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2023/12/24

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猫の声」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 猫の声【ねこのこえ】 〔窓のすさみ〕小野浅之丞とて、半之丞の甥なりしとぞ。十七八歳ばかりのころ、隣の家より猫の来りて、飼鳥《かひどり》を取る事度々なりしかば、憎きものかな、射殺しなんと思ひ居けるをり、向うの築山《つきやま》の陰に猫の戯れ遊ぶを見附けて、あはやそれぞと神頭(じんどう)の矢をつがひ、秘かにねらひよりてこれを射る。あやまたず当りて、その儘たふれぬ。立寄りて見れば、日頃のにはあらず外《ほか》のなり。あなあさまし、憎しと思へばこそ射つれ、これには罪もなきものを、と後悔すれどもかひなし。日暮れしまゝ一間《ひとま》なる所にありしに、ひるまの猫の事心にかゝり、さるにてもよしなきことして、思ひがけぬあやまちをしつ、心よく遊び居《ゐ》しを射たる聊爾(れうじ)さ[やぶちゃん注:迂闊さ。]よ、とくれぐれと思ひながら、夜も少しふくるころふしどに入りけれど、とくも寝《ね》られざりければ、衾《ふすま》をかづきてつくづくと思ひ続けて居《ゐ》しほどに、ほのかに猫のなく声すれば、不思議やひるまのなき声にも似たる哉《かな》と思ひ、枕をあげて聞くに、ひた啼きに啼く。はては床(ゆか)の下に声のするやうなれば、不思議さよと怪しく心をつけて聞けば、更《ふ》くるにつけてしきりに啼く。いかゞしてかゝるぞと、障子の外に出《いで》て聞けば、えんの下になく。おり立ちて逐ひぬればやみぬ。さてはなかりしなど思ひつゝ立入りてうち臥せば、また枕の下に声す。夜一夜《よひとよ》いもねず、明ければ止みぬ。さしも怪しかりつるかなと思ヘど、人に語るべくもあらねば、心一つに思ふやう、夜にならばまたや声すべき、若しも生き還りたるにやと、何となく築山の辺《あたり》を尋ね見、床の下の塵はらへとて、人を入れて、何事もあらずや、と問へば、蜘《くも》の網ならではなし、と答ふ。とかくして夜《よ》になりて臥しければ、前の如くひた啼きに啼きしかば、目もあはずして明《あか》しぬ。昼ほどになれどもおきやらで、引きかづき有りけるを、人々心もとながりて問ひつらねしほどに、やうやう日たけておきいでたれば、今日は昼になりても止まず。亭に出《いで》ても、おやの前に有りても、我《わが》居《ゐ》る床の下に声たえず、暮れかゝる比(ころ)よりは我腹《わがはら》の中に啼く。いよいようるさし。とやせんかくやと思へば、猶うちしきり啼く。これよりしておのづから病人となりて、物喰ふ事も得《え》[やぶちゃん注:不可能の呼応の副詞「え」に当て字したもの。]せざりしかば、日に日にかたちも衰ろヘゆき、人心地《ひとごごち》もなく、一間に閉ぢこもり、腹をおさへてうづくまりてのみありける。こゝに伯父の何某《なにがし》、聞ゆる勇士にて知謀ありしが来りて云ひけるは、汝不慮の病《やまひ》をうけて、その儘ならば命終《をは》らん事、程あらじ、然れども少年なりとも士たるものゝ獣の類ひに犯されて病み死なんは、世の聞く所、先祖の名をも汚さんことも口惜しからずや、とても永かるまじき身をもつて、いさぎよくして憤りを忘れざる事を世にしらせば、少しは恥を雪(そそ)ぎなん、自《みづか》らはかり見よかし、とありしかば、浅之丞うちうなづき、仰せまでもなく始めより口借しく、いかにもなりなんと存ずれど、親達の歎き給はんが心ぐるしくて、今までのび候なり、この上はいよいよ思ひきはめ候、と云ひければ、いしくも[やぶちゃん注:「美しくも」。殊勝にも。よくも。]心得たり、親達にもかくと告げ知らせて、明日《あす》の夜《よ》来りて介錯《かいしやく》しなん、おもひ残す事なき様《やう》、よくしたゝめ置かれよ、と約して帰りぬ。その夜になりしかば、宵過ぐるころ伯父来り、湯あみさせ、衣服を改め、父母《ふぼ》に見(まみ)えて暇乞《いとまこ》はせける。親の心量り知るべし。子一《ねひとつ》[やぶちゃん注:午後十一時。]ばかりになりしかば、いざ時も至りぬ、只今思ひきはめよ、といひしかば、心得候ひぬ、御《おん》はからひにて恥辱を雪ぎなん事、いみじう悦《うれ》しくこそ、この上跡《あと》の苦しからぬ様《やう》に頼み奉る、と式礼《しきれ》して、白く清げなる肌をぬぎ、刀《かたな》を取《とつ》てすでにおしたてんとする時に、伯父の云ふやう、今しばらく待てよ、汝今死ぬるは、猫の腹に入《い》つて声するが為にわづらはされて、恥かしさにの事にあらずや、今はの時に、それぞともきかずして終らんは詮《せん》なし、今一度《いまひとたび》まさしく聞き定めて、その声にしたがひて刀をおし立てよ、と有りければ、刀を持ちながら聞くに声せず。いかゞし候やらん、宵までありつるが聞えず候は、と云ひければ、それは死に臨みて心おくれて聞えぬなり、心を静めてよく聞け、とうちしきり問へども、聞え申さず、といふ。さらば今しばし待て、そのわかちもなくて急ぎなんは、誠《まこと》に犬死ぞかし、夜更《よふ》くるとも聞き定めての事よとて、一夜附き居《ゐ》て、しばしば問ひしかども、終《つひ》に声のせぬよしなりければ、さらばとゞまれ、とうち笑ひてやみぬ。これよりして後《のち》、絶えて心にかゝる事もなかりけり。かしこかりける謀計《はかりごと》かなと、時の人申せしとて、大津にある医師の語りき。

[やぶちゃん注:「窓のすさみ」松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(大正四(一九一五)年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。同書の「目錄」によれば、標題は『小野淺之丞猫に惱む』。かなり丁寧にルビがあるのを積極的に参考にした。

「神頭(じんどう)の矢」的矢の鏃(やじり)の一種。鏑矢(かぶらや)に似て、先を平らに切って鈍体にしたもので、的や激しくは傷つけないようにしたもの。長さ五~六センチメートルで、多くは木製で、黒漆塗り。「磁頭」とも言う。鉄製のものを「金神頭」(かなじんどう)という。庭の中であり、猫との距離が近く、さらに金神頭を用いていれば、射た猫の部位が悪ければ(主人公「小野淺之丞」は自分の腹部から猫の声が聴こえるとあるから、柔らかい腹部を狙った可能性が高い)、猫がショック死することもあろう。

 さても。この「小野淺之丞」の病態は、PTSDPost Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)の変形した一例で、幻聴を聴いているに過ぎず、自刃を決したところで、覚悟した意識がそちらに集中したことによって、幻聴が止んだものと読め、幸いにも一過性で全快した擬似怪談である。事実としてあった実話であろう。

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