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2023/12/20

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「中橋稲荷の霊験」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

       

 

 中橋稲荷の霊験【なかのばしいなりのれいげん】 〔思出草紙巻六〕享保十二丁未年四月、江戸小石川<東京都文京区内>石野何某が妻怪《くわい》有《ある》の事あり。その妻が里は官医阿部の娘にて、石野は再縁にして、今年の春に婚姻なしたり。その節より彼《かの》妻、自然に鬼女の形なるものあらはれて、かたはらを離るゝ事なし。依《よつ》て恐ろしともいふ計《ばか》りなし。召仕ひぬる女どもの目にも、鬼の形ちをりふし見えければ、暇《いとま》をこひて出《いづ》るもの多し。後には昼夜のへだてなく、異形《いぎやう》のもの、妻のかたはらを離るゝ事なし。この事を人に語り聞かすれども、誰々も誠の事とは思ひよらざりき。この前《さき》の妻も、かゝる異形のもの、常々附添ひたることつのりて、世をさりたるなるべしと恐ろしく、親里へ帰りて逗留の中、曾てこの事なく、小石川へ帰れば、また元のごとく異形のもの前にあつて、甚だ怒れる形総[やぶちゃん注:ママ。後に示す活字本でも同じ。「形相(ぎやうさう)」の誤記か。]、うるさくも恐ろしき事いふばかりなし。後々は妻も心地なやましくなつて、既に妖怪の為に命もたえだえにして、いかゞせんと思案なしたりしが、流石(さすが)に武士の家に居《をり》て、後《おく》れたるやうに恐れ迷はん事も賤《いや》しかるべし。如《し》かじ自害して、この苦しみをさらんにはとて覚悟を極め、あるとき納戸に閉ぢこもりて、守り刀を抜き持ちて、既に自害せんとせるを、乳《め》の女《をんな》その外四五人縫ひものして居たるに、その中に独りの女、針を捨て急に馳せ行き、納戸の襖蹴放《けはな》し、取付き留めて大いにさけびけるにぞ、残りたる女も大いにおどろき、はしり来り取留めたり。女が声《こゑ》気色《けしき》、常の風情にあらずして申しけるは、扨々あやふきかな、我今少しおそかりせば、大切のこの子に怪我あるべしと、言ふとそのまゝ引倒れ、正体なく寝入りたり。それより石野が妻に乗移り、気色かはりて見えければ、石野も大いにおどろき、先づ里ヘこの段言ひ遣はしたるに、舅の阿部来りて、いかゞせんと取かこみたり。阿部、娘に問うて曰く、汝いかなるものの取付けるぞ、この程《ほど》鬼形《きぎやう》の者ありて、目にさへぎりしと聞きしは、扨は汝が所為なるか、具さに申すべし。石野が妻答へて曰く、思ひ寄らざる御尋ねなり、夢々左様のものにあらず、我は代々の御屋敷中橋の鎮守たるおまん稲荷の神霊《しんれい》なり、かの鬼形のものは、石野家代々の霊気《れいき》なり、今にて妻たる人三人ほろびて、この息女四人目なり、いづれもその霊のなす業《わざ》なり、既に先刻あやふき所を、我れいたましく思うて、はしり来り救ひたり、この分にては霊気立《たち》さる事かたかるべし、我かくしてある内はおかす事叶ふべからず、然れどもこれにては本心にあらず、所詮この霊気の為に法華一七日《ひとなぬか》読誦あるべし、さあらば霊気も退散あらん。座中この事を聞きこれにしたがひ、丸山本妙寺の住僧を頼みて転読するに、石野の妻も衆僧と一同に経をよむ事流るゝ如し。さて一七日満《みつ》る日、妻の曰く、この功力《くりき》に依て悪霊も退散せり、我も放《はな》るにも別事あるべからず、最早帰るべし。石野おどろいて曰く、この程より取紛れて問ひ聞く事あたはず、今しばらく逗留あるべし、この礼も申したくと押とどめければ、妻の曰く、我は殊の外いそがし、先々(まづ《まづ》)立帰るべし、来ル五月十五日は王子稲荷<北区内>に参る間、その序《ついで》に立寄るべしとて、妻は玄関まで立出《たちいで》て打倒《うちたふ》れ、正体も無く寝入りけるが、暫くあつて目ざめて正気元のごとく、日頃に替る事なし。よつてみなみなこのほどの事尋ねるに、妻の曰く、曾て覚えなし、されども経の声などは、かすかに聞えたることあり。然るに物の気付《きづ》きたる日より、天女の形ちの神人《しんじん》、ならびに神童壱人衣冠して剣を帯して、一七日の中ありありと眼前に居まして宣ひけるは、我かくてある内は気遣はしき事なかれとの時に、鬼形はいづくともなく逃げ去りて、その形ちも見えず。依てかの神体有難く覚えて、毎度拝礼す。その衣冠の糸《いと》紋《もん》綾《あや》まで確かに覚えたりとの事ゆゑ、則ち狩野休真隆信を招きよせて、妻の直談に、かの趣を語りて、これを画像に書かせしなり。小松万亀といふもの、隆信の宅にてその下画《したゑ》を見たるに、吉祥天の如くにして、頂きに法華経の八之巻を戴き、法剣を帯したり。さてまたその後《のち》石野が妻事、何の悩みもなく、霊気も失せて、平生のごとく、翌月十五日、妻は総官《そうくわん》[やぶちゃん注:先の稲荷神であろう。]ありとて衣類などあらため著《ちやう》し居《をり》しに、昼になりて夢中のごとくなり、稲荷乗移りて見えければ、石野忽ち渇仰(かつごう)[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「かつがう」が正しい。]して、問《とひ》をなす事さまざまなりしが、妻は一々家来などの旧悪を演説して答へければ、奇異いふばかりなし。石野が曰く、家の宝につかまつるまゝ、何ぞ認《したた》めあたへよと所望なせしかば、紅《べに》を出《いだ》さしめて、常の筆の小《ちい》さきを点じて、妙法の二字を大字に書して、居(すゑいん[やぶちゃん注:ママ。])印と覚しきものあり。さながらはね題目[やぶちゃん注:日蓮宗の髭文字の「南無妙法蓮華經」のそれ。]の判に似たり。暫くあつて妻が曰く、最早われ立帰るべしとて相倒《あひたふ》れけるが[やぶちゃん注:この「相」は接頭語で、動詞に付いて、単に語勢や語調を整えるためのもの。妻と憑依した狐などと勘繰る必要はない。]、一寝入《ひとねいり》して本性になれり。その外奇特余多(あまた)ありとぞ。古来より神前に紅を捧ぐる事あるが故、紅にて書きし事なるべし。世に京橋中橋<中央区内>のおまん稲荷といふこれなり。阿部氏の町屋敷の鎮守たり。その頃は地面の奥にありしが、近年は表の木戸の際に鎮座なり。その横手の向うにおまん鮨《すし》といふ名物も、この名をかりけるなり。この談は飯田町中坂<千代田区内>の小松屋三右衛門といへる薬種商人《やくしゆあきんど》あり。その老父隠居して百鬼と号して、健やかの老人ありしが見聞せしとて物語りぬ。この百鬼は今はこの世の中になき人となれり。

