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2023/11/12

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白髪畑の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 白髪畑の怪【しらがばたのかい】 〔遊京漫録巻二〕やよひ<三月>十日、高野山のふもと矢立《やたて》といふすく[やぶちゃん注:「宿(しゆく)」。]を、つとめてたちいで、高野辻《かうやのつじ》と云ふ所より舟にて、紀の川をくだすに、川瀬はやくして、こなたかなたの岸の、猿なく声みゝにとゞまらずとも、いはまほしき所なり。五里ばかりくだりて、左に高くそばえたる山を、白髪畑といふ。かぢとりの物語るを聞くに、此ほど此嶺にあやしのもの出でて、人をとる事有りければ、紀の殿より、うての人たち、をとつひの日、此処にきたりて、とかくあなぐり[やぶちゃん注:探し求めること。]せらるれども、いまだとらへ得ずといふ。そはいかなる怪しのものにかと問ふに、舟人《ふなびと》くはしくかたり聞かするは、きさらぎ<二月>末つ方よりの事なりけり。この山の麓の村々の女、ともすればゆくりなく[やぶちゃん注:不意に。]うすることあり。はじめのほどはみそか男などのありて、心をあはせぬすみいにたるならんといひて、さがしもとめしかど、誰《たれ》ひとりさがし出でたるなかりければ、まよはし神《がみ》に誘はれつらんなど、いぶかりあへるほどに、誰いふとなく、白髪畑の山陰には、怪しのもの出でて、人をとり食らふとなりといひ騒ぎしかど、たしかに見たりといふものもなくて、日頃ふるに、此山のふもとに、某村とかいふありて、そこの村長(むらをさ)のむすめ、年はたちばかりなるが、ゐなかめづらしき容姿(すがたかたち)なりければ、とかくよばふ[やぶちゃん注:言い寄る。]人もおほかりけり。さるにはやくけさう[やぶちゃん注:「懸想」。]じける男ありければ、親のゆるさぬ中《なか》にて、にはかにこと男《をとこ》をむこにとらんとしけるを、女くるしいことに思ひて、みそか男[やぶちゃん注:「密男」。]とはかりて、夕月《ゆふづき》のたどだどしき[やぶちゃん注:おぼつかないさま。]にまぎれてあくがれ出でにけり。追ひくる人あらんをしのびて、山路《やまぢ》を経てのがれ行くに、うしろよりくるもの有り。男にやあらむ、女にやあらん、丈ひくき顔いとしわみて、かしらには、はりをうゑたるやうなる髪を、尺ばかりふりみだして、みる[やぶちゃん注:後に示す活字本は『海松(みる)』。海藻の緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile のこと。私の「大和本草卷之八 草之四 水松(ミル)」を参照されたい。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]のやうにさけわゝけたるつゞれ[やぶちゃん注:「襤褸」。]をきたるが、ゆきすがふまゝに、女をつとかき抱《いだ》きてはしり行くを、男おどろきて追ひかくるに、鳥のかけるやうにて、追ひつきがたし。この妖(あや)しのものは、いくたびかかへり見て、笑ふ笑ふゆくに、いつか行方《ゆくへ》を見うしなひぬ。男くやしさいはんかたなく、猶いかで女をとりかへさばやと、木の根、岩かど、たゞこえにふみこえて、山路《やまぢ》ふかくわけいるに、月なほ山の端《は》に残りて、木《こ》の間もるかげすごし。谷川の岸にいたりたるに、岸の向ひに、女ついゐたり[やぶちゃん注:佇(たたず)んで座っていた。]。うれしさいはんかたなし。声をあげてよぶに、かしこにもよぶ声す。見ればあやしのものもをらず。わたせる板橋《いたばし》をば、かしこの岸に引きあげおきたれば、渡るべきてだてなし。男大声に、その橋はや渡せといへど、女たゞ手をあげて、こなたをさしまねぐのみなり。男心いらだちて、いかでとくとくといふに、女物《もの》をたよりにて、たちあがらむとすれど足たゝず。こなたを見て泣くこと限りなし。男いとかひなきことといらだちて、いかにもしてその橋渡せとさけぶに、女またかしらのうへにおほへる松の大木《たいぼく》を指さして泣く。男目をさだめてよく見れば、松のうへに、妖しのもの登りゐて、下なる女をにらまへてをり。見るに恐ろしとは物かは。身の毛いよだちてわなゝかるゝよりほかなし。せむかたなく守りゐたるに、あやしのもの、木末《こずゑ》よりすらすらとおりて、女のもとゞりかいつかみて、あふのけにおしたふしぬ。女やゝとさけぶを、たしかにおさへて、つるぎのやうなる長き爪にて、乳《ち》のあたりより下へ二かへりばかりなづるやうにするに、きたるものも、むすびたる帯も、ずたずたにさけて、はだへのあらはるゝを、胸先《むなさき》にくちさしあつるやうにみゆるに、女あと一声《ひとこゑ》さけびて、のけざまにそるを、うごかしもあへず血をすふ。手足をわなゝかしてなきさけぶ声、いとかなし。男もたましひきえて、われさへ腰たゝずうつぶしぬ。やうやう血をすふにつけて、よわり行く声かすかなり。はては腹わたをかき出でてくひつくしぬ。さてなきがらをさかしまに松の枝に引きかけたるを、男一目見るより、まことにたえ入りぬ。つとめて[やぶちゃん注:翌朝。]逐《お》ひくる人々、此所まできたりて、男のたえ入りたる[やぶちゃん注:失神・気絶しているのである。]を、とかく見あつかふに、いき出でて、ありし事かたり聞えければ、人々おぢおそれて、つひにこの山に分け入ることたえにけり。そもそもこの山は、薪多くきり出だす山にて、殿《との》の御《おん》はやしも有りければ、かゝる事のありて、木こりども山にいる事かたきよし、うれへ申したりしかば、そのあやしのものとりて参らすべしとて、弓矢の道にかしこきもの、二十人ばかり遣はされにたり。きのふ見出でたりとて、とよみ[やぶちゃん注:「響(とよ)み」。大声で騒いで。]あへりしが、また見うしなひぬ。ひゝ[やぶちゃん注:「狒々」。猿の年経た妖獣。。]といふけものの、年経たるなるべしといふ人もあるを、かたへより、否あらじ、ひゝは人をとり食らふものにはあらず、猶ことものならむといへり。とまれかくまれ、殿のつはものかこみたれば、近きうちにたやすくうちとりなまし。今二日三日《ふつかみか》もおそくおはせば、とらへたるを見給はんにとかたりぬ。けしかる事をも聞くものか。かゝることは、そゞろなる昔物語にこそ聞きしか。[やぶちゃん注:ここは「こそ(已然形)、……」の用法であるから、読点であるべきところで、活字本もちゃんとそうなっている。]まのあたり見聞すべき事とは思はざりしを、片田舎には、今もなほあやしきことの有りけるはと、とかくもの語らふほどに、若山《わかやま》[やぶちゃん注:「和歌山」。]の城のべ近く舟はてにけり[やぶちゃん注:到着したのだった。]。

