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2023/12/04

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「小屋」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Koya

 

     小  屋

 

 

 この小さな屋根の下には、これまで代る代る、鷄、兎、豚が棲んでゐたのだが、今は空つぽで、休暇中は、一切の所有權をにんじんが獨占してゐる。彼は易々(やすやす)とそこへはひり込むことができる。小屋にはもう戶がないからだ。一と叢(むら)の蕁麻(いらくさ)がひよろ長く伸びて、閾(しきゐ)をかくしてゐる。で、にんじんが腹這ひになつてそれを眺めると、まるで森のやうだ。細かい埃が土を覆つてゐる。壁の石が濕氣を帶びて光つてゐる。にんじんの髮の毛は、天井をこするのだ。彼は其處にゐると自分の家にゐる氣がし、そこでは邪魔つけな玩具(おもちや)なんかいらない。自分の空想だけで結構氣が紛れるのである。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して、「うち」と読んでおく。戦後版も『うち』とルビしている。]

 彼の主な遊びは、小屋の四隅へ、尻で、一つ一つ巢を掘ることだ。それから、手を鏝(こて)の代りにして、埃を搔き寄せ、これで目塗りをして、からだを植え[やぶちゃん注:ママ。]つけてしまふのだ。

 背中をすべつこい壁にもたせかけ、脚を曲げ、兩手を膝の上に組み、ぢつとしてゐると、まことに工合が好い。實際、これ以上場所を取らないといふわけには行くまい。彼は世の中を忘れ、もう、そんなものを怖れない。大きな雷さえ落ちて來なければ、びくともしないだらう。[やぶちゃん注:「好い」岸田氏は「いい」「よい」の両用を戦後版ではルビに用いている(使用回数は思ったより、ずっと少なかった)。しかし、ここは戦後版では本文にひらがなで「よい」としておられるので、それに従う。「實際、これ以上場所を取らないといふわけには行くまい。」原文は“Vraiment il ne peut pas tenir moins de place.”で、逐語訳すると、「これ以上の場所を取ることは出来ないだろう。」ではあるのだが、どうも日本語として確実な達意の訳とは言えない気がする。倉田氏は、『まったく、これより狭(せま)い場所を占(し)めることはできない。』、佃氏は、『ほんとうに、これ以上場所をとらずにすますことはできない。』であるが、やはり私はお二人の訳にも満足出来ない。無論、読者はこの前後から、概ね躓かずに正しい意味で読めるであろうかとは思うのだが、三者の訳は私には日本語としてこなれていないと感ずる。ここは私なら、「まっこと、これ以上の自由なスペースを手に入れることは、この家(うち)の中では、到底、不可能なのである。」と訳す。

 食器を洗ふ水が、すぐそばを、流しの口から流れ落ちる、ある時は瀧のやうに、ある時は一滴一滴。そして、彼の方へひやりとした風を送つて來る。

 突然、非常警報だ。

 呼び聲が近づく。跫音(あしおと)だ。

 「にんじん! にんじん!」

 一つの顏がこゞむ。にんじんは、團子のやうになり、地べたと壁の間へめり込み、息を殺し、口を大きく開(あ)け、ぢつと視線を据える。二つの眼が闇を透してゐるのを感じる。

 「にんじん! そこにゐるかい?」

 顳顬(こめかみ)がふくれ、喉がつまり、彼は斷末魔の叫びを擧げかける。

 「ゐないや、あの餓鬼・・・。どこへ行きくさつたんだ?」

 行つてしまふと、にんじんのからだは、やゝのんびりし、元の樂な姿勢にかへる。

 彼の考へは、まだ沈默の長い路を走り續ける。[やぶちゃん注:「まだ」はママ。戦後版では『また』。この底本のそれは、私は筆者の「た」の清音の原稿の誤りか、誤植と考える。]

 すると、騷々しい音が、耳いつぱいにひろがる。天井で、一匹の羽蟲が蜘蛛の巢にひつかゝり、ぢたばたしてゐるのだ。蜘蛛は、糸を傳つて滑つて來る。腹がパン屑のやうな白さだ。一つ時、不安げに、毬のやうになつてぶら下つてゐる。

 にんじんは、なかば尻を浮かし、眼を放さず、大團圓を待つてゐる。そして、この悲劇的な蜘蛛が、身を躍らし、星形の脚をすぼめ、獲物を抱き締めて食はうとする時、にんじんは、分け前でも欲しいやうに、胸をふるわせ、がばと起ち上つた。

 それだけのことだ。

 蜘蛛は、上へ引つ返す。にんじんはまた坐つた。我れにかへる。兎のやうな我れにかへる。心持は夜のやうに暗い。

 やがて、彼の夢想は、砂を混(まじ)えたか細い流れのやうに、勾配がなくなると、水溜りの形で、止り、そして澱(よど)む。

 

