu'une, et je flanque dans le tas mon coup de fusil comme un coup de poing. L'une d'elles, assommée, pirouette. Le chien saute dessus et me rapporte une loque sanglante, une moitié de perdrix.
Le coup de poing a emporté le reste.
Allons ! nous ne sommes pas bredouille ! Le chien gambade et je me dandine d'orgueil.
Ah ! je mériterais un bon coup de fusil dans les fesses !
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