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2023/12/21

フライング単発 甲子夜話卷九 25 誠拙和尙、南禪寺にて天狗を戒むる事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

9-25

 寬政の末、誠拙和尙、南禪寺の夏結制(げけつせい)に招かれて到(いたり)たるとき、かの後山(こうざん)の上にて、衆人の舞ひ歌ふごとき聲、頻(しきり)に聞ゆ。一山(いつさん)の人、皆、聞けり。

 因(よつ)て云ふ。

「これは、誠拙の來たるを、天狗の悅びて、如ㇾ此(かくのごとし)。」

と。

 又、同(おなじ)時、誠拙、厠(かはや)にゆくとき、草履を厠外に脫置(ぬぎおく)に、出(いで)て見れば、いつも、正しく雙(なら)べあるゆゑ、不審に思ひ、侍者に問(とひ)たるに、皆、知らず。これも、

「天狗の所爲(しよゐ)なり。」

と、人、言ひき。

 又、一日、鐵鉢(てつぱつ)に飯を盛りて、本堂の佛前に供し、大衆(だいしゆ)、勤行(ごんぎやう)に及ばんと爲(す)るに及(およん)で、鐵鉢、なし。

 誠拙、恚(いか)り、一僧に命じて、鎭守祠(ちんじゆのほこら)の前に焚香(たきかう)し、守護の疎(おろそか)なるを、告(つげ)しむ。

 其日、誠拙が宿院の庭籬(にはまがき)に、かの鉢を載せて、その邊(あたり)に、血痕、殷殷(いんいん)たり。

「これ、天狗の、護神の譴(せめ)をうけし。」

と云ふ。

 此事、吾(われ)、雄香寺(ゆうかうじ)の耕道和尙、その頃、侍者にて目擊せしよし、印宗和尙、語れり。印宗も誠拙に常に隨從せし弟子なり。

■やぶちゃんの呟き

 この話は、最初の部分が酷似した話が、同じ「甲子夜話」の「卷之六十四」の三条目、「南禪寺守護神」として出る。そこの注で私が電子化したものを示すと、

   *

享保辛酉の夏、鎌倉圓覺寺の誠拙和尙、京都南禪寺の招に依て上京淹留す。このとき寓居の院は、南禪の山中嶮峰の下に在り。然るに和尙淹留中、晴天月夜などには、時々深更に及び峰頂にして數人笛を吹き、鼓を鳴し、歌舞遊樂の聲頻なること數刻。この峰頂は尋常人の至る處にあらず。因て初は從徒もあやしみ驚きたるが、山中の古老曰ふには、この山中、古代より吉事ある時は、必ず峰頂に於て歌舞音曲の聲あり。これ守護神の歡喜する也と。守護神は天狗なりと言傳ふ【印宗和尙話】。

   *

そこで注したが、享保年間に「辛酉」(かのととり)の年はない。私はそこで、『享保二(一七一七)年丁酉(きのととり)或いは享保六(一七二一)年辛丑(かのとうし)の誤りであろう』としたのだが、干支を誤るのは、史料では最も資料としての価値が失われるため、最も忌避されるものである。而して、この酷似した内容から、私は、以上の静山が語った二つの話柄に限って言うならば、寛政十三年辛酉の出来事であったとするのが正しいと感じた。さらに、本篇の後の二話も宵曲が、『鎌倉圓覺寺の誠拙和尙が、南禪寺の招きによつて上京し、暫く逗留して居つたが』と枕するところから、この年の体験であったと断ずるものである。何故なら、以下の注を見ると判る通り、誠拙が円覚寺前堂首座になったのは天明三(一七八三)年であり、わざわざ、禅宗の頂点にある名刹南禅寺が、まだ、形式上、修行僧でしかなかった彼を、享保年間に招くことは考え難いと判断したからである。

「寬政の末」寛政十三年二月五日(グレゴリオ暦一八〇一年三月十九日)に「享和」に改元している。

「誠拙和尙」誠拙周樗(せいせつしゅうちょ 延享二(一七四五)年~文政三(一八二〇)年)は伊予生まれの傑出した臨済僧で歌人としても知られた。円覚寺の仏日庵の東山周朝に師事し、その法を継ぎ、天明三(一七八三)年に円覚寺前堂首座に就任した。書画・詩偈も能くし、茶事にも通じ、出雲松江藩第七代藩主で茶人としても知られた松平不昧治郷とも親交があった。香川景樹に学び、歌集に「誠拙禅師集」がある。文政二(一八一九)年に相国寺大智院に師家として赴任したが翌年、七十六で示寂した。(以上は思文閣の「美術人名事典」及びウィキの「誠拙周樗」に拠った)。松浦静山(宝暦一〇(一七六〇)年~天保一二(一八四一)年)より十五年上になるが、同時代人である。

「南禪寺」京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派大本山瑞龍山南禅寺。「京都五山」及び「鎌倉五山」の上に置かれる別格扱いの寺院で、本邦の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺である。

「夏結制」狭義には「夏安居」(げあんご:仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をした、その期間の修行を指した。多くの仏教国では、陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」(いちげくじゅん)・「一夏」、或いは、「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す)の初日で、陰暦四月十五日。「結夏」(けつげ)とも言い、終了は「解夏(げげ)」と呼ぶ。

「殷殷」物音が盛んに轟渡るさま。

「雄香寺」長崎県平戸市にある臨済宗妙心寺派俊林山(しゅんりんさん)雄香寺(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、元禄八(一六九五)年に『当時の』第五代『平戸藩主松浦棟』(たかし:第九代藩主静山の曽祖父の長兄)『により』、『的山大島の江月庵を移し』、『現在地に建立された。開山は棟が師事していた禅僧の盤珪永啄。棟以降』、『歴代平戸藩主の菩提寺となった』とある。無論、静山の墓もここにある。

「耕道和尙」詳細事績不詳。

「印宗和尙」不詳。明山印宗という法力抜群の禅僧がいるが、誠拙周樗より前の人物であるから、違う。

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