「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「犬」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
犬
ポアンチュウも、こんな季節になると外へ出しておくわけにはいかない。おまけに、扉(ドア)の下から銳い唸り聲を立てて風が吹きつけるので、彼は靴拭ひのところにさへゐられなくなる。で、もつといい場所を搜しながら、私たちの椅子の間に、そのごつい頭をもぐり込ませて來る。然し、私たちは、肘と肘をすれすれに、ぴつたりからだをくつつけ合つて、ぢつと火の上にかがみ込んでゐる。で、私はポアンチュウを一つひつぱたく。父は足で押しのける。おふくろは叱りとばす。姉は空のコップを彼の鼻先へ突きつける。
ポアンチュウは嚏(くしやみ)をして、それでも念のために、誰もいない臺所を覗きに行く。
やがてまた戾つて來ると、膝で絞め殺されさうなのもものともせず、無理やり私たちの圍みを押し破つて、たうとう煖爐の一角に辿り着く。
そこでしばらく愚圖ついた末に、たうとう薪臺のそばへ坐り込むと、もうそれつきり動かない。彼は主人たちの顏をぢつと見つめ、その眼つきがいかにもやさしいので、こつちもつい叱れなくなつてしまふ。ただ、その代り、殆ど眞つ赤になつてゐる薪臺と、搔き寄せた灰が、彼の尻を焦がす。
それでもそのままぢつとしてゐる。
みんなはまた彼に道をあけてやる――
「さあ、あつちへ行つて! 馬鹿だね、お前は!」
然し、彼は頑張つてゐる。で、野良犬(のらいぬ)どもの齒が寒さにがたがた顫へてゐる時刻に、ポアンチュウはぬくぬくと溫まり、毛を焦がし、尻を燒きながら、唸りたいのを我慢して、ぢつと泣き笑ひをしてゐる――眼にいつぱい淚を溜めたまま……。
[やぶちゃん注:哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiaris 。ボナールの絵がルナールの飼っていた犬の絵であるとすれば(その可能性は極めて高いとは思われる)、その表情と大きさから、私はローデシアン・リッジバック(Rhodesian Ridgeback/フランス語:Chien de Rhodésie à crête dorsale)か、その雑種のように思われる。同品種は南アフリカ及びジンバブエ(旧ローデシア共和国)原産のセントハウンド犬種の一品種である。参考にした当該ウィキによれば、『もととなった原種は』十六『世紀ごろから存在していた。その犬種は地元のホッテントット族が』、『古くから猟犬として飼育していたホッテントット・ドッグとヨーロッパのマスティフ』・『タイプの犬のミックスで、まだ品種としては確立されていなかった』とあり、猟犬としての資質を持っていることが判る(同ウィキの顔画像)。私が別に参考にしたフランス語の当該ウィキも見られたい。なお、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の後注によれば、『ルナールは一八五四年十二月九日づけのクルトリーヌ』(Georges Courteline 一八五八年~一九二九年:フランスの劇作家・小説家。ユーモア短編小説に次いで、喜劇「ブーブロッシュ」(Boubouroche:一八九三年初演)で成功、風刺の効いた一幕物に勝れ、「わが家の平和」(La Paix chez soi :一九〇三年) など、プチ・ブルの生活の滑稽さを暴いた一連のコメディにより、当時の演劇界に旋風を巻き起こした)『宛て書簡で』、『「もし君が惜しくなければ、『ケツにやけどをする犬』という君の着想を僕に使わせて欲しい。』『もし許してもらえるなら、返事は御無用」』『と記している』とあることから、このエンディングのシークエンスは事実ではなく、創作と考えてよい。さらに、続いて佃氏は「ポアンチュウ」(佃氏の訳では『ポアンチュ』)に注記号を打ち、ルナールの日記二箇所の条、及び書簡一通、と作品集『愛人』( La Maîtresse :一八九六年刊)を参照するように記されてある。二つだけ引くと、一九〇三年七月三十一日の日記(同全集第十四巻・柏木・北村・七尾・和田共訳)に、
《引用開始》
七月三十一日
フィリップは肉親というより、まさに伴侶である。
彼らは洗濯場のような所で暮らし、そこが気に入っている。戸はロープ一本で閉められているだけだ。夕立の時、ポワンチュは、それを開けて中に入るのだ。日本の前脚で押すだけでよい。
パリのどんな門番小屋でも彼らにはあまりに立派に見えるだろう。
《引用終了》
因みに、この「フィリップ」(Philipppe)というのは、ルナールの多くの著作に登場する主人公の使用人のモデルとなった、『ショーモとシトリーで』、『ルナール家の使用人であったシモン・シャリュモー』のことである(同全集第十六巻の「人名索引」に拠った)。最後のそれは、同作品集の掉尾にある短篇の、主部分を対話体にした小説“ Blandine et Pointu ”(「ブランディーヌとポワンチュ」)で、そこでは、地の文で、まさにルナールの飼っていた犬ポワンチュの病死が語られてある。同前全集の第六巻(北村卓訳)の当該作の北村氏の注に、この「ポワンチュ」と言う名は、女主人公の名「ブランディーヌ」が、『もともと、紀元一七七年六月二日、ポタン司教とともにリヨンで殉教した聖女の名前』であるとされ、その『ブランディーヌとともに殉教した聖ポタンPothin(ラテン語名Pothinus)の名も想起される』とあった。なお、戦後版とは異なり、次の「猫」と逆転して配されてある。この時の原語底本(書誌不明)がそうであったのであろう。なお、別に、フランスのブルターニュ地方原産の中型の鳥猟犬「ブリタニー・スパニエル」(英語:Brittany Spaniel)が知られ、フランス語では「エパニュール・ブルトン」(Epagneul Breton)とするのが、相応しいとも言えるか。――最後に――この章を六年前の先の十月二十六日に脳腫瘍で安楽死させた三女アリス(ビーグル犬)の御魂(みたま)に捧げる――
「薪臺」戦後版で『まきだい』とルビする。]
*
LE CHIEN
On ne peut mettre Pointu dehors, par ce temps, et l'aigre sifflet du vent sous la porte l'oblige même à quitter le paillasson. Il cherche mieux et glisse sa bonne tête entre nos sièges. Mais nous nous penchons, serrés, coude à coude, sur le feu, et je donne une claque à Pointu. Mon père le repousse du pied. Maman lui dit des injures. Ma soeur lui offre un verre vide.
Pointu éternue et va voir à la cuisine si nous y sommes.
Puis il revient, force notre cercle, au risque d'être étranglé par les genoux, et le voilà dans un coin de la cheminée.
Après avoir longtemps tourné sur place, il s'assied près du chenet et ne bouge plus. Il regarde ses maîtres d'un oeil si doux qu'on le tolère. Seulement le chenet presque rouge et les cendres écartées lui brûlent le derrière.
Il reste tout dé même.
On lui rouvre un passage.
- Allons, file ! es-tu bête !
Mais il s'obstine. A l'heure où les dents des chiens perdus crissent de froid, Pointu, au chaud, poil roussi, fesses cuites, se retient de hurler et rit jaune, avec des ]armes plein les yeux.
[やぶちゃんの原文への注:どうも、この引用元の、フランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文は、実はサイト版が元にしたサイトのものを加工データにしていることが、バレてしまった。最終行の“]armes”は“larmes”(淚)の誤植であり、これは戦後版で引いたものも同じミスだからである。気高いフランス人と雖も、この指摘には知らんふりするであろう。こっそり直しなせえ。]
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