[やぶちゃん注:言わずもがなだが、探しに来た人物は、ルピック夫人である。私の最後の注を参照のこと。

「蕁麻(いらくさ)」原文は“orties”。これは広義のそれで、バラ目イラクサ科イラクサ属 Urtica を指す。多くの種があるのでそこまで。フランス語の「イラクサ属」のウィキに多数の種が載る。

「この悲劇的な蜘蛛が、身を躍らし、星形の脚をすぼめ、獲物を抱き締めて食はうとする時、」この「悲劇的な蜘蛛」という訳が、どうも、私には、極めて気に入らない。小学生でも「悲劇的な」のは「蜘蛛」なのではなく、食われてしまう「羽蟲」である。そこで原文を見ると、私が疑問を感じた箇所は、“et quand l’araignée tragique fonce,”とある。これは「そうして、蜘蛛が、悲劇的な突進を(羽虫に向かって)してくるその時、」の意である。因みに、倉田氏は『悲劇的なくもが』と無批判に踏襲されており、佃氏は「トラジィク」の直訳を避けて、『この恐るべき蜘蛛がおそいかかって』とされている。どれが、よいか、どうぞ、このブログの読者にお任せしよう。因みに、言っておくが、これも既に大半の読者は気づいておられるであろうが、この「羽蟲」は「にんじん」なのであり、「蜘蛛」はルピック夫人なのである。ルナールは、それを確信犯でオーヴァーラップさせているのである。所謂、映画で言う「比喩のモンタージュ」である。しかも、ルピック夫人への換喩は、「にんじん」の心中で、他の諸々の他者へと、果てしなく拡大し増殖してしまうのだ。それが、彼の心に深い「闇」を齎し、そして意識の自由な「流れ」をやめさせてしまい、そして「澱み」、遂には、瘴気を放つ泥沼と化すのである。

 

 

 

 

    Le Toiton

 

   Ce petit toit où, tour à tour, ont vécu des poules, des lapins, des cochons, vide maintenant, appartient en toute propriété à Poil de Carotte pendant les vacances. Il y entre commodément, car le toiton n’a plus de porte. Quelques grêles orties en parent le seuil, et si Poil de Carotte les regarde à plat ventre, elles lui semblent une forêt. Une poussière fine recouvre le sol. Les pierres des murs luisent d’humidité. Poil de Carotte frôle le plafond de ses cheveux. Il est là chez lui et s’y divertit, dédaigneux des jouets encombrants, aux frais de son imagination.

   Son principal amusement consiste à creuser quatre nids avec son derrière, un à chaque coin du toiton. Il ramène de sa main, comme d’une truelle, des bourrelets de poussière et se cale.

   Le dos au mur lisse, les jambes pliées, les mains croisées sur ses genoux, gîté, il se trouve bien. Vraiment il ne peut pas tenir moins de place. Il oublie le monde, ne le craint plus. Seul un bon coup de tonnerre le troublerait.

   L’eau de vaisselle qui coule non loin de là, par le trou de l’évier, tantôt à torrents, tantôt goutte à goutte, lui envoie des bouffées fraîches.

   Brusquement, une alerte.

   Des appels approchent, des pas.

   Poil de Carotte ? Poil de Carotte ?

   Une tête se baisse et Poil de Carotte, réduit en boulette, se poussant dans la terre et le mur, le souffle mort, la bouche grande, le regard même immobilisé, sent que des yeux fouillent l’ombre.

   Poil de Carotte, es-tu là ?

   Les tempes bosselées, il souffre. Il va crier d’angoisse.

   Il n’y est pas, le petit animal. Où diable est-il ?

   On s’éloigne, et le corps de Poil de Carotte se dilate un peu, reprend de l’aise.

   Sa pensée parcourt encore de longues routes de silence.

   Mais un vacarme emplit ses oreilles. Au plafond, un moucheron s’est pris dans une toile d’araignée, vibre et se débat. Et l’araignée glisse le long d’un fil. Son ventre a la blancheur d’une mie de pain. Elle reste un instant suspendue, inquiète, pelotonnée.

   Poil de Carotte, sur la pointe des fesses, la guette, aspire au dénouement, et quand l’araignée tragique fonce, ferme l’étoile de ses pattes, étreint la proie à manger, il se dresse debout, passionné, comme s’il voulait sa part.

   Rien de plus.

   L’araignée remonte. Poil de Carotte se rassied, retourne en lui, en son âme de lièvre où il fait noir.

   Bientôt, comme un filet d’eau alourdie par le sable, sa rêvasserie, faute de pente, s’arrête, forme flaque, et croupit.

 

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