柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「宙を行く青馬」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
宙を行く青馬【ちゅうをゆくあおうま】 〔我衣十九巻本巻十一〕多紀安長先生<医家>の三番目の弟は、貞吉殿とて、幼稚より医をきらひ、儒学の功つもりて一家をなし、頗(すこぶ)る雅《みやび》も有りて、医学館の傍(そば)に住まれし。七月十八日の夜、家内の男女三四人連れて、両国橋に暑をさけんと、夜行の帰りは九ツ時<夜半十二時>過にや成りけん。広小路も人まばらにして、月さへよく照り増りたるに、いがらしが家の上比(ころ)と覚えし所より、花火の如き物飛出《とびいで》て、元柳橋の方へゆらめき行く。あれよと見上げたるに、その後より狩衣(かりぎぬ)着たる人の青馬に乗りて宙を行く。その高さ壱丈ばかり上なり。馬の膝より上は見えて、蹄のあたり見えず。皆恐怖して目と目を見合せ、忙然たるばかりにて、女などは戦慄して宿所に帰りて、その夜一目も合はずと[やぶちゃん注:一睡も出来なかったとのこと。]。その兄御成山崎宗固に右の趣《おもむき》語られしを、師君の於二御城直一聞かれしと予<加藤玄亀[やぶちゃん注:作者加藤曳尾庵の本名。]>に語り給ふ。いかなるものなるや。不審(いぶか)しきの極《きはみ》といふべし。
〔街談文々集要丙子の中〕同丙子<文化十三年>七月十七日の夜、萌黄(もえぎ)の狩衣を著し、あし毛の馬に乗りて天を飛びしものあり。両国広小路にて見しもの多くあり。此とびものの時、馬の先ヘ立て火の王も飛びしよし。翌日広小路の講釈師、この事を咄したるよし。奇怪なる事なり。
[やぶちゃん注:前者「我衣」は先の「紅毛人幻術」の注で述べた通りで、原本に当たる気にならない。悪しからず。
「街談文々集要」作者は石塚豊芥子(別名「集古堂豊亭」 文政一一(一七九九)年~文久二(一八六二)年)。文化・文政期(一八〇四年~一八二九年)の巷間の聴書を記したもの。国立国会図書館デジタルコレクションの『珍書刊行會叢書』第六冊(大正五(一九一六)年珍書刊行会刊)のここで視認出来る。標題は『第七 闇夜飛妖物』(やみよえうぶつとぶ)。以上の二話は日付の変わる時間であるから、同一の現象を語ったものと考えてよい。逆転層等による蜃気楼現象とみて問題ない。宵曲は余程、この手の話が好きだったようで、既に先行する「馬にて空中を飛来る」でも採用しており、それも文化十三年で、全く同じの話である。「もう飽きました。宵曲せんせ!」]
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