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2023/12/01

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「盲人」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本篇には、現在、差別用語として使用しないことになっている「めくら」と語が出る。それに就いては、十全に批判的してから、読まれたい。しかし、私は、現在の、こうした差別用語を含む、過去の作品の最初や最後に「伝家の宝刀」か、「免罪符」の如く、掲げるあの愚劣な「言葉狩り」の差別用語使用注記補注には、ある種の違和感を感ずる人間である。それは、「言葉狩り」は、真に差別をなくすことに、必ずしも、繋がらないことを私は自身の体験から確信しているからである(これは何度もブログ記事で述べているので、具体的には記さない)。補注をするなら、その単語の部分でそれを、逐一、やるべきであろう。しかし、そんな仕儀の書物を見たことは、一度として、ない。どこかで一回言っておけば、十把一絡げで許されるという発想こそが、差別用語を真に理解・批判していないことの証左と断じるものである。

 

Mekura

 

     盲  人

 

 

 杖の先で、彼は、そつと戶を叩く。

 

ルピツク夫人――またやつて來た。一體なんの用があるんだらう。

ルピツク氏――それがわからんのか、お前は。いつもの十錢玉が欲しいからさ。一日の食ひ分だ。戶を開けてやれ。

 

 ルピツク夫人は、佛頂面をして、戶を開ける。盲人の腕をとつて、慌しく引摺りこむ。自分が寒いからだ。

「こんにちは、そこにゐるみなさん」

と盲人(めくら)は云つた。

 彼は前に進む。短い枚が、鼠を逐ふように、小刻みに床石の上を走る。そして、一つの椅子にぶつかる。盲人は腰をおろす。かじかんだ手を煖爐の方に伸ばす。

 ルピツク氏は、十錢の銀貨をつまんで、かういふ――

「そら!」

 彼は、それつきり相手にならない。新聞を讀みつゞける。

 にんじんは、面白がつてゐる。例の隅つこにしやがんで、盲人(めくら)の木履(きぐつ)を眺めてゐる。それがだんだん溶けて行くのである。そして、そのまわりには、もう、溝が描かれてゐる。

 ルピツク夫人はそれに氣がつく――

「その木履を貸してごらん、お爺さん」

 彼女はそれを煖爐の下へ持つて行く。もう遲い。あとには水溜りが殘つてゐる。盲人は不安氣である。足が濕り氣を感じ、片一方づゝ上へあがる。泥の混つた雪を押しのけ、そいつを遠くへ散らかす。

 にんじんは、爪で地べたをこすり、汚れた水に、こつちへ流れて來いといふ合圖をし、深い石の割目を敎へてやる。

「十錢貰つたんだから、それでもういゝぢやないか」

 聞こえよがしに、ルピツク夫人は、かう云ふのである。

 が、盲人は、政治の話をしだす。はじめは恐る恐る、しまひには誰憚らず。言葉につかへると、彼は杖を振り廻す。ストーブの煙突へ握拳をぶつけ、慌てゝ引込める。それから、油斷はならぬといふ風に、涸きゝらない淚の奧で、白眼(しろめ)をくるりと動かすのである。

 時として、ルピツク氏は、新聞を裏返しながら――

「なるほど、そりやさうだらう。だが、爺さん、それや、たしかなことかい」

「たしかなことかつて・・・?」と、盲人は叫ぶ――「そいつあ、あんまりだ。まあ、聽いておくんなさい、旦那。わしがどうして目をつぶしたかつていふと、そりやかうだ」

「ちよつくら出て行きさうもない」

と、ルピツク夫人は云ふ。

 なるほど、盲人は、すつかり好い氣特になり、自分の災難といふのを話す。伸びをする。そして、全身飴の如く、そのまゝそこへ、へばりついてしまふ。今迄は、血管の中を、氷の塊が、溶けながらぐるぐる廻つてゐたのだ。それが、かうしてゐると、その着物や手足は油汗をかいてゐるとしか思えない。地べたを見ると、水溜りがだんだん擴がり、にんじんの方へ近づいて行く。いよいよやつて來た。

