只野真葛 むかしばなし (90) / 最終巻「六」~始動
むかしばなし 六
一、此御家中とら岩《いは》道齋《だうさい》といひし外療(ぐわいれう)[やぶちゃん注:外科医。]、大力(だいりき)の大男にて、しごく、元氣ものなりしが、長袖(ちやうしう)[やぶちゃん注:袖ぐくりをして、鎧(よろい)を着る武士に対し、長袖の衣服を着ているところから、「公卿・僧・神官・医師・学者」等を指す語。]のこと故、武藝は、まねば[やぶちゃん注:ママ。]ざりしが、甥の若生(わかおひ)、すぐれたる小男なりしが、時ならず、麻上下(あさがみしも)を着て、見廻(みまわり)し故、
「何のための、禮服ぞ。」
と、とがめしかば、
「今日、劍術の傳授をとりし、歸りがけなり。」
と、こたへしを、
「其方ごとき、非力小兵(こ《ひやう》)にて、劍術は、おぼつかなし。我(われ)、何の手もしらねども、立合(たちあひ)たら、ひしぐに、心、やすからん。」
と、あざわらひて居《をり》たりし、とぞ。
甥も、傳授をとりし身の、さやうにいわれて[やぶちゃん注:ママ。]、
『立(たち)がたし。』
とや、おもひけん、
「さあらば、立合て、ごらんあれ。私(わたくし)かたより、そなたへは、棒を、あて申まず[やぶちゃん注:ママ。「申(まうす)まじ」。『日本庶民生活史料集成』版も『まじ』となっている。]。私を、一打(ひとうち)、うつて、御覽あれ。」
と、いひしを、
「いざ、おもしろし。」
と、庭に、とびおり、棒をふつて、かゝるに、さすが、傳授を得しほど有(あり)て、「うけ巧者(かうしや)」にて、いかにうてども、身にあたらず、まつかふ[やぶちゃん注:ママ。「まつかう」。額の正面。]みぢんと、打(うち)つくる棒を、隨分、よく、うけとめたれども、うけたるまゝ、かさにかゝつて、おしつけしかば、こらへかねて、ひしげし、とぞ。
道齋、悅(よろこび)、
「さぞあらんと、おもひし。」
とて、上(あが)りし、とぞ。
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