[やぶちゃん注:「遊京漫録」は医師で歌人・国学者でもあった清水浜臣(はまおみ 安永五(一七七六)年~文政七(一八二四)年)の文政二(一九一九)年二月から九月初旬に行った京阪・奈良・伊勢などを巡った際の紀行。文政三(一八二〇)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの「閑田耕筆 年々隨筆 遊京漫錄 花月草紙」(有朋堂文庫・昭和二(一九二七)年有朋堂書店刊)のここで正字で視認出来る。標題は『○白髮畑(しらがはたけ)の恠(くわい)』である。宵曲の標題と微妙に異なる。読みがかなり振られてあるので、一部、参考にした。

「やよひ十日」実は、この話、先の「上酒有りの貼紙」の次に配されてある譚であるから、文政二年三月と知れる。

「矢立」和歌山県伊都(いと)郡高野町(こうやちょう)花坂(はなさか)にある矢立であろうか(グーグル・マップ・データ)。

「高野辻」この附近にその地名があるが(グーグル・マップ・データ)、「紀の川」はずっと北の位置なので、恐らく、現行では地名は残っていないもっと北のようである。

「こなたかなたの岸の、猿なく声みゝにとゞまらず……」言わずもがなだが、上記の活字本の頭注にも、「唐詩選」でよく知られる李白の七絶「早發白帝城」(早(つと)に白帝城を發す)の転句「兩岸猿聲啼不」(兩岸の猿声(えんせい) 啼(な)いて住(や)まざるに)を洒落たもの。

「白髪畑」舟に乗った位置が判らないので、不詳。この名の山は現在はないようである。]

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