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2023/12/23

只野真葛 むかしばなし (85) 馬鹿力の面々

 

一、徹山樣御代に、勝れたる力持(ちからもち)といはれし人、多き中に、砂金三十郞は、男振(をとこぶり)よく、大力にて、度々、江戸詰をせしが、智惠、うすく、みづから、力に、ほこり、大徒人(おほかちびと)なり。酒に醉(ゑひ)て歸る時は、辻番所を引(ひき)かへすが癖なり。寺のつき鐘を、はづして、困せたる事も有し、とぞ。

[やぶちゃん注:「徹山樣」平助が藩医を務めた仙台藩の第七代藩主伊達重村(寛保二(一七四二)年~寛政八(一七九六)年)のこと。彼の戒名は「叡明院殿徹山玄機大居士」。当該ウィキはこちら

「砂金三十郞」以下の話は「奥州ばなし」にも「砂三十郞」として、だいたい同内容の話が載るが、そちらでは「砂三十郞」(いさごさんじふらう)である。「金」は衍字のようにも思われるが、『日本庶民生活史料集成』でも『砂金』である。]

 いづくにや、

「細橫町に、化物、出(いづ)る。」

と云(いふ)評判なりしに、三十郞、

「行(ゆき)て、試見(こころみ)ん。」

とて、ゆきしが、餘り歸りおそき故、ある人、ゆきて、見たれば、塀《へい》かさの上に、またがりて居(をり)しとぞ。

「何故、そこには登りし。」

と、聲かけしかば、

「いや、此馬の口のこわさ、中々、自由、きかぬ。」

と、いひて有(あり)し、とぞ。

 いつか、ばかされたりしを、笑(わらは)られて、心付(こころづく)と、なり。

[やぶちゃん注:「細橫町に、化物、出(いづ)る。」『日本庶民生活史料集成』の中山栄子氏の注に、『仙台細横町とて』、『今も名が残っているが』、『昔』、『化物が出たという伝えがある』とあった。位置は、「あきあかね」氏のブログ「from仙台」の「細横丁の不思議(3)」が歴史的に追跡されて、地図も豊富であるので、是非、読まれたい。因みに「(1)」と、「(2)」もリンクしておく。なお、同氏のブログには『「化物横丁」の話』もあるが、そこは別な場所である。]

 其比、淸水左覺と云(いひ)し人も、大男にて、大力なりしが、おとなしき人なりし。

 されど、三十郞と、常に力を爭(あらそひ)て、たのしみとせし、とぞ。

 左覺、三十郞に向ひ、

「その方、力自慢せらるゝが、尻の力は、我に、まさらじ。先(まづ)、試(こころみ)られよ。」

とて、尻のわれめに、小石を、はさみ、三十郞に拔(ぬか)せしに、ぬき兼(かね)て有し、とぞ。

 左覺は、我(わが)思ふ所ヘ、一身の力をあつむる事、得手(えて)なりし。

 三十郞は、色々、惡じきをせしとぞ。何にても、食(くひ)たる物を吐(はか)んと思ひば[やぶちゃん注:ママ。]、心に隨(したがひ)て、はかれし、とぞ。昨日、くひたるこんにやくの刺身を、味噌と、こんにやくと、別々に、はきて、みせし、とぞ。

 或時、

「うなぎを、生(いき)ながら、食(くは)ん。」

とて、口中へ入(いれ)しに、手をくゞりて、一さんに腹中に入(いり)たりし。

 其(その)くるしき事、鎗にて、つかるゝ思ひ。さすがの我張(がはり)も、大きに、こまり、座中に有合(ありあふ)烟草盆のはいふきを、二ッすゝりしが、死(しな)ず、鹽一升なめてみても、死ず、濁酒(にごりざけ)を二升のみしかば、是にて、うなぎも、しづまりし、とぞ。