[やぶちゃん注:「思出草紙」全十巻の奇談随筆。自序に『牛門西偶東隨舍誌』とあるが江戸牛込に住む以外の事績は不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本随筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらから正字で視認出来る。標題は『○中橋稻荷靈驗の事』である。

「享保十二丁未年四月」この年は閏一月があったため、旧暦四月一日でグレゴリオ暦一七二七年五月二十一日相当である。

「中橋の鎮守たるおまん稲荷」本篇を抄録現代語で記したウィキの「おまん稲荷」によれば、現存しない。「中橋」も不詳。しかし、東京駅八重洲口側のここ(東京都中央区日本橋)に「於満稲荷神社」がある。本篇では、それが、「中橋稲荷」の後裔としているのだが、こちらの「於満」は実在する人物で、家康の側室で十男の初代紀州藩主徳川頼宣と、十一男の水戸初代藩主徳川頼房を生んだ家康の側室「お万の方」を祀っている神社である。ところが、「中央区観光協会特派員ブログ」の「於満稲荷」の解説板を見ると、『寛延年間(一七四八~五一)には於満稲荷ゆかりの「於満すし」が江戸中の名物にな』ったとあるし、宵曲は、この「於満稲荷」を確信犯で同一であるとしていることが判る。

「丸山本妙寺」現在は東京都豊島区巣鴨に移転している法華宗陣門流東京別院徳栄山総持院本妙寺(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、建立以降、いろいろと移転しているが、元和二(一六一六)年に『小石川(現在東京都文京区)へ移し、本堂、客殿、鐘楼を建立した』が、寛永一三(一六三六)年、『小石川の堂塔伽藍が全焼し』、『この時』、『幕府から指定された替地の本郷丸山(東京都文京区本郷』五『丁目)へ移り』、『客殿、庫裡を建立した。立地条件も良く』、『明治の終わりまでの約』二百七十『年間はこの地をはなれなかったので』、『異称を「丸山様」といわれるようになった』。『本妙寺に行くに』『本妙寺坂を下って』行った『突き当りに総門があ』り、『寺の敷地は拝領地が』四千九百十坪』、『無年貢の』境内地が二百四十七『坪半』『と広く』、『この中に九間四面の本堂、客殿、書院、庫裡、鐘楼、塔頭の十二ヶ寺があった』。しかし、明暦三(一六五七)年一月十八日から二十日に発生した「明暦の大火」(振袖火事)で全焼した(『火元は本妙寺とされているが、様々な説があり』、『実際の火元は不明』である)。『これだけの大火の火元であるならば』、『当然』、『厳罰に処されるものと思われるが、本妙寺に対して一切お咎』(とがめ)『がなかったとされている』。さらに『大火後』、『多くの寺社が移転させられているにもかかわらず、本妙寺は移転されることもなく』、『数年後には元の場所で復興し、さらには「触頭」』(ふれがしら)『へと異例の昇格をしている。なぜお咎がなかったということに関しては』、『本妙寺火元引き受け説がでるものの、あくまでも推測の域を出ない』とあった。明治四一(一九〇八)年から三年がかりで』、『丸山本郷の地を去り、現在の豊島区巣鴨』『の地へ移転した』とある。また、『現在も本郷』四『丁目付近に「本妙寺坂」なる地名が残されている』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ)である。

「王子稲荷」「北区内」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「狩野休真隆信」不詳。ウィキの「狩野派」の中にも、この名はない。

「小松万亀」不詳。]

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