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2023/12/24

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猫の報恩」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 猫の報恩【ねこのほうおん】 〔閑窻瑣談巻一〕遠江国蓁原郡御前崎<静岡県榛原《はいばら》郡御前崎町>といふ所に[やぶちゃん注:「         蓁」は「榛」の異体字。]、高野山の出張にて西林院といふ一寺あり。この寺に猫の墓、鼠の猫といふ石碑二ツ有り。そもそも此所は伊豆の国石室崎<静岡県賀茂郡南伊豆町>、志摩国鳥羽の湊<三重県鳥羽市>と同じ出崎《でさき》にて、沖よりの目当《めあて》に、高燈籠《たかどうろう》を常燈としてあり。されば西林院の境内にある猫塚の由来を聞くに、或年の難風《なんぷう》に、沖の方《かた》より船の敷板(いたご)に子猫の乗りたるが、波にゆられて流れ行くを、西林寺の住職は丘の上より見下《みおろ》して、不便(ふびん)の事に思はれ、舟人《ふなびと》を急ぎ雇ひて小舟を走らせ、既に危き敷板の子猫を救ひ取り、やがて寺中《ぢちゆう》に養はれけるが、畜類といへども、必死を救はれし大恩を深く尊《たっと》み思ひけん。住職に馴れて、その詞《ことば》をよく聞きわけ、片時《へんじ》も傍《かたはら》を放れず。かゝる山寺にはなかなかよき伽《とぎ》を得たるこゝちにて寵愛せられしが、年をかさねて彼《かの》猫のはやくも十年を過《すご》し、遖《あつぱ》れ[やぶちゃん注:実は底本も『ちくま文芸文庫』版も『遖(あは)れ』とルビするのだが、従えないので、特異的に後に示す活字本に従った。]逸物《いちもつ》の大猫《おほねこ》となり、寺中には鼠の音も聞く事なかりし。さて或時寺の勝手を勤める男が、縁の端に転寐《まろびね》して居《ゐ》たりしに、彼《かの》猫も傍《かたはら》に居《ゐ》て庭をながめありし所へ、寺の隣なる家の飼猫が来りて、寺の猫に向ひ、日和《ひよい》も宜《よろ》しければ伊勢ヘ参詣(まゐら)ぬかといへば、寺の猫が云ふ。我も行きたけれど、この節は和尚の身の上に危き事あれば、他《た》へ出で難しといふを聞《きき》て、隣家《りんか》の猫は寺の猫の側《そば》近くすゝみ寄り、何やら咡(ささや)き合ひて後《のち》に別れ行きしが、寺男は夢現(ゆめうつつ)のさかひを覚えず。首《くび》をあげて奇異の思ひをなしけるが、その夜《よ》本堂の天井にて、いと怖ろしき物音し、雷《らい》の轟《とどろ》くにことならず。この節《せつ》寺中には、住職と下男ばかり住みて、雲水の旅僧《たびそう》一人《ひとり》止宿(とまり)て四五日を過《すご》し居《ゐ》たるが、この騒ぎに起きも出でず。住持と下男は燈火《ともしび》を照らして、かれこれと騒ぎけれども、夜中《よなか》といひ、高き天井の上なれば、詮方なく夜《よ》を明《あか》しけるが、夜明《よあけ》て見れば、本堂の天井の上より生血《なまち》のしたゝりて落ちけるゆゑ、捨ておかれず、近き傍《あたり》の人を雇ひ、寺男と俱(とも)に天井の上を見せたれば、彼《かの》飼猫は赤(あけ)に染《そ》みて死し、またその傍《かたはら》に隣家《となり》の猫も疵を蒙りて、半ば死したるが如し。それより三四尺を隔りて、丈《た》け二尺ばかりの古鼠《ふるねづみ》の、毛は針《はり》をうゑたるが如きが生じたる、怖ろしげなるが血に染《そま》りて倒《たふ》れ、いまだ少しは息のかよふ様《やう》なりければ、棒にて敲き殺し、やうやうに下へおろし、猫をばさまざま介抱しけれども、二疋ながら助命(たすから)ず。かの鼠はあやしいかな、旅僧の著《き》て居《ゐ》たる衣《ころも》を身にまとひ居《ゐ》たり。彼れこれと考へ察すれば、旧鼠(ふるねづみ)が旅の僧に化けて来り、住職を喰《く》はんとせしを、飼猫が旧恩の為に、命を捨てて住職の災ひを除きしならんと、人々も感じ入り、頓(やが)て二匹の猫の塚を立て回向《ゑかう》をし、鼠もいと怖ろしき変化(へんげ)なれば捨ておかれずと、住持は慈悲の心より、猫と同じ様に鼠の塚を立て法事をせられしが、今猶伝へてこの辺を往来《ゆきき》の人の噂に残り、塚は両墓《ふたつ》ともものさびて寺中に在り。(予が友人伝菴桂山《でんあんけいざん》遊歴の節《とき》に、彼《かの》寺にいたりて書《かき》とゞめしをこれに出《いだ》せり)

