柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「通り悪魔」(例外的に注で正規表現本文を電子化した)
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
通り悪魔【とおりあくま】 〔思出草紙巻五〕およそ世の中に乱心なすものを見るに、心せまくして無益の事に胸中を苦しめ、千辛万苦一日も安からず。終《つゐ》には窮迫して肺肝《はいかん》[やぶちゃん注:心。]を破り、魂(たまし)ひ乱れて元へ帰りがたし。婦人のこゝろひろからで、苦に苦を重ねて、血の道の狂ひ逆上なし、こゝろの乱心もあり。また何事もなき乱心して、人を害し、自害などをなす事、常々心のとりさめ宜《よろ》しからずして、自ら破れを取るにいたる。よつて養生は業《なりはひ》によらず、常々の身持、こゝろの中にあるべき事なり。取分《とりわ》けふと乱心なすは、まづあらぬ怪しきものの目にさへぎる時、おどろき騒ぎ動く時は、忽ち乱心なして、最早直り難し。これを通り悪魔にあふと俗に云へり。則ち不祥の邪気にあふなるべし。心得あるべき事なり。既に川井越前守、いまだ次郎兵衛というて、御勘定吟味役を勤めたりし節、ある時御城より退出帰宅なし、自分の居間に至り、上下《かみしも》衣類を著かへ、坐して庭前を見れば、手水鉢《ちやうづばち》の水落(おち)ぎはに植ゑ茂りたる葉蘭《はらん》の中より、ほのほ焰々《えんえん》としてもえ上る事三尺ばかり、煙り盛んに立登る。帯刀を次に取のけさせ、我不快なれば、汝等来《きた》る事無用なりとて、人を払ひ蒲団を取寄せて打かぶり、心気をしづめ、暫くあつて顔を出《いだ》し庭前を見れば、最前の炎益〻盛んに燃え上るに、向うの隣家の境の板塀なりしが、此塀よりひらりと飛びくだるものを見れば、髪ふり乱して虎髯《とらひげ》さか様に立上りたる大の男、白襦袢を著て、穂先きらめく鎗《やり》を振廻し、すつくと立て礑(はた)とにらむ眼《まなこ》の光り尋常ならざるが、川井は猶も心を臍下《せいか》にをさめ、両眼をとぢて黙然たる事、やゝ半時ばかり過ぎて、またまた庭上を見れば、葉蘭より燃えたる火もしづまり、鑓《やり》引提げたる異形の者も居《をら》ず。常に替らざる庭の面なりければ、川井も茶なぞ乞ひて、心気をしづめ居る折から、隣の家、大きに騒動すること夥《おびた》だし。川井おどろき、何事なるぞと聞きけるに、隣の主(あるじ)乱心して、刃物を抜き持ちてあれ狂ひしを、漸々《やうやう》に取しづめぬれど、狂乱なして大音《だいおん》にあらぬ事のみ呼《よば》はり叫ぶ事しきりにて候なり。川井次郎兵衛これを聞きて、扨(さて)こそ物語りして、我等心の取納めよからずして、怪しき事と顚倒せば、忽ち乱心すべきに、兼ねてより我聞き置けることの心に浮《うか》みしまゝ、心気をしづめ居《をり》たるに依《よつ》て、その災ひを遁《のが》れたり。右の邪気、隣家の主その心得なく、大いに怪しみおどろき恐れし心より、その邪気に破られたるべし。これいはゆる俗語に、通り悪魔といへるものなるべしと申されけるとなり。また先年、加賀の家中、国元より勤番の歩士あり。夕方に髪剃《かみそり》を研がんとし何心なく向うの板塀を見れば、思ひ寄らざる甲冑を著したるもの、いろいろのさしものなしたるが、鑓《やり》長刀《なぎなた》引提げて凡そ三十余騎、駒のかしらを並べ、塀の笠木の上に居ならんで、此方《こなた》を礑《はた》と白眼《にらめ》つめたる風情は、怪しくも不思議に見えたるに、この侍かねかね心掛よきものなれば、手に持ちし刃物を急ぎ投捨て、直《ただち》に平伏し眼をとぢ、心気を臍下に納め、やゝ暫く有《あり》ておき上り見るに、塀上に並びし武士、いづ地へ行きけん、消えて跡なし。然るにこの塀向うの小家《しやうか》に乱心なしたる者有りて、傍輩に手を負はせ、その身自害して大いに騒動なせしとかや。これも則ち川井が見たる魔怪と同日の談なり。予<栗原東随舎>が祖母にておはせし人、享保元年[やぶちゃん注:一七一六年。]の頃、火災の為に類焼して、未だ普請も成就せず、焼残りたる長屋に仮住居(《かり》ずまひ)なして居《をり》たる所に、頃しも初秋にて、祖父は当番の留守なり。側に召仕ひぬる女ども、次の間に縫ひ物して居《ゐ》たり。