フライング単発 甲子夜話卷三十 23 空中に人行を見し話
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
30―23 空中(くうちゆう/そらなか)に人行(ゆく)を見し話
五、六年前、或る席上にて、坊主衆某の語りしは、
「高松侯の世子、貞五郞の語られし。」
と云ふ。
――世子、幼時、矢の倉の邸(やしき)に住(すま)れしをり、風鳶(たこ)をあげて、樂(たのし)みゐられしに、遙(はるか)に空中を來(きた)るものあり。不審に見ゐたるが、近くなれば、人、倒(さかさま)になりて、兩足、天を指し、首は下になり、衣服、みな、まくれ下(さが)りて、頭手(かしらで)に被(かぶ)り、明白には見えざれど、女と覺ぼしく號叫(がうけう)する聲、よく聞へ[やぶちゃん注:ママ。]ける。
「これや、天狗の、人を摑(つまみ)て、空中を行き、天狗は見へ[やぶちゃん注:ママ。]ず、人のみ、見えしならん。」
と云はれし、とぞ。
尤も、その傍(かたはら)にありし家臣等(ら)も、皆、見たり。――
と云ふ。
これは、別事ながら、「池北偶談」にあるは、
『文登諸生畢夢求、九歲時、嬉二於庭一、時方午、天宇澄霽無ㇾ雲、見二空中一婦人一、乗二白馬一、華桂素帬、一小奴牽二馬絡一、自ㇾ北而南行、甚迂徐、漸遠乃不ㇾ見、予従姉居二永清県一、亦嘗於二晴昼一、仰見二空中一、一少女子美而艶粧、朱衣素帬、手揺二団扇一、自ㇾ南而北、久ㇾ之始没。』
これは、仙の所爲か。
■やぶちゃんの呟き
「高松侯の世子、貞五郞」この名と、静山が没した翌年に第十代藩主となった(だから、ここでは『世子』とあるのである)松平頼胤(文化七(一八一一)年~明治一〇(一八七七)年)。静山より五十一年下である。
「矢の倉の邸」不詳。世子であるから、高松藩の江戸屋敷の一つとは思われる。
「池北偶談」清の詩人にして高級官僚であった王士禎(おう してい 一六三四年~一七一一年)の随筆。全二十六巻。「談故」・「談献」・「談芸」・「談異」の四項に分ける。当該話は「卷二十六」の「空中婦人」。「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認出来る。訓読を試みる。
*
文登の諸生、畢夢求(ひつむきゆう)、九歲の時、庭に嬉(あそ)ぶ。時に方(まさ)に午(ひる)なり。天宇(てんう)、澄霽(ちやうせい)にして、雲、無し。空中を見るに、一婦人、白馬に乘り、華袿(くわけい)・素裙(そくん)にして、一小奴(しやうど)、馬絡(ばらく)を牽き、北よりして南す。行くこと甚だ徐(ゆる)し。漸(やうやう)遠(とほく)して、乃(すなは)ち、見えず。予が從姉(いとこ)の永淸縣に居(を)るも、亦、嘗(かつ)て晴(はれし)晝(ひる)に於いて、空中を仰見(あふぎみ)れば、一少女子の、美にして艷粧(えんさう)なる、朱衣(しゆい)素帬にして、手に團扇(うちは)を搖(ゆら)し、南よりして北す。之れ、久しくして、始めて沒す。
*
「文登」地名か。現在の山東省威海市の市轄区文登区がある。「華袿」「袿」は漢語では「裾」・「袖」・「婦人の上衣」(本邦の平安貴族女性が一番上に着た「袿(うちかけ)」相当)・「長襦」(本邦の下着である「長襦袢」相当)の多様な意味がある。個人的には見上げているのだから、最後の「長襦」がいいと思ったが、それは、私のさもしい欲望故か。素直に華麗な上着としておく。しかも、「華」とあるのだから、非常に美しい色に染めたそれを連想してよかろう。「素帬」「帬」は「裙」に同じで、シンプルに白く美しいスカート状のもの。「馬絡」馬の手綱を頭部に繋げるための頭部の前後に装着するバンドの「頭絡」が原義であろうが、ここは「手綱」でよかろう。
実は、この話、『柴田宵曲 續妖異博物館 「空を飛ぶ話」(4)』で紹介されており、そこでも私は既に訓読を行っているのだが、今回は、零から仕切り直しておいた。比較されたい。
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