[やぶちゃん注:「閑窻瑣談」江戸後期に活躍した戯作者為永春水(寛政二(一七九〇)年~ 天保一四(一八四四)年)の随筆。怪談・奇談及び、日本各地からさまざまな逸話。民俗を集めたもの。浮世絵師歌川国直が挿絵を描いている。吉川弘文館『随筆大成』版で所持するが、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第九巻(国民図書株式会社編・昭和三(一九二八)年同刊)のこちらから、で正字で視認出来る。挿絵(次のコマ)もある。通しで『第七』話目の『猫(ねこ)の忠義(ちうぎ)』である。総ルビに近いので、読みは、積極的にそれを参考にした(但し、歴史的仮名遣の誤りや、奇体な読みのものは無視した)。なお、この話は、既に二度、電子化してある。最初のものは、「谷の響 一の卷 十六 猫の怪 並 猫恩を報ふ」の私の注で、そこに示した挿絵(吉川弘文館『随筆大成』版からOCRで読み取り、トリミング補正したもの)を参考図として、この注に後に添えておくこととする。今一つは、「柴田宵曲 妖異博物館 猫と鼠」である。孰れも注を施してあるので(特に前者で詳しい)参照されたい。

 

Sairinjijyusyoku

 

「静岡県榛原郡御前崎町」現在は静岡県御前崎市(グーグル・マップ・データ)。]

〔耳囊巻二〕安永・天明の頃なる由、大阪農人橋《のうにんばし》に河内屋惣兵衛と云へる町人ありしが、壱人の娘容儀も宜く、父母の寵愛大方ならず。然るに惣兵衛方に年久しく飼ひ置ける猫あり。ぶち猫の由、彼娘も寵愛はなしぬれど、右の娘につきまとひ、片時も立離れず。定住座臥、厠の行来等も附まとふ故、後々は彼娘は猫見入りけるなりと、近辺にも申し成し、縁組等世話いたし候ても、猫の見人りし娘なりと、断るも多かりければ、両親も物憂き事に思ひ、暫く放れ候場所へ追放しても、間もなく立帰りけるゆゑ、猫は恐ろしきものなり、殊に親代より数年《すねん》飼ひ置けるものなれど、打殺し捨るにしかじと、内談極めければ、かの猫行衛なくなりしゆゑ、さればこそと、皆家祈禱その外魔よけ札等を貰ひ、いと慎みけるに、或夜惣兵衛の夢に、彼猫枕元に来りてうづくまり居けるゆゑ、爾(なんぢ)はなにゆゑ身を退《しりぞ》き、また来りけるやと尋ねければ、猫のいはく、我等娘子を見入りたるとて殺されんと有る事ゆゑ、身を隠し候、よく考へても見給へ、我等この家先代より養はれて、凡そ四拾年程厚恩を蒙りたるに、何ぞ主人のためあしき事をなすべきや、我《われ》娘子の側を放れざるはこの家に年を経《へ》し妖鼠《ようそ》あり、彼《かの》娘子を見入りて近付かんとする故、我等防ぎのために聊かも放れず、附《つき》守るなり、勿論鼠を制すべきは、猫の当前ながら、中々右鼠、我壱人《ひとり》の制に及びがたし、通途《つうと》の猫は二三疋にても制する事なりがたし、爰に一つの法あり、嶋の内口河内屋市兵衛方に、虎猫壱疋有り、これを借りて我と俱(とも)に制せば、事なるべしと申して行方知らずなりぬ。妻なる者も同じ夢見しと、夫婦かたり合ひて驚きけれども、夢も強《しひ》て用ふべきにもあらずとて、その日は暮れぬるに、その夜又々かの猫来りて、疑ひ給ふ事なかれ、かの猫さへかり給はば、災のぞくべしと語ると見しゆゑ、かの嶋の内へ至り、料理茶屋躰《てい》の市兵衛方へ立寄り見しに、庭の辺《へん》縁頰《えんばな》に抜群の虎猫ありけるゆゑ、亭主に逢ひて、密かに口留めして、右の事物語りければ、右猫は年久しく飼ひしが、一物(いちもつ)なるや、その事は知らず。せちに需(もと)めければ、承知にて貸しけるゆゑ、あけの日右猫をとりに遣しけるが、彼れもぶち猫より通じありしや、いなまずして来りければ、色々馳走などなしけるに、かのぶち猫もいづちよりか帰りて、虎猫と寄合ひたる様子、人間の友達咄し合ふがごとし。扨(さて)その夜、またまた亭主夫婦が夢に、彼ぶち猫来り申しけるは、明後日彼鼠を制すべし、日暮れは我等と虎猫を二階へ上げ給へと約しけるゆゑ、その意に任せ、翌々日は両猫《ふたつねこ》に馳走の食を与へ、さて夜に入り二階へ上げ置きしに、夜四つ<午後十時>頃にも有ㇾ之べくや。二階の騒動すさまじく、暫しが間は震動などする如くなりしが、九つ<夜半十二時>にも至るころ、少し静まりけるゆゑ、誰彼(たれか)れと論じて、亭主先に立ちあがりしに、猫にもまさる大鼠ののどぶえへ、ぶち猫喰ひ付きたりしが、鼠に脳をかき破られ、鼠と俱に死しぬ。かの嶋の内のとら猫も、鼠の脊にまさりけるが、気力つかれたるや、応(まさ)に死に至らんとせしを、色々療治して、虎猫は助かりけるゆゑ、厚く礼を述べて、市兵衛方に帰しぬ。ぶち猫はその忠心を感じて、厚く葬りて、一基の主《あるじ》となしぬと、在番中聞きしと、大御番勤めし某物語りぬ。

