只野真葛 むかしばなし (100) 影の病い――芥川龍之介が自身の怪談集に採録したもの
一、北勇治といひし人、外より歸り、わが居間の戶を明(あけ)て見れば、机にかゝりて、人、有(あり)。と
『あやしや。誰ならん。』
と、よく見れば、髮の結處・衣類・帶にいたるまで、我(わが)常に着ものにて、
『我(わが)うしろすがたを見しことは、なけれども、寸分、たがわ[やぶちゃん注:ママ。]じ。』
と、おもわれ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
餘り、
『ふしぎ。』
に思(おもは)るゝ故、しばし、立(たち)て見居《みをり》たりしが、とてものことに、
『おもてを、見ん。』
と、つかつかと、あゆみよりしに、あなたを、むきたるまゝにて、緣先に、はしり出(いで)しが、いづちへ行(ゆき)しや、見うしない[やぶちゃん注:ママ。]たり。
家内(いへうち)に、其由を、かたりしかば、母は、物をも、いはず、何か【祖父や父の、病(やまひ)にて、死せし事を。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]、
「ひそひそ。」
として、有(あり)し、とぞ。
それより、病付(やみつき)て、其年の中(うち)に、死(しし)たり。是まで、三代、其身の形(かたち)を見て、病付死たり、とぞ。
これや、いはゆる、「影の病(やまひ)」なるべし。
若《もし》、母や、家來は、しるといへども、あまり忌々(ゆゆ)しきこと故、主(あるじ)には、かたらで有(あり)し故、しらざりしなり。
[やぶちゃん注:「奥州ばなし 影の病」で既出。そちらで、リキを入れた注を附してある。そちらでも記したが、この話、芥川龍之介が、大正元(一九一二)年前後を始まりとして、終生、蒐集と分類がなされたと推測される怪奇談集を集成したノート「椒圖志異」(サイト版)の中にも、「影の病」として採録している。芥川龍之介は、自身、最晩年に、自分のドッペルゲンガーを見たと、座談会で証言している(精神科医の式場隆三郎に『ドッペル・ゲンゲルの經驗がおありですか。』と問われた際、『芥川 あります。私の二重人格は一度は帝劇に、一度は銀座に現はれました。』とある。私の、『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』(ブログ版)を見られたい。ネット上では、「芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを見たから自殺した」という非科学的な、古びた似非心霊学者のような流言を流して、喜んでいる輩が、糞のようにいるので、注意されたい。]