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2023/12/22

フライング単発 甲子夜話卷二十 26 玄海にて人魚を見る事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。カタカナの読みは総て静山自身のルビである。珍しくかなり打たれてある。]

 

20―26

 人魚のこと、大槻玄澤が「六物新志」に詳(つまびらか)なり。且つ、附考の中(うち)、吾國、所見を載す。

 予が所聞(きくところ)は、延享の始め、伯父母(おぢ・おば)二君【本覺君。光照夫人。】)平戶より、江都(えど)に赴(おもむき)給ひ、船、玄海を渡るとき、天氣晴朗なりければ、從行(じゆうかう)の者ども、船櫓(ふなやぐら)に上(のぼ)りて眺臨(ちやうりん)せしに、舳(へさき)の方(かた)、十餘間の海中に、物、出(いで)たり。

 全く、人體(じんてい)にて、腹下は見へ[やぶちゃん注:ママ。]ざれども、女容(ぢよよう)にして、色、靑白く、髮は、薄赤色(うすあかいろ)にて、長かりし、とぞ。

 人々、怪しみて、

「かゝる洋中(なだなか)に、蜑(あま)の出沒すること、有(ある)べからず。」

抔(など)、云ふ中(うち)に、船を望み、微笑して、海に沒す。

 尋(つい)で、魚身、現れ、又、沒して、魚尾(ぎよび)、出(いで)たり。

 この時、人、始めて、

「人魚ならん。」

と云へり。

 今、「新志」に載(の)る形狀を照(てら)すに、能(よく)合ふ。

 漢・蠻、共に、

「東海に有り。」

と云へば、吾國内にては、東西二方も見ること有る歟(か)。

■やぶちゃんの呟き

「人魚」海域にやや問題があるが、漂流個体は九州・本州・四国でも目撃されているから、私は、まず、哺乳綱カイギュウ目ジュゴン科ジュゴン Dugong dugon としてよいように思われる。アシカやオットセイよりも、遙かに♀の「人魚」に誤認されやすいからである。

『大槻玄澤が「六物新志」仙台藩江戸定詰藩医で蘭医の大槻玄沢(宝暦七(一七五七)年~文政一〇(一八二七)年:陸奥生まれ。名は茂質(しげたか)。号は磐水。杉田玄白・前野良沢について学んだ。学塾「芝蘭堂」(しらんどう)を江戸に開き、また、蘭書翻訳に従事した)の「六物新志」は天明元(一七八一)年序で、同六(一七八六)年刊。私のものでは、『毛利梅園「梅園魚譜」 人魚』が最も適切であろう。同書の人魚の画像も挙げてある。

「延享の始め」延享は五年までで、一七四四年から一七四八年まで。徳川吉宗は延享二年十一月に家重に将軍職を譲っている。静山は宝暦十年一月二十日(一七六〇年三月七日)生まれで、未だ生れていない。

「伯父母(おぢ・おば)二君【本覺君。光照夫人。】この「光照夫人」から解読すると、志摩国鳥羽藩二代藩主(鳥羽藩稲垣家六代)稲垣昭央(てるなか 享保一六(一七三一)年~寛政二(一七九〇)年)の正室は松浦誠信(さねのぶ)の娘で、院号を光照院という。誠信は、長男の邦(くにし)の死後、後継者を三男政信と定めていたが、その政信は明和八(一七七一)年に、やはり、父に先立って死去したため、嫡孫である政信の子の清(静山)を後継者として定めたので、事実上は大伯母であるが、実質的な家督嗣子の関係からは「伯父」「伯母」と称して問題ない。

「十餘間」十間は約十八メートル、十一間でほぼ二十メートルだから、十九メートルほどであろう。

「髮」ジュゴンの好物は海底の砂地に植生する単子葉植物綱オモダカ目トチカガミ科ウミヒルモ属 Halophila等の「海草」であるが、「薄赤色(うすあかいろ)にて、長かりし」とあり、沿岸ではなく、沖での目撃であるから、千切れて海面を漂流することがよく見られる、褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属 Sargassum 等の「海藻」が頭部に引っ掛かっていたものとすれば、問題ない。

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