柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「地中の声」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
地中の声【ちちゅうのこえ】 〔筆のすさび巻一〕文政二年[やぶちゃん注:一八一九年。]春三月、備後深津《ふかつ》郡引野村<広島県福山市内>百姓仲介が宅の榎の根の地中に声あり。人の呻吟《しはぶき》のごとし。その家にては常の人の息のごとく聞え、三四町[やぶちゃん注:約三百二十七~四百三十六メートル。]よそにては余程大きに聞ゆ。よもすがら鳴りしは三五日の間、前後二十日ばかりにて昼は声なし。夜もまた聞えぬ夜もあり。次第次第に諒濶(りやうくわつ)になりて、終《つひ》にやみぬ。今に至りて凡そ二年になれども、かはりたる事もなしと、松岡清記来り話す。〔半日閑話巻十三〕三月、この頃中野の先関といふ処の地に、うなる声有りとて、人皆云ひ伝ふ。<『九桂草堂随筆巻八』に同様の文がある>
[やぶちゃん注:「筆のすさび」正式書名は「茶山翁(さざんをう)筆のすさび」。儒学者で漢詩人の菅茶山(かんさざん(「ちゃざん」とも) 延享五(一七四八)年~文政一〇(一八二七)年:名は晋帥(ときのり)。備後の農民の長男であったが、大志を抱いて学問を志し、京で朱子学を学び、帰郷して私塾「黄葉夕陽村舎」(こうようせきようそんしゃ)を開いた。頼山陽の師である)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで正字表現で視認出来る。標題は『一地中聲(こゑ)を發(はつ)す』。
「備後深津郡引野村」「広島県福山市内」現在の広島県福山市引野町(ひきのちょう:グーグル・マップ・データ)。
「諒濶」はっきりとしていて、広く聞こえたことを言う。
「松岡清記」不詳。
「半日閑話」「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は『○中野の訛言』(「訛言」は「くわげん(かげん)」で「なまった言葉」の意)である。宵曲は後半部を「地中の声」ではないので、カットしている。短いので、以下、全文を正字で示す。
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○中野の訛言 三月、此頃中野の先關といふ處の地に、うなる聲有《あり》とて、人皆云傳ふ。此頃の訛言に中野の邊の者、夜着《よぎ》を求めてかつぎて臥したるに、夜半に聲を出して、暑乎寒乎(アツイカサムイカ)と問ふ。其人おそれていそぎ舊主に返すといふ。石《いし》の言《いひ》しは春秋傳に見へ[やぶちゃん注:ママ。]たれど、夜着のものいふ例《ため》し聞ず。桃園《ももぞの》の桃にものいはぬも愧《はぢ》よかし。
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この話、喋る中身がちょっと違うが、私は、即座に小泉八雲の哀しい怪談、一般に「鳥取の布団」と呼ばれるそれを想起した(当該ウィキもある)。私の「小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (九)」を読まれたい(八年前の古い仕儀なので、正字不全があるが、許されたい)。
「先関」不詳。「さきぜき」か。
「九桂草堂随筆」「奇石」で既出既注。但し、これは前者「筆のすさび」の話と『同様』で、前の終りに附して欲しかった。お蔭で探すのに手間取ったわい! 国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」のここ(左ページ下段最後)で、正規表現で視認出来る。]
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