 目標は彼なのだ。

 やがて、にんじんは、それで遊べるのである。

 だが、そのうちに、ルピツク夫人は、巧妙な手段を廻らし始める。彼女は、盲人のそばを擦れ擦れに步き、わざと肘をぶつけたり、足を踏んだりするのである。彼はしかたがなく、後退りする。で、とうたう[やぶちゃん注:ママ。]、火の氣の傳はつて來ない食器棚と袋戶棚の間へ押し込められてしまふ。盲人は、途方に暮れ、手探りをし、手眞似で何か云ひ、指の先が獸(けもの)のやうに逼ひまわるのである。彼は、自分だけの闇を拂ひのけようとする。またぞろ、氷の塊が出來て來た。なんのことはない、彼は、以前通り、凍えつきさうだ。[やぶちゃん注:「逼ひ」はママ。戦後版は『這い』で、「逼」には「迫る・近づく」や「狭まる・縮まる」の意味しかない。「水浴び」でも同じ用法があることから、岸田氏の思い込みの誤用である。

 そこで、盲人は淚聲で彼の物語を終るのである――

「さういふわけさ、ね、それでおしまひさ。眼玉もなくなるし、なにもかもなくなる。竈(へつつい)のなかの暗闇ばかり・・・」

 彼の杖が手から滑り落ちる。ルピツク夫人は、それを待つてゐたのだ。駈け寄つて、杖を拾ひ上げる。そして、そいつを盲人に渡すのだが・・・實際は渡さない。

 盲人は、受け取つたつもりだが、手にはなんにも持つてないのである。

 彼女は、うまく騙して、また相手を引き寄せる。そして、木履を穿かせ、戶口の方へ連れて行く。

 それから、彼女は、ちよつと意趣返しのつもりで、盲人の腕をつねり、通りへ押し出す。そこは、雪を篩ひ落した灰色の絨毛(わたげ)の下である。締め出しを食つた犬みたいに、鼻を鳴らしてゐる風の眞面(まをもて[やぶちゃん注:ママ。])である。

 で、戶を閉める前に、ルピツク夫人は、聾にでも云ふやうに怒鳴る――

 「またおいで。今のお金をおつことさないやうにね。今度の日曜だよ、お天氣がよかつたら。それから、お前さんがまだこの世にゐたらね。全く、お前さんの云ふ通りさ。誰が死んで誰が生きてるかわかるもんぢやない。誰でも苦勞つていふものはあるし、神さまはみんなのものだからね!」

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「十錢」“dix sous”。十スー。旧の新フランの一フランの二十分の一。十九世フランスの換算では一スーは約五十円相当であるから、まず五百円弱相当であろう。

「目標は彼なのだ」:原作では“C'est lui le but.”。戦後版では、この「彼」に『あれ』とルビする。読者に無ルビでそれを示すのは無理である。続く文の「それ」から、振り返って指示語で、「あれ」と読み直す者もなくはあるまいが、そう読まそうというからには、絶対にルビが必要である。しかし、岸田氏は、ここでは、全く、「かれ」と、まっとうに読んでいるのだと断言出来る。何故なら、原文のこの「彼」は正しく“lui”で、これは三人称代名詞「彼・彼女」で、この場合は、単に「にんじん」を「彼」と示しているに他ならないからである。本作では、作者が「にんじん」を「彼」と呼ぶ箇所は既に幾らもあった。されば、戦後版のように、わざわざ「雪の凍ったものが溶けて流れきたる水溜まりの流れ」を擬人化して、「彼(あれ)」と読みを施して面白みを出した訳は、これ、訳としては、作者の意志とは離れた、遊びの意訳と言わざるを得ないので、支持し得ない。因みに、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では『これこそ彼が待っていたものだ。』と訳され、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』3では、『彼が終点なのだ。』と訳してある。

「意趣返し」復讐。仕返し。

「絨毛(わたげ)」:原文では、確かに“édredon”(羽毛の毛綿)。ここの部分の一文は、“elle le pousse dans la rue, sous l'édredon du ciel gris qui se vide de toute sa neige, contre le vent qui grogne ainsi qu'un chien oublié dehors.”であるが、岸田氏は原作に忠実に隠喩のままに訳してゐるが、ちよつと分かりにくくなってしまっている。倉田氏の「にんじん」では『ついに彼女は、彼を通りへ押し出してしまう。通りには、雪をすっかり降らせてしまった綿毛(わたげ)のような灰色の空の下で、外に置きざりにされてた犬のように、哀(あわ)れな泣き声をたてる風が吹きつけている。』であり、佃氏の『全集』版では、『夫人は彼を通りへと押しやる。そこは雪を降りつくした灰色の空、わた毛布團(ふとん)のような雪の下に、風が外に置きざりにされている犬のように唸(うな)り声を上げている。』と譯しておられる。私は分かり易さと自然な日本語の創る現在形のシチュエーションとして、倉田氏の訳に軍配を挙げたい。]

 

 

 

  

    L’Aveugle

 

   Du bout de son bâton, il frappe discrètement à la porte.

