只野真葛 むかしばなし (101)
一、女の惡念、むくひをなすも珍らしからず。是は、其人をしりし故、しるす。
赤羽邊の十萬石餘の大名の家中、用人などつとめし人にや、娘、壱人(ひとり)持(もつ)て、むこ養子をせしに、よき息子をもらひあてゝ、諸藝も大(たち)ていに心得、男ぶりよく、當世風のきれゝもの、何にも、ぬけめなく、二親(ふたおや)に、よくつかへ、いひぶんもなかりしを、娘、大惡女(おほわるをんな)、心ざまも、荒々しく、
「一人娘。」
と、もてはやされし故、氣まゝにて、たをやかならざりしを、男は、若氣(わかげ)のいたり、信實(しんじつ)、『氣に、いらず。』おもひて有(あり)し、とぞ。
すでに、日限(にちげん)をきわめて、婚禮、とゝのへんと云(いふ)時、むこは、里に歸りて、來らず、實(まこと)の兩親へ、願ふは、
「あの娘につれそふことなら、あの家は、つぎがたし。いかなる身に成(なる)とても、御免被ㇾ下ベし。」
と、いふ故、やみがたく仲人(なかうど)して、其ことを、養家へ、つげしかば、養父母、殊の外、なげきいたみ、
「わが子ながらも、娘が心は、よくもおもはれず、此養子をとりはづしなば、けして[やぶちゃん注:ママ。]、外(ほか)によき人、有(ある)べからず、もし、よき人をたづねとるとも、又、むすめを、きらはん、うたがひなし。いかにせん。娘をば、他へ緣付(えんづけ)て、此養子を、よびかへさん。」
とて、まづ、そのあらましを、娘に語りきかせしに、娘は、「よき男を持(もち)し。」とて、下悅(したよろこびし)て有(あり)しを、かく、「きらはれし。」と聞(きき)て、たけだけしき心に、いかゞおもひひけん、
「とても、そはれぬこと。」
と、いはれ、前後無言にて居《ゐ》たりしが、
「はて、殘念な。」
と、一聲、さけびし音、隣までもきこへて、
「おそろしき大音なりし。」
とぞ。
其後(そののち)、無言・絕食にて、死せし、とぞ。
食をたちしは、七日(なぬか)なり。
末期(まつご)の樣子なども、おそろしきことなりし、とぞ。
とりおきすみて後(のち)、養子は歸りしが、兩親[やぶちゃん注:聟養子となった亡き娘の両親。]の前、悔(くやみ)をいふも、すみ付(つき)あしく、おかしなものにて有(あり)しなり。
二親、繁昌のうちは、遠慮して、妻も持ざりし、とぞ。
其間(そのあひだ)に、娘がうらみのおもひにや、鼻の上に、はれ物、いでゝ、二、三年、なやみ、終(つひ)に直りたれども、はれは、ひかず、赤味も、一生、とれず、男ぶり、あしく成(なり)たり。つとめのさわり[やぶちゃん注:ママ。]には、ならず。
二親、なくなりて後(のち)、妻をもとめしが、中(なか)むつまじく、子も、壱人、もちて、何事もなかりしに、夫婦とも、酒好(さけずき)にて、夏になれば、庭にすゞみ臺を置(おき)て、夫婦さかもり、下女は、ねかして、さしむかひ、さしつ、おさへつ、たのしみしに、かはりばんに[やぶちゃん注:かわりばんこに。]酒の燗(かん)をしに行(ゆく)さだめにて有(あり)しに、夫(をつと)の酒の燗をしに行(ゆき)し内(うち)、
「ワツ。」
と、一聲、たまぎる音(こゑ)せし故、おどろきて來り見れば、妻は、すゞみ臺より、おちて、氣絕して居(ゐ)たり。
「藥よ、針よ、」
と、さわぎしが、終(つひ)に本意(ほい)つかず、それが限りにて、有(あり)し、とぞ。
其後(そののち)むかへし妻も、男子、壱人、持(もち)て、三年めの夏、
「行水(ぎやうずい)を、つかふ。」
とて、湯殿にて、一聲、さけびしが、それ切(きり)にて死し、三度めの妻も、やはり、子、一人有(あり)て、三年目におなじことにて、死(しし)たり。
むかしの、日向《ひなた》とう庵は、病家のうへ、近所なれば、分(わけ)て懇意にて、つねに來て、日向の家に、はなし居(をり)し、とぞ。
三度めの妻、絕入(たえいり)しときは、碁寄合(ごよりあひ)にて、日向に有(あり)しに、内のものあわたゞしくかけ付(つけ)、
「御新造樣が、氣絕被ㇾ成(なされ)ました。」
と、つげしかば、其人は、げうてんの色なく、
「はてこまつたものだ。また、いきまひ[やぶちゃん注:ママ。「生きまい」で「生きてはおられまい。」の意であろう。]。」
と、いひし、とぞ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落している。]
それより、無妻にて有(あり)しが、あるとし、日向の家内(いへうち)とつれ立(だち)、船遊山(ふなゆさん)にいでし時、ひとつに來りて有(あり)しが、十ばかりの男子をつれて來りし。
[やぶちゃん注:「ひとつに」ここは「夫婦連れで」の意であろう。以下のそれは、その女の年であろう。]
五十ばかりの人なりし。
子共あれば、跡はたへず、男ぶり、あしくても、武士のじやまにもならず。
たゞ、當人に、手不自由をさせるやうな、祟りやうなり。
一、細川樣御家、中井上加左衞門といひし人も、むこ養子にきて、家娘をきらひし人、なり。是も、おなじやふなことにて引(ひき)とりて後(のち)、二親の氣に入(いり)ながら、妻になるべき女をきらひて、
「いかにも、夫婦と成(なり)がたき。」
よしを、兩親ヘ願(ねがへ)しゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、他へ緣付(えんづけ)るはづにて有(あり)しを、娘も、意地はりものにて、自由にならず、
「一生、御奉公せん。」
と、いひて、其御殿へ上りしを、家娘故、加左衞門、姊分にしてうやまへたりしに、ねだりごとや、氣まゝは、いひ次第にて、其妻女となれば、いぢめ、いぢめして、氣恨(きこん)つゞかず、病死すること、三人。
加左衞門は、ちと、ひんしやんとした人物にて、みなりをはじめ、萬事、りつは好(すき)[やぶちゃん注:「立派好(りつぱず)き」。]、きれ口をきゝて[やぶちゃん注:啖呵(たんか)を切ること。威勢のよい放言をすること。]、身つまりと成(なり)、自殺して、はてたり。家娘を養子のきらふは、よろしからぬ事か。
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