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2023/12/29

只野真葛 むかしばなし (120) 折助のこと

 

一、「ぞうり取(とり)」を「折助(をりすけ)」とつけること、昔は世上一面(せじやういちめん)のことにて、ぞうりつかみて、ありくものをば、

「どこの折助ぞ。」

と、いひしなり。ワ、七ばかりのことなりし。ある下女(げぢよ)、他(ほか)の屋敷のぞうり取と、なじみ、戀したひしてい[やぶちゃん注:「體(てい)」。]、おかしかりしかば、

「折助どのは、なぜ、おそひ[やぶちゃん注:ママ。]。わらじができぬか、御門(ごもん)どめか。」

と、うたに作りて、うたひしが、大はやりと成(なり)、それより、いろいろ、下男のあざなを作りだし、「折助」とよばるゝ身には、氣の毒におもふこと、おほかりし故、一とう、其名をはぢることゝなりて、工藤家にても、やはり、ぞうり取は、「折助」といふが、通り名にて有(あり)しを、下男のかたより、

「何卒、折助の外(ほか)の名をつけ被ㇾ下度(たし)。」

と願(ねがひ)し故、やめたりし。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落している。]

 其ころの「地口(ぢぐち)あんどん」に、中元(ちゆうげん)[やぶちゃん注:「中間」に同じ。]が鍋を背おひし所を書(かき)て、

「折助どのは鍋をしよい」

と書(かき)しことも有し。

 又、「熊坂(くまさか)の長範《てうはん[やぶちゃん注:ママ。]》とおぼしき出(いで)だちの武者(むしや)、西瓜(すいか)みせへ、とび入(いり)、長刀(なぎなた)にて、西瓜を切(きり)し所を書(かき)て、

「うすあかどのとは夢にもしらず」

 また、大荒若衆(おほあらわかしゆ)の兩手に、深編笠をさし上(あげ)て、にらみし形(かたち)、腰より下は、ほそぼそと仕(したて)たる形、かうのづに、しのぶの裾模樣のふり袖にて、黑ぬりの駒下駄をはきし足つき、手とは、かわり[やぶちゃん注:ママ。]て、しなやかなり。上に、「鎌倉の權五郞かげまさ」。是等、なにとなく、をかしみ有(あり)て、其ころのできなりと、おぼへし。

[やぶちゃん注:「折助」江戸時代、武家に使われた中間(ちゅうげん)や小者(こもの)の異称・卑称である。「折公」「駄折助」などとも呼んだ。「折助根性」(折助が一般に持つ性質で、人の前では働くが、人の見ていない所では、極力、働かないでいようという、ずるい気持ちを言う卑称)や「折助凧(をりすけだこ)」(武家の下僕などが気どって歩くときにする、袂(たもと)の先を、中から、つかんで、袖を左右に引っぱった形に似せて作った凧。奴凧(やっこだこ))などの卑語が生まれた。また「奴」(やっこ)の語源も、この連中の本来の謂いである「家つ子(やつこ)」(やっこ)だとされている。「折」の語源は、小学館「日本国語大辞典」の「おりすけ」に、『⑴赤坂辺に住んでいたオリスケ(折助)という下男の名前から』、『⑵主人の後先になって立ち働く所作が、折句の題をおもわせるためか』、『⑶尻を端折ったような短いはっぴ姿に対するあだ名からか』とあった。

「地口あんどん」「地口行燈(灯)」。「ぢぐちあんどう」とも。地口を書いた行灯。多く、戯画を添えて描き、祭礼の折りなどに路傍や軒先などに掛けられた。「地口」。

「熊坂の長範」小学館「日本大百科全書」の「熊坂長範」によれば、『生没年不詳。平安末期の大盗賊。実在の人物として証拠だてるのは困難であるが、多数の古書に散見し、石川五右衛門と並び大泥棒の代名詞の観がある。出身地は信州熊坂山、加賀国の熊坂、信越の境(さかい)関川など諸説ある。逸話に』よれば、七『歳にして寺の蔵から財宝を盗み、それが病みつきになったという。長じて、山間に出没しては旅人を襲い、泥棒人生を送った』が、承安四(一一七四)年の『春、陸奥(むつ)に下る豪商金売吉次を美濃青墓(みのあおはか)の宿に夜討ちし、同道の牛若丸に討たれたとも伝わる。この盗賊撃退譚』『は、義経』『モチーフの一つではあるが、俗説の域を出ない。謡曲』「烏帽子折(えぼしおり)」や「熊坂」、能狂言「老武者」、歌舞伎狂言「熊坂長範物見松(ものみのまつ)」は『長範を扱って有名』とある。

「大荒若衆」滋賀県高島市新旭町安井川にある大荒比古(おおあらひこ)神社(明治初年までは「河内大明神」と称していた)の例祭「七川祭」(しちかわまつり:現在は五月四日に行われる)の若い衆によって行われる派手な「奴振り」(やっこぶり)を喩えたものだろうか。「うずら」さんのブログ「おかんのネタ帳」の「七川祭 奴振り」を見られたい。写真がある。

「かうのづ」は「香の圖」で、元来の意味である「源氏香の図」(五本の線を基本として、組香(くみこう)の違いを示したものから転じて、それを象った紋所、或いはそれを文様化したものを、ここでは指す。私は前面にそれを散らしたハンカチーフを持っている。知られたものでは、岩波書店版初版の「鏡花全集」の本体のデザインが、真っ先に浮かぶ。

「鎌倉の權五郞かげまさ」私の「『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 御靈社」の注を参照されたい。]

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