     MADAME LEPIC

   Qu’est-ce qu’il veut encore, celui-là ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ne le sais pas ? Il veut ses dix sous ; c’est son jour. Laisse-le entrer.

 

   Madame Lepic, maussade, ouvre la porte, tire l’aveugle par le bras, brusquement, à cause du froid.

   Bonjour, tous ceux qui sont là ! dit l’aveugle.

   Il s’avance. Son bâton court à petits pas sur les dalles, comme pour chasser des souris, et rencontre une chaise. L’aveugle s’assied et tend au poêle ses mains transies.

  1. Lepic prend une pièce de dix sous et dit :

   Voilà !

   Il ne s’occupe plus de lui ; il continue la lecture d’un journal.

   Poil de Carotte s’amuse. Accroupi dans son coin, il regarde les sabots de l’aveugle : ils fondent, et, tout autour, des rigoles se dessinent déjà.

   Madame Lepic s’en aperçoit.

   Prêtez-moi vos sabots, vieux, dit-elle.

   Elle les porte sous la cheminée, trop tard ; ils ont laissé une mare, et les pieds de l’aveugle inquiet sentent l’humidité, se lèvent, tantôt l’un, tantôt l’autre, écartent la neige boueuse, la répandent au loin.

   D’un ongle, Poil de Carotte gratte le sol, fait signe à l’eau sale de couler vers lui, indique des crevasses profondes.

   Puisqu’il a ses dix sous, dit madame Lepic, sans crainte d’être entendue, que demande-t-il ?

   Mais l’aveugle parle politique, d’abord timidement, ensuite avec confiance. Quand les mots ne viennent pas, il agite son bâton, se brûle le poing au tuyau du poêle, le retire vite et, soupçonneux, roule son blanc d’oeil au fond de ses larmes intarissables.

   Parfois M. Lepic, qui tourne le journal, dit :

   Sans doute, papa Tissier, sans doute, mais en êtes-vous sûr ?

   Si j’en suis sûr ! s’écrie l’aveugle. Ça, par exemple, c’est fort ! Écoutez-moi, monsieur Lepic, vous allez voir comment je m’ai aveuglé.

   Il ne démarrera plus, dit madame Lepic.

   En effet, l’aveugle se trouve mieux. Il raconte son accident, s’étire et fond tout entier. Il avait dans les veines des glaçons qui se dissolvent et circulent. On croirait que ses vêtements et ses membres suent de l’huile. Par terre, la mare augmente ; elle gagne Poil de Carotte, elle arrive :

   C’est lui le but.

   Bientôt il pourra jouer avec.

   Cependant madame Lepic commence une manoeuvre habile. Elle frôle l’aveugle, lui donne des coups de coude, lui marche sur les pieds, le fait reculer, le force à se loger entre le buffet et l’armoire où la chaleur ne rayonne pas. L’aveugle, dérouté, tâtonne, gesticule et ses doigts grimpent comme des bêtes. Il ramone sa nuit. De nouveau les glaçons se forment ; voici qu’il regèle.

   Et l’aveugle termine son histoire d’une voix pleurarde.

   Oui, mes bons amis, fini, plus d’zieux, plus rien, un noir de four.

   Son bâton lui échappe. C’est ce qu’attendait madame Lepic. Elle se précipite, ramasse le bâton et le rend à l’aveugle, – sans le lui rendre.

   Il croit le tenir, il ne l’a pas.

   Au moyen d’adroites tromperies, elle le déplace encore, lui remet ses sabots et le guide du côté de la porte.

   Puis elle le pince légèrement, afin de se venger un peu ; elle le pousse dans la rue, sous l’édredon du ciel gris qui se vide de toute sa neige, contre le vent qui grogne ainsi qu’un chien oublié dehors.

   Et, avant de refermer la porte, madame Lepic crie à l’aveugle, comme s’il était sourd :

   Au revoir ; ne perdez pas votre pièce ; à dimanche prochain s’il fait beau et si vous êtes toujours de ce monde. Ma foi ! vous avez raison, mon vieux papa Tissier, on ne sait jamais ni qui vit ni qui meurt. Chacun ses peines et Dieu pour tous !

 

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