 さりながら、此あくじきにて、四、五日、腹を、わづらいし[やぶちゃん注:ママ。]、となり。

 左覺、

『又、三十郞を、なぶらん。』

と思(おもひ)て、

「貴樣、いろいろの惡じきをせらるゝが、犬の糞を、くふ氣は、ないか。」

 三十郞、

「いや。是は、くわれぬ。」

 左覺、

「それなら、おれが、食(くふ)てみせやふ[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、連立(つれだつ)て出(いで)、うす月夜(づきよ)の事なりしが、兼(かね)て、「むぎこがし」を、ねりて、きれいな石へ、糞の如く、つきかけて置(おき)しを、

「むさ」

と、つかみて、くひしかば、三十郞、大あやまりにて有(あり)し、とぞ。

 三十郞、娘、兩人有(あり)しが、いづれも大力にてありし。姊娘七ッばかりの比(ころ)、

「大根の香の物、漬(つけ)るに、おもはしき『おし石』、なし。」

とて、人の尋ぬるを見て、壱人(ひとり)、河原へはしり行(ゆき)て、よほど大きな石を持(もち)て來(きた)り、

「此石が、よかろふ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と云(いふ)を見て、何(いづれ)も膽(きも)を潰し、

「そんな大きな石を、子共は、持(もた)ぬもの。」

と、しかりしかば、ほめられんとおもひし心、たがひて、いそぎ、手をはなせし時、足の指の上におとして、二本、ひしげて、なくし、一生、かたわと成(なり)し、とぞ。

 其石を、かたづけるに、男二人にて、やうやう、持(もち)し、とぞ。

 外へ緣付(えんづけ)ても、力をば、隱して出(だ)さゞりしが、ある年の暮、年始酒を大桶に作(つく)て置(おき)しが、置所(おきどころ)のあしかりしを、置なほすには、外(ほか)へとり分(わけ)て、外(ほか)は動し難かりしを、兎角、人の噪(さはぐ)を、

「先(まづ)、まて。おれが、其まゝにて、置(おき)かへん。」

とて、やうやう、手の廻る程の桶に、酒の入(いり)たるを、輕々と外(ほか)の所へ持行(もちゆき)て、すゑたりし、とぞ。

「其外に、力わざせし事を見し事、なし。」

と、なん。

 次の娘は、幼少より江戶の奧に勤め、後(のち)、芳賀皆人(はがみなひと)妻に被ㇾ下て有(あり)し。是も、力有(ある)事を、誰もしらざりしが、勤中、御風入(おんかざいれ)有しに、俄(にはか)に夕立せし時、長持を、かた手打(てうち)に、

「ばらばら」

と御座敷へ、なげ入(いれ)し故、

「力持。」

と、人は、しりたり。

 父三十郞、江戶づめ中(ちゆう)、新橋の酒屋へ入(いり)て、酒をのみ居《ゐ》たりし内、はき物を、取られたり。

『歸らん。』

と思ひて、見るに、なし。

 亭主を呼(よび)て、

「おれがはき物が、なくなりしが、なぜ、始末をせぬ。」

と、いへば、

「おはき物の事は、私どもは、ぞんじませぬ。」

と云(いふ)を、ほろ醉(ゑひ)きげんのあばれ草(ぐさ)に、大きに怒り、

「此店に有(ある)うちは『且那』なり。「『だんな』のはき物しらぬ。」と、いはゞ、よし。其過代(あやまちだい)に、酒代は、はらはじ。」

と、いへば、

「それは、ちか比、御(ご)むりなり。」

と、いふ時、

「さあらば、吐(はき)て、かへすぞ。」

といひしま[やぶちゃん注:ママ。『日本庶民生活史料集成』版では]『といひさま』。「と言ひ樣」で躓かない。]、彼(かの)得手物(えてもの)の「わけ吐(はき)」に、酒は、ちろりへ、さしみは、皿へ、味噌は猪口(ちよこ)へと、其(その)入(いり)たりし、うつわ、うつわへ、吐(はき)ちらすを見て、

『あばれ者。』

と思ひ、さやうの時、取沈(とりしづめ)る爲(ため)、兼(かね)て賴みのわかい者、五六人、連來(つれきた)り、かゝらせしに、片手に攫(つか)みて、ひとつぶてに、なげのけ、なげのけ、御上屋敷(おんかみやしき)へ戾る道筋、