[やぶちゃん注:本篇は、私のでは底本違いで、「耳嚢 巻之九 猫忠死の事」である。「耳囊」にはほぼ相同の内容を持ったものが、私のでは、「耳嚢 巻之七 猫忠臣の事」があるので比較されたい(後者は伏字があったりして、私は好きくない)。また、これ、大坂が舞台で、私は大阪弁に冥いため、関西出身の私の若い教え子に、上前記の私の拙訳を見て貰い、正しい大阪弁版現代語訳に校訂して貰ったものを、原文本文附きで、後に「耳嚢 巻之九 猫忠死の事 ――真正現代語大阪弁訳版!―」として公開してある。合せて、お楽しみあれ! また、「柴田宵曲 妖異博物館 猫と鼠」でも採用している。

 なお、以下は、上記本文の最後に一字空けで繋がっているが、特異的に前に合わせて、改行した。

〔宮川舎漫筆巻四〕文化十三年子年の春、世に専ら噂ありし、猫恩を報はんとしてうち殺されしを、本所回向院<東京都江東区内>へ埋め碑を建て、法名は徳善畜男《とくぜんちくなん》と号す。三月十一日とあり。右由来の儀は、両替町《りやうがへちやう》時田喜三郎が飼猫なるが、平日出入の肴屋《さかなや》某が、日々魚を売るごとに魚肉をかの猫に与へける程に、いつとても渠《かれ》が来れる時には、猫先づ出《いで》て魚肉をねだる事なり。さて右の肴屋病気にて長煩ひしたりし時、銭一向無ㇾ之難儀なりし時、何人《なんぴと》ともしらず金二両あたへ、その後《のち》快気して商売のもとでを借《か》らんとて、時田がもとに至りける時、いつもの猫出《いで》ざるにつき、猫はと問ひければ、この程打殺し捨てたりしと。その訳は先達《せんだつ》て金子二両なくなり、その後《のち》も金を両度まで喰(くは)へて迯出(にげ《い》)でたり、併《しか》し両度ともに取戻しけるが、然《しか》らばさきの紛失したりし金も、この猫の所為《しよゐ》ならんとて、猫をば家内寄り集りて殺したりといふ。肴屋泪《なみだ》を流して、その金子はケ様々々の事にて、我等方にて不思議に得たりと、その包紙を出し見せけるに、この家の主が手跡なり。しからばその後《のち》金をくはへたるも、肴の基手《もとで》にやらんとの猫が志《こころざし》にて、日頃魚肉を与へし報恩ならん。扨々知らぬ事とて、不便《ふびん》の事をなしたりとの事なり。後にくはへ去らんとしたる金子をも、肴屋に猫の志を継ぎて与へける。肴やもかの猫の死骸をもらひ、回向院に葬りしたる事とぞ。凡そ恩をしらざるものは猫をたとへにひけど、又かゝる珍らしき猫もありとて、皆人《みなひと》感じける。

[やぶちゃん注:「宮川舎漫筆」宮川舎政運(みやがわのやまさやす)の著になる文久二(一八六二)年刊の随筆。筆者は、かの知られた儒者志賀理斎(宝暦一二(一七六二)年~天保一一(一八四〇)年:文政の頃には江戸城奥詰となり、後には金(かね)奉行を務めた)の三男。谷中の芋坂下に住み、儒学を教授したとあるが、詳細は不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで、正字表現で視認出来る。標題は『猫(ねこ)恩(おん)を報(むくふ)』。子の墓は「鼠小僧供養碑(鼠小僧の墓)」の脇に、「猫塚」(グーグル・マップ・データ)として現存する。いろいろ調べたが、法名の「德善畜男」は見当たらない。

「文化十三年子年」一八一六年。

「両替町」現在の中央区日本橋本石町二丁目(「日本銀行」本店)、及び、日本橋室町二丁目(グーグル・マップ・データ)。]

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