只野真葛 むかしばなし (94)
一、七月半頃、年魚《あゆ》、しきりにとれる時、夕方より雨ひまなくふりしに、
「こよひは川主(かはぬし)も漁には出(いで)じ。いざ徒ごとせん。」
とて、八弥、小性(こしやう)の梅津河右衞門をつれて、孫澤のかたへ、ぬすみ川つかひに行(ゆき)しに、狐火(きつねび)のおほきこと、左右の川ふちを、のぼり、くだり、數もしれざりし、とぞ。
『あの狐どもめが、魚を、くひたがりて。』
と、心中にくみながら、だんだん、河をのぼりて、魚をとることおびたゞしく、
「大ふごに、一ぱいとらば、やめん。」
と約束して、とりゐるうち、はるか河上(かはかみ)にて、大かがりをたく影、見えたり。
ふと、みつけて、兩人とも、立(たち)よどみ、
「もしや、この雨にも、河主の、年魚とりに、いでしや。」
「何にもせよ、今、少しにて、一ぱいになれば、やめずに、とるべし。くらき夜なれば、よも見つけられじ。」
と、やはり、魚をとりゐたるに、かゞりの置(おき)所より、人、壱人(ひとり)、たひまち[やぶちゃん注:底本にママ注記あり。「たいまつ」(松明)。]を付(つけ)て、川に、をりき[やぶちゃん注:ママ。]たり、「夜ともし」をするていなり【「夜ともし」とは、よる、川中へ、かがりをふりて、魚をとることなり。]】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。
『すわや[やぶちゃん注:ママ。「すはや」が正しい。]。』
と、心さわぎしかど、
『あなたは、壱人、こなたは、兩人なれば、見とがめらるゝとも、いかゞしてか、のがれん。』
と、心をしづめて見居(みゐ)たりしに、よく打(うち)まもりて、河右衞門が曰(いふ)、「あれは、人にたがはぬやうなれども、誠の人にては、あらじ。持(もち)たる火の、上にのみ、上りて、下に落(おつ)ることのなきは、まことの火に、あらず。」
といふ故、よく見るに、いかにも、あやしき火なり。
兩人、川中に立(たち)て、おどろかで、有(あり)しかば、一間ばかり、ちかくへ、來りて立居(たちをり)しが、
『ばかしそこねし。』
とや、おもひけん、人の形は、
「はた」
と消(きえ)て、あかしばかり、中《ちう》をとびて、岡へ上りし、とぞ。
「まさしく、ちかく、狐のばけたるを見しこと、はじめてなり。」
と、八弥、はなしなり。
河右衞門は、眞夜中に、河をつかひて、物におどろかぬ人なり。
覺左衞門、はなし。
[やぶちゃん注:以上は、「奥州ばなし 狐火」と、ほぼ同内容である。そちらで、綿密に注を附してあるので、見られたい。]