祖母は縫ひ物に退屈なし、縁の側に出《いで》て、たばこのみながら向うを詠め居《をり》けるに、類焼後にて居所《きよしよ》の跡は、所々に礎(いしずゑ)のみ残りて、草深く生ひしげり、風そよぎざはざはと音して、尾花なみよる気色なり。その草の上を白髪の老人、腰は二重にかゞまりて、杖をたよりによろめきて、えもいはれざる顔して笑ひながら、此方《こなた》に向ひて來《きた》る体《てい》は、誠に怪しさいはん方なし。祖母兼ねて聞《きき》置きし事も有りぬるまゝ、さてこそ我乱心なすべき時なりとて、両眼をとぢ、法華経、普門品《ふもんぼん》[やぶちゃん注:「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」。単に「観音経」とも呼ぶ。]を唱へつゝ、心気をしづめ暫くあつて見るに、目にさへぎるものなしとかや。然るにその夕方に三四軒かたはらに医師の有りしが、その妻こそ乱心なしたり、これ則ち世にいふ彼《か》の通り悪魔なり。予が祖母は、かねて聞《きき》ける事を思ひ出し給ひしに依《よつ》て、この災ひを遁れたり。毎度予が幼《いと》けなき時分、物語りし給ひき。これ等留め置くべき事にこそ。<『閑窻瑣談後編』『世事百談巻四』『蕉斎筆記巻三』に同様の文がある>
[やぶちゃん注:「思出草紙」全十巻の奇談随筆。自序に『牛門西偶東隨舍誌』とあるが江戸牛込に住む以外の事績は不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本随筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらから正字で視認出来る。標題は「○通り惡魔の事」である。なお、最後に宵曲が挙げる三種のそれについては、既に「柴田宵曲 妖異博物館 異形の顏」(本篇も紹介している)の私の注で、三篇とも、正規表現のものを電子化してあるので、見られたい。さても、この「思出草紙」のみ、電子化していないので、甚だ不満足であるから、以下に前記国立国会図書館デジタルコレクションを用いて、正字表現で以下に示すことにする。以上と差別化するため、段落を成形し、読点も増やし、記号も挿入した。
*
〇通り惡魔の事
およそ、世の中に亂心なすものを見るに、心せまくして、無益の事に胸中を苦しめ、千辛萬苦一日も安からず。終には窮迫して、肺肝を破り、魂しい[やぶちゃん注:ママ。]亂て、元へ歸りがたし。婦人のこゝろひろからで、苦に苦を重ねて、血の道の狂ひ、逆上なし、こゝろの亂心もあり。又、何事もなき亂心して、人を害し、自害などお[やぶちゃん注:ママ。「を」の誤植が疑われる。]成す事、常々、心のとりさめ、宜しからずして、自ら破れを取るにいたる。よつて養生は業によらず、常々の身持、こゝろの中にあるべき事なり。取分、ふと亂心なすは、まづあらぬ怪しきものゝ目にさへぎる時、おどろき騷ぎ動く時は、忽ち、亂心なして、最早、直り難し。是を「通り惡魔にあふ」と俗に云へり。則、不祥の邪氣にあふなるべし。心得あるべき事なり。
既に川井越前守、いまだ次郞兵衞といふて、御勘定吟味役を勤めたりし節、ある時、御城より退出、歸宅なし、自分の居間に至り、上下、衣類を着かへ、坐して、庭前を見れば、手水鉢の水落(おち)ぎはに植ゑ茂(しげ)りたる葉蘭の中より、ほのほ、焰(えん)々として、もえ上る事、三尺許り、煙り、盛んに立登る。
帶刀を次に取のけさせ、
「我、不快なれば、汝等、來る事、無用なり。」
とて、人を拂ひ、蒲團を取寄せて打かぶり、心氣を、しづめ、暫くあつて、顏を出し、庭前を見れば、最前の炎、益、盛んに燃え上るに、向ふの隣家の境の板塀なりしが、此塀より、
「ひらり」
と、飛びくだるものを見れば、髮、ふり亂して、虎ひげ、さか樣に立上りたる大の男、白じゆばんを着て、穗先きらめく鎗を振廻し、
「すつく」
と、立て、
「礑(はた)」
と、にらむ眼の光り、尋常ならざるが、川井は、猶も、心を臍下におさめ[やぶちゃん注:ママ。]、兩眼をとぢて默然たる事、良、半時計、過て、又々、庭上を見れば、葉蘭より燃たる火も、しづまり、鑓、引提たる異形の者も居ず。常に替らざる庭の面なりければ、川井も、茶なぞ、乞ひて、心氣を、しづめ居る折から、隣りの家、大きに騷動すること、おびたゞし。
