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2023/12/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「天狗礫」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 天狗礫【てんぐつぶて】 〔笈埃随筆巻一〕佐伯玄仙といふ人、豊後杵築の産なり。今京に住めり。この人の云ふ。国に在りし時、雉子打たんがため夜込みに行きたりしが、友二三人銘々鳥銃《てつぱう》携へて行けり。とある山道へかゝり所に、左右より石を投げたり。既に中(あた)りつべく覚えて大いに驚きたる中に、よく心得たるものあり。押静め、先づ下に坐せよと云ひて、言を交へず黙して居《ゐ》るに、夥しき大石頭上に飛違ふ程なり。その響きおびただし。暫くして止みければ、立上つて行きける。心得たる友の云ふ様、これを天狗礫といふ、曾て中(あた)るものにあらず、若しあたりたらんものは必ず病むなり、またこの事に逢へばかならず猟なし、今宵帰るには道遠ければ、是非なく来《きた》るといふ。果してその朝ひとつも打得ずして帰りぬとなり。

[やぶちゃん注:これは先の「山神の怪異」に続く附記(但し、冒頭を一部カットしている)である。そこでも述べたが、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部の後方附記で正規表現で視認出来る。標題は『○山神の怪異』であるが、これは、「柴田宵曲 妖異博物館 そら礫」の私の注で完全版を正規表現で電子化してあるので見られたい。この天狗礫は、私の怪奇談集では常連で、枚挙に遑がない。当該ウィキもある、妖異のレギュラー・メンバーである。因みに、その事例にある錦絵新聞『東京絵入新聞』明治九(一八七六)年三月十四日の記事にあるとする、『屋外ではなく家の中に天狗礫が起きたという事例』があげられてあるが、これ、容易に止まず、『警察に届け、巡査が家を訪れたところ、巡査の目の前でも石の降る怪異は起きた。その内に噂が広まって見物人が押し寄せてきた。そんな中を小林長永という人力車夫が現れ、自分が狐狸を追い払う祈祷を行い、それで効果がなければ専門の先生を紹介すると申し出たので、繁次郎は喜んで同意した。この祈祷の効果については、『東京絵入新聞』には記載されていない』とあるのは、その引用元とは編著者が同じ湯本豪一で一九九九年柏書房刊の所持する「明治妖怪新聞」に載る(但し、全文が新字処理をされてある)。ここで、一つ、全文の漢字を恣意的に正字化して再現してみる。読みは総て採用した。なお、同底本にある挿絵もトリミング補正して、冒頭に配した。

   *

 

Eirisinbun1

 

 是(これ)は不思議なお話しですが、元大工(もとだいく)町一番地中澤繁次郞(なかざはしげじらう)(道具屋)の居宅(うち)では去る十日の正午(まひる)頃から一時間ばかり何所(どこ)からともなく小石が家の中に降るから家内は駭(おどろ)いたが繁次郞の父中澤重經(なかざはしげつね)は二年越しの病氣ではありこんな變事(へんじ)は聞せたくもなし又世間へも知らせたくないと降た石を神棚(かみだな)に上げ神酒(みき)よお備(そな)へよと御馳走(ごちそう)をして何卒(どうぞ)降らないやうにと女房が祈ると降た石が自然となくなるかと思ふと又始めより烈しく降るゆゑ是は狸の所爲(わざ)であらう亭主が脇差(わきざし)を拔て振𢌞しても些(ちつ)とも利かず每日刻限を切て降るから去十二日其筯へ屆けたので巡査(おまはり)は一個(ひとり)づつ其道具屋に詰られても矢張刻限になると石が降るから近所は大評判になり門口(かどぐち)へは見物が黑山のやうに立てば内では狸を追出すとて蕃椒(たうがらし)を熏(いぶ)し立る大騷ぎの所へ風(ふ)と一個(ひとり)の人力車曳(じんりきしやひき)が來て「此身(わし)は淺草(あさくさ)北富坂(きたとみさか)町に小林長永(こばやしちやうえい)と言ふ者だが、今江戶橋(えどばし)で客待をして居て石の降る咄(はな)しを聞ましたが狐狸(こり)の所爲(わざ)に違ひないから祈禱をしえ進ぜやう。倘(なほ)此身(わたし[やぶちゃん注:前とルビが異なるのはママ。])で屆かずば淺草西鳥越(にしとりごえ)の御禊所(みそぎじよ)の先生を賴んで進(あげ)やう」と言(い)へば繁次郞は歡(よろこ)んで何分お願ひ申ますと答へたので今十四日から祈禱にかかるとやら言ふ事だが何だかはや新聞屋(しんぶんや)には解(げ)し兼(かね)る咄(はな)しであります。

   *

まず、この怪異というか事件は、「天狗礫」ではなく、「石打」であり、警察に訴え出て、巡査が張込みしたと記してあるからには、創作ではない事実である。而して、巡査が詰めても発生したからには、「石打」の真犯人は明らかに外部の人間ではなく、家内の者である。挿絵には、繁次郎と思われる人物が驚くさまの右手には、妙に着飾った、しかも簪はかなり豪華で、およそよほど若い女性でなくては、挿さないものが描かれている。左の人物が繁次郎とすれば、かなり若く、右手の女性が彼の若妻とするのは全く無理がない。この家には先代の重経が病床に臥している。この若妻らしき妻は、服装からして、およそ父の看護などしていないことは明白である。亭主繁次郎は道具屋であるから、介護をしているのは、雇われた未婚の未成人の若い下女であろう。その下女の鬱憤がこの「医打」の擬似怪談の真犯人であろうことは、最早、明白と言える。さらに言えば、それに乗じて、突如、やって来る浅草北冨坂町の人力車曳き風情が、「小林長永」と、えらくしっかりした祈禱師めいた元武家みたような姓名を名乗り、「祈禱をして進ぜよう」と進んで言い出すのは、如何にもおかしいではないか。或いは、この登場しない下女は、この富坂町から奉公しており、この「小林長永」のみならず、「淺草西鳥越の御禊所の先生」というのも、みんな、グルであって、介護を嫌ってやめたい下女が「石打」を始め(誰かの入れ知恵とも考えられる)、知り合いの人力曳きに頼み、一儲けしようとしているのは見え見えであると私は思う。前の「礫打つ小者」でちらと述べた(私のそれぞれの事件を記した記事へにリンク有り)、「池袋の女」や「池尻の女」の近世の同様の擬似怪談は、明治になっても、至極、健在だったのである(それは井上円了の著作等で確認出来る)。少し、脱線になってしまったが、この話、ウィキの「天狗礫」に入れるべきケースでは全くなく、しかも意識的詐欺、さらには、高い確率で、主体者である個人(下女)だけではなく、複数のその協力者を持った、最近流行りの詐欺グループまがいのそれというのが正しいと私は断ずるものである。]

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