只野真葛 むかしばなし (108) 平助、神明の私娼窟へ行く
一、父さま、中年の頃、さる他家の家中の人と、病家にて懇意に被ㇾ成しが、其人、神明(しんめい)の女郞に、なじみ、殊の外、はまりて、他のはなしを、せず【人さひ[やぶちゃん注:ママ。「さへ」。]見れば、「神明へ、遊びにゆけ、遊びにゆけ。」と、すゝめし、とぞ。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。
ある時、來りて、
「どうぞ神明ヘ、一度、我等も、つれ立(だち)、御(お)いで、あれ。」
と、すゝめし、とぞ。
父樣は、
「神明へは、行(ゆき)しこと、なし。」
と御斷(おことわり)被ㇾ成しを、
「いや、さやうに、すてられぬ所なり。私(わたくし)あいかたの女(をんな)が、私を、とりあつかふ、しんせつさ。誠に吉原・品川・深川などには、又、あのやふな[やぶちゃん注:ママ。]實(じつ)な女郞は、ござりません。どうぞ、つれ立(だつ)ござつて、あの女の、とりあつかへぶりを見て被ㇾ下。」
とは、逢度(あふたび)には、すゝめる事、ぜひなく、
「左樣なら、參りませふ[やぶちゃん注:ママ。]。」
とて、つれ立有(だちあり)しに、道すがらも、其女の事ばかり、かたり、
「それが、外(ほか)の客へも、そふ[やぶちゃん注:ママ。]することでは、なるほど、つゞきますまひ[やぶちゃん注:ママ。]。私に、かぎりて、あのやうにしてくれると申(まふす)事、なり。」
など、大(おほ)きにのび過(すぎ)たるていにて有(あり)しに、神明の女郞屋へ行(ゆき)しに、
「少々、故障(こしやう)の義がござりまして、お客を、とらせませぬ」
と斷(ことわり)しを、
「それは。せつかく來たに。折(をり)あしきことなり。それなら、おれが合(あひ)かたの女を、一寸、よんで、くりやれ。」
と、いへば、
「いや。其女の事に付(つき)ての事で、ござります。」
「それは、氣づかひ。どうした。」
と、いへば、
「昨晚、外(ほか)の客と、心中いたして、死(しに)ました。」
と、いはれて、
「ハア。」
とて、歸る、ばかばかしさ。
「是ほど、拍子のぬけし事は、なかりし。」
と、御(お)はなしなりし。
[やぶちゃん注:「神明」芝神明、現在の港区芝大門(グーグル・マップ・データ)の「芝大神宮」の前の通りの両側には、料亭が並び、「神明三業組合」が組織されていた(但し、それが許可されてあったのは、平助が生まれる前の万治四・寛文元(一六六一)年~寛文一二・寛文一三年・延宝元年(一六七三)年である)。当時は「芝海老芸者」と呼ばれ、ここには「岡場所」(半公認の私娼)や、違法な「私娼窟」、及び、男色客専門の「陰間茶屋」が立ち並んでいた。後の平助の生きた時代も、恐らくは、未公認のそうした私娼があったものと推察される。]
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