只野真葛 むかしばなし (86)
一、福原縫殿といひし人、忠太夫が弟子にて、是も上手なり。
縫殿が家來に細工すぐれたる者有しが、おぎ笛をくらせしが[やぶちゃん注:ママ。『日本庶民生活史料集成』版では『つくらせしが』とある。]、奇妙なる笛にて、是をふけば、化物までも、より來りしとぞ。
或時、縫殿、
「猪を待(まつ)。」
とて、山に宿りて居(をり)しに、夜明がたに、とやの戸口に、妻女の、寢卷のまゝにて、立ゐたりしが、いかに見ても人に違(たがひ)なし。去(さり)ながら、
『女などの、只、壱人(ひとり)、しかも、寢卷のまゝにて來(きた)るべきやう、なし。變化《へんげ》の物に違(ちが)ひなし。』
と、おもゑ[やぶちゃん注:ママ。]すまして、鐵砲にて打止(うちとめ)たりしが、いつまで見ても、妻の形なりしかば、壱人、里に歸りて見しに、妻は、かはる事なくて出迎(でむかへ)し、とぞ。
さすが、顏色の惡(あし)かりし故、【ぬひが顏色のわるきなり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]
「病にや。」
と尋(たづね)しとぞ。
何事も語らず、家來を呼(よび)て、
「今朝(けさ)、あやしき物を打(うち)とめたり。いそぎ、行(ゆき)て、見て參れ。」
と云付(いひつけ)やりしとぞ。
「行て見たれば、古むじなの打(うた)れて有(あり)し。」
とて、持(も)て來たりしを見て、始めて、事を、かたりし、とぞ。
又、或時、獵に出(いで)しに、十匁(じふもんめ)の玉を二ツ玉に籠(こめ)て待居《まちをり》し時、七間ばかり向《むかふ》へ、大うわばみ[やぶちゃん注:ママ。]、口を明(あけ)て一吞にせんとしたりし時、其鐵砲にて、口中(くちなか)を打(うち)しかば、何かはもつてたまるべき、谷底へ轉び落(おち)しとぞ。去(さり)ながら、空、曇り、大風、起(おこり)て、山鳴(やまなり)・震動(しんどう)夥しく、おそろしかりし事なりし、とぞ。
うわばみは、三日、谷中(たになか)に、くるひて、死(しし)たり。
長サ、十三間、有(あり)し、とぞ。
後のかたり草にとて、背の骨を、一ト車(くるま)、とりて、庭に置(おき)しが、わたり七寸ばかりありし、とぞ。
是、皆、おぎ笛によりて、來りしとなり。
それより、「ひめどう」と名付(なづけ)て、祕藏せられし、とぞ。
然るを、忠太夫、其笛二ツ有し内一ツをもらいて[やぶちゃん注:ママ。]、寶物(はうもつ)として置(おき)しを、病死の時、
「養子覺左衞門に、讓る。」
とて、
「此笛は、しかじかの事、有(あり)て、吹(ふけ)ば、化物の、よりくる笛なり。必ず、用(もちふ)べからず。」
と、いひし、とぞ【後、覺左衞門ふきし時も、あやしき毛物、より來りし。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。
[やぶちゃん注:この話、実は、「柴田宵曲 妖異博物館 化物の寄る笛」の私の注で、全文を電子化している(但し、読みを附していない底本のベタ版である)ので、見られたい。注もしてある。【追記】この最後の記事は、後の「95」によって、ある種の殺人隠蔽の疑いがある。]