「やれ、あばれ者、あばれ者。」

と聲かくる故、何かはしらず、棒を持(もつ)て、人が、でれば、取返して、なぐり、梯子(はしご)をもつて、出(で)れば、それを取(とつ)て、先(さき)をなぐり、木戶を打(うて)ば、押破(おしやぶ)り、平地(ひらち)の如く、大わらはに成(なり)、白晝に、はだしにて、御門へ入りしかば、早々、仙臺へ下(くだ)され、其後(そののち)、のぼらず。あばれながらも、氣味よき事なりし。

一、覺左衞門養父、澤口忠太夫と云(いひ)し人も、勝(すぐれ)たる「氣丈もの」なりし。十の年[やぶちゃん注:本書の執筆年代以前で元号が「十」の「亥」年というのは、見当たらない。真葛の誤記であろう。]、かの細橫丁の化物を、しきりにゆかしがりて、

『いつぞ、行(ゆき)て、ためさん。』

と願(ねがひ)て有しが、冬の夜、やゝ更けて、外より歸るに、雪後、うす月の影すこしみゆるに、其橫丁を見通す所に至り、連(つれ)も、三、四人ありしを、つれの人にむかい[やぶちゃん注:ママ。]、

「扨。私も多[やぶちゃん注:当て字。底本では『(他)』と補っている。]、日比(ひごろ)、」『細橫町の、化物、出る。』といふを、行てためし見たく思(おもひ)しが、今夜、願(ねがひ)に叶ひし夜なり。何卒、一人(ひとり)行て見たし。失禮ながら、皆樣は、是より御歸り被ㇾ下ベし。打連行(うちつれゆけ)ば、化物も、おそるべし。」

と、云しとぞ。

 望(のぞみ)にまかせて、壱人、やりしが、連の人もゆかしければ、其所(そこ)をさらで、忠太夫が後ろ姿を守り居《をり》し、とぞ。

『中比《なかごろ》にも行きらん。』

と、おもふに、下に居(ゐ)て、少し、隙(ひま)どり、又、あゆみしが、又、下にゐて、何か隙どり、二、三間も行(ゆき)しとおもふと、又、下に居しが、月影に、

「ひらり」

と、刀の光、見えたり。

「たしかに、刀を拔しに、たがはず。いざ、行て、容子を問(とは)ん。」

と、足を、はやめて、何(いづ)れも來りし、とぞ。

「いかゞ仕(つかまつ)たる。」

と故(ゆゑ)をといば、

「扨、今夜のやうな、けちな目に逢(あひ)し事、なし。今朝(けさ)、おろしたる、がんぢき【「がんぢき」は、はき物の名なり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]の尾[やぶちゃん注:当て字。「緖」。]が、かたしづゝ、二度にきれしを、やうやう繕ひてはきしに、爰にて兩方一度に、又、きれし故、つくろわん[やぶちゃん注:ママ。]と思ひてゐし内、肩に掛りて、おすもの、有(あり)しを、引(ひき)はづして、なげ切(ぎり)にしたりしが、そこの土橋の下へ入(いり)し、と、見たり。尋ねて吳(く)れ。」

と、いひし故、人々、行て見たれば、小犬ほどの大猫(おほねこ)の、腹より咽(のんど)まで切れて有しが、息はたえざりしを、引出(ひきいだ)したり。

 忠太夫、かしらを、おさへて、

「誰ぞ、とゞめを、さしてくれ。」

と云しを、うろたへて、忠太夫が手を、したゝか、さしたり、とぞ。

 其(その)さゝれたる跡は、後(のち)までも有し、とぞ。

 取返して、忠太夫、とゞめ、さしたり。

 薦(こも)にくるみて、持歸りしが、首と尾は、垂(たれ)て出(で)たりし、とぞ。

 忠太夫は、鐵砲の上手なりし【猫の、勝(すぐれ)て大きなるは、いづくにて聞し咄しも、敷物などにくるめば、首と尾の後(うしろ)、先より出るほどか、狐か、ときこえたり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]

[やぶちゃん注:以上の話も「奥州ばなし 澤口忠大夫」に出ている。]

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