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2023/12/07

フライング単発 甲子夜話續篇卷十 14 駿州長泉院【或云、遠州長福寺】の古鐘

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。カタカナの読みは珍しい静山のルビ。]

10-14

 梅塢(ばいう)曰(いはく)、

――駿州榛原郡(はいばらのこほり)長泉院と云(いふ)曹洞宗の寺に、昔し雲游(うんいう)の僧、來(きたり)て、行乞(ぎやうこつ)たるに、折ふし、住持は棊(ご)を打居(うちをり)たるが、言ふには、

「此寺は、素(もと)より、窮乏にて、貯(たくはへ)とては、一錢だに、無し。有るものは、たゞ撞鐘(つきがね)のみなり。是にても、持(もち)ゆくべし。」

と答(こたへ)れば、僧、聞(きき)て、持(もち)たりし錫杖に其鐘を掛け、雲を凌(しのい)で、飛去(とびさ)りぬ。

 この僧は、役行者(えんのぎやうじや)の神變(しんぺん)にて、この鐘は、大峯深山の灌頂堂(くわんじやうだう)に今に存在せり。卽ち、榛原郡長泉院と、銘その儘にあり、と。

 其後(そののち)、代を歷て、この寺の鐘を鑄(い)たるに、月日立(たち)ても、音、出(いで)ず。

 このこと、承應の頃なるに、安永のほどまで、此(かくの)如くなりしかば、時の住持思ひ興(おこ)し、役行者の堂を建立し、其堂に懸る鐘を鑄んことを行者に起誓し祈りしかば、或夜、靈夢を見る。因(よつ)てその告(つげ)にまかせ、寺の境内を堀[やぶちゃん注:ママ。]りたるに、應永年中この寺の前住が鑄たりし鐘を感得す。この鐘、今に「行者堂の鐘」とて、この寺の法事・祭事に用ゆる。――

と云(いふ)。【この話、梅塢が門人村岡修理なる者、親(したし)く見し、と。】

 行智、曰(いはく)、

――金峯山(きんぼうさん)の高峯(たかみね)を「鐘掛(かねかけ)」と云ふ。絕頂の平坦に堂あり。「山上堂」と云ふ。これ金嶽(カネノミタケノ)神社にして、堂には金剛藏王權現を安置す。堂内の梁に鐘一口を懸けたり【行智が見る所は、大抵、高さ三尺許(ばがり)あるべし。】。銘、あり、曰(いはく)、

  遠江國佐野(サヤノ)郡原田莊(しやう)長福寺

  天慶七年六月二日

 昔し、遠州原田莊に長福寺と云(いふ)あり。

 一夕(いつせき)、山伏、來(きたり)て齋料(ときれう)を乞ふ。

 住持、特に碁(ご)を打居ければ、起(おき)て、物を施すに懶(ものう)く、居(ゐ)ながら、山伏を顧(かへりみ)て、

「この寺、貧にして、布施に供ずべき物なし。たゞ堂上に巨鐘あり。是にてよくば、持行(もちゆく)べし。」

と言ふ。

 山伏、これを聞き、領掌(りやうしやう)して、直(ただち)に鐘堂(しようだう)に登り、鉤鐘(つりがね)を引下(ひきおろ)し、持來(もちきた)れる錫杖を龍頭(りゆうづ)に指(さ)しとほして、輕々と肩に打(うち)かけ荷(にな)ひ去る。

 住持、大に駭(おどろ)き、卽(すなはち)、人を走らせて、山伏のあとを追行(おひゆか)しむるに、疾風の如くにして、及(およぶ)べからず。遂に、その跡を失ふ。

 又、後に、大峯より還れる山伏の物語に云ふ。

「彼(か)の山上、嚴石(がんせき)の出(いで)たる所に、この寺の鐘の掛れるを見たり。」

と。

 因(より)て、住持、始めて曉(さと)る、

「これ、役行者の眷屬などの所爲ならん。」

と知り、これを悔ひ、大に恐れ、寺中に「役行者の堂」を建て、これを祀り、後、又、寺を捨(すて)、金峯に入(いり)て修行し、山伏の徒(ともがら)と成れりと云(いふ)。

 夫(それ)よりして、彼(か)の山嶺を「鐘掛」とは呼(よび)ならはせり。――

と【行智曰(いはく)、『「峯中緣記」に見ゆ。又、「行者靈驗記」に出(いだ)す所は少(すこ)しく異說と聞(きこ)ゆ。又、近くは「東海道名所圖會」にも載(のせ)たり。』。】

――右、長福寺と云へるは、東海道掛川驛より、二里許(ばかり)、秋葉山へ往く道の側(かたはら)に在り。眞言宗にて、門前に、「大峯鐘掛役行者舊跡」とある榜(たてふだ)を竪(たて)たり。寺中に、「行者堂」、今にあり。此寺に爾來、鐘を置くこと、なし。適々(たまたま)鑄れども、成らず。又、他(ほか)より求來(もとめきたり)て置(おく)ときは、必ず、災異あり。依(よつ)て今に鐘を寺内に禁ず――

と云へり。

 此二說、ひとしからず。要するに、奇異の事也。

■やぶちゃんの呟き

「梅塢」幕臣荻野八百吉(おぎのやおきち 天明元(一七八一)年~天保一四(一八四三)年)。天守番を勤めた。仏教学者として知られ、特に天台宗に精通して、寛永寺の僧らに教えた。「続徳川実紀」の編修にも参加している。名は長・董長。梅塢(ばいう)は号。静山より二十一年下。

 以下の語注は、「柴田宵曲 妖異博物館 持ち去られた鐘」の私の注を見られたい。なお、他にも「諸國里人談卷之五 ㊉器用部 大峰鐘」も参考になるので、どうぞ!

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