川井、おどろき、
「何事なるぞ。」
と聞けるに、答へけるは、
「隣りの主、亂心して、刄ものを拔持て、あれ狂ひしを、漸々に取しづめぬれど、狂亂なして、大音に、あらぬ事のみ、呼わり[やぶちゃん注:ママ。]、叫ぶ事、しきりにて候なり。」
川井次郞兵衞、是を聞て、
「扨こそ。物語りして、我等、心の取納め能からずして、怪き事と顚倒せば、忽ち、亂心すべきに、兼てより、我、聞置けることの心に浮みしまゝ、心氣をしづめ居たるに依て、其災ひを遁れたり。右の邪氣、隣家の主、其心得なく、大いに怪しみ、おどろき、恐れし心より、其邪氣に破られたるべし。是、いはゆる俗語に、『通り惡魔』と、いへるものなるべし。」
と申されけるとなり。
又、先年、加賀の家中、國元より勤番の武士あり。
夕方に、
「髮剃を硏ん。」
とて椽先の障子引明て、砥石に髮剃を當て、
「とがん。」
として、何心なく、向ふの板塀を見れば、思ひ寄らざる甲冑を着したるもの、いろいろのさしものなしたるが、鑓・長刀、引提げて、凡そ三十餘騎、駒のかしらを並べ、塀の笠木の上に居ならんで、此方を
「礑」
と白眼つめたる風情は、怪しくも不思議に見えたるに、この侍、兼々、心掛、能ものなれば、手に持し刄物を、急ぎ、投捨、直に平伏し、眼をとぢ、心氣を臍下に納め、良、暫らく有て、おき上り見るに、塀上に並びし武士、いづ地へ行けん、消えて跡なし。
然るに、此塀向ふの小家に、亂心なしたる者、有りて、傍輩に手を負せ、その身、自害して、大ひに[やぶちゃん注:ママ。]騷動なせし、とかや。
是も、則ち、川井が見たる「魔怪」と同日の談なり。
又、予が祖母にておはせし人、享保元年の頃、火災の爲に類燒して、未だ普請も成就せず、燒殘りたる長屋に假住居なして居たる所に、頃しも、初秋にて、祖父は、當番の留守なり。側に召仕ひぬる女ども、次の間に、縫ひ物して居たり。
祖母は、ぬひ物に退屈なし、椽の端に出て、たばこのみながら、向ふを詠め居けるに、類燒後にて、居所の跡は、所々に礎のみ殘りて、草、深く生ひしげり、風、そよぎ、ざはざはと音して、尾花、なみよる、氣色なり。
其草の上を、白髮の老人、腰は、二重にかゞまりて、杖をたよりに、よろめきて、ゑ[やぶちゃん注:ママ。]もいはれざる顏して、笑ひながら、此方に向ひて來る體は、誠に、怪しさ、いわん[やぶちゃん注:ママ。]方なし。
祖母、兼て、聞置きし事も有りぬるまゝ、
『扨こそ、我、亂心なすべき時なり。』
とて、兩眼をとぢ、「法華經」・「普門品」を唱へつゝ、心氣を、しづめ、暫くあつて、見るに、目にさへぎるものなし、とかや。
然るに、其夕方に、三、四軒かたはらに、醫師の有しが、其妻こそ、亂心なしたり。
是、則ち、世にいふ彼の「通り惡魔」なり。
予が祖母は、かねて聞ける事を思ひ出し給ひしに依て、此災ひを遁れたり。
每度、予が幼けなき時分、物語りし給ひき。是等、留置くべき事にこそ。
*
よく見ると、第二話のパートに宵曲の引用とは、有意に異なる箇所がある。同一の底本であるから、宵曲が意図的に怪奇と関係がないと判断してカットしたものと思われるが、よろしくないね。
「川井越前守」川井久敬(ひさたか 享保一〇(一七二五)年~ 安永四(一七七五)年)は幕臣。通称は次郎兵衛。当該ウィキによれば、『従五位下越前守。低禄から勘定奉行に立身出世した』。『小普請組頭より勘定吟味役となり、明和』八(一七七一)年、『勘定奉行に就任した。田沼意次の貨幣政策の実現に向けて、明和五匁銀および南鐐二朱銀の鋳造を言上した。安永』四(一七七五)年には『田安家家老を兼任するが、同年』五十一『歳で没した』(死因不詳)。『同年』一『月に嫡男の川井久道が没していたため、孫で和算家の川井久徳が家督を継いだ』。『死後に「兼役(倹約)は、身を絶やす(田安)べき前表(千俵)か、四十九(始終苦)にして死ぬは川井(可愛)や」という落書があったとされる』とある。]
« 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「道竜権現の鼻」 | トップページ | 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「戸隠明神」 »