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2023/12/03

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「にんじんよりルビツク氏への書簡集 並にルビツク氏よりにんじんへの返事若干」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Syokannsyu

 

   にんじんよりルビツク氏への書簡集

      並にルビツク氏よりにんじんへの

      返事若干

 

 

 にんじんよりルピツク氏ヘ

 

             サン・マルク寮にて

親愛なる父上

休暇中の魚捕りが崇(たゝ)つて[やぶちゃん注:ママ。「祟」の誤植。]、目下氣分に動搖を來たしてゐます。腿(もゝ)に太い「釘」――つまり腫物ができたのです。僕は床に就いてゐます。仰向けに寢たきりで、看護婦の小母さんが罨法(あんぽう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「あんぱう」が正しい。])をしてくれます。腫物は、潰(つぶ)れないうちは痛みますが、あとになると想ひ出しもしないくらゐです。たゞ、この腫物の「釘」は、ヒヨコのやうに殖えるんです。一つがなほると、また三つ飛び出すといふ具合です。何れにしても、大したことはないだらうと思ひます。

                    頓 首

 

 

 ルピツク氏よりの返事

 

 

親愛なるにんじん殿

其許は目前に初(はつ)の聖體拜受を控へ、しかも敎理問答にも通ひをることなれば、人類が「釘」に惱まされた事實は其許に始まらざること承知の筈だ。イエス・キリストは、足にも手にもこれを受けた。彼は苦情を云はなんだ。しかも、その「釘」たるや、本物の釘だつたのだ。[やぶちゃん注:「其許」「そこもと」。]

元氣を出すべし。            匇 々

 

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

僕は今日、齒が一本生へ[やぶちゃん注:ママ。]たことをお知らせできるのは愉快です。年から云へばまだですが、これはたしかに、早生の智惠齒です。希くば、一本でおしまひにならないことを。そして、希くば、僕の善行と勉强によつて、父上の御滿足を得んことを。

                    頓 首

 

 

 ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

丁度其許の齒が生えようとしつゝある時、余の齒は一本ぐらつきはじめた。そして、昨朝、遂に思い切つて拔け落ちた。かやうに、其許の齒が一本殖える每に、其許の父は一本づゝ齒を失ふ次第だ。それゆえ[やぶちゃん注:ママ。]、すべてもともとにして、家族一同の齒は、その數に於いて變りなし。

                    匇 々

 

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

まあ聽いてください。昨日は、僕らのラテン語敎師、ジヤアク先生の聖名祭です。で、衆議一決、生徒たちは、クラス全體の祝意を表するために、僕を總代に選びました。僕は大いにこれを光榮とし、適宜にラテン語の引用を挾んで、長々と演說の準備をしました。正直なところ、滿足な出來榮です。僕は、そいつを大型の罫紙に淸書しました。愈々當日になり、同僚たちの「やれよ、やれよ」と囁く聲に勵まされ、ジヤアク先生がこつちを向いてゐない時を見計つて、僕は敎壇の前に進み出ました。が、やつと紙をひろげ、精一杯の聲で、

  尊き師の君よ

と讀み上げた瞬間、ジヤアク先生は、憤然として起ち上り、かう怒鳴りました――「早く席に着いて! なにぐずぐずしとる!」

しかたがありません。僕は逃げ出すと、そのまゝ腰をかけました。同僚たちは、本で顏をかくしてゐます。すると、ジヤアク先生は、凄い權幕で、僕にあてました――

「練習文を譯して!」

父上、以て如何んとなさいますか。

 

 

 ルビツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

其許が他日代議士にでもなればわかることだ。その手の人物はいくらでもゐるよ。人各々その畑あり、先生が敎壇に立たるゝのは、これ明らかに演說をなさるがためであつて、其許の演說を聽かれるためではない。

 

   ――――――――――――

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

例の兎はたしかに地歷敎師ルグリ先生の處へお屆けして置きました。無論、この贈物は先生を悅ばせたやうです。厚くお禮を申してくれとのことでした。僕が丁度濡れた雨傘を持つて部屋へはいつて行つたもんですから、先生は自分でそいつを僕の手から奪ひ取るやうにして玄關に持つて行かれました。それから、僕たちは、いろんな話をしました。先生は、僕がその氣になれば、學年末には地歷の一等賞を獲得できるのだがと云はれました。しかし、こんなことがあるでせようか。僕は、この話の初めから終りまで、のべつ起ち通しです。ルグリ先生は、その點以外實にお愛想がいゝのですが、とうたう[やぶちゃん注:ママ。]僕に椅子一つ薦(すゝ)めずじまひです。

忘却か、將たまた、非禮か?[やぶちゃん注:「將たまた」「はたまた」。]

僕はそれを知りません。但し、出來れば、父上の御意見を伺ひたいものです。

 

 

ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

よく不平を言ふ男ぢや。ジヤアク先生が席に着けと云へば、それが不平、ルグリ先生が起つたまゝでゐさせれば、それがまた不平か。多分其許は、まだ一人前の扱ひを受けるには、年が若すぎるのだよ。それに、ルグリ先生が椅子を薦められなんだことは、まあまあ恕すべきだ。其許の丈(せい)が低いため、先生はきつと、もう腰かけてゐるものと勘違ひされたのだよ。[やぶちゃん注:「恕す」「じよす」。]

 

 

   ――――――――――――

 

 

 にんじんよりルビツク氏へ

 

親愛なる父上

 

近々巴里へお出かけの由、あゝ首府見物、僕も行きたいのですが、今度は心のみ父上のお伴をして、その愉しみを分つことにします。僕は學業の爲にこの旅行を斷念しなければならないことを知つてゐます。しかし、この機會を利用して、父上にお願ひがあるのです。本を一二册買つて來ていたゞけませんか。今持つてゐる本はみんな暗記してしまひました。どんな本でもかまひません。もとを洗へば、似たりよつたりです。とは云ひますが、僕、そのうちでも特別に、フランソア・マリ・アルウエ・ド・ヴオルテエルの「ラ・アンリヤアド」と、それから、ジヤン・ジヤツク・ルウソオの「ラ・ヌウヴエル・エロイイズ」とが欲しいんです。若し父上がそれを持つて來て下されば(本は巴里では幾らもしません)、斷じて、室長が取り上げるやうなことはありません。

 

 

 ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

御申出の文士は、其許や余等と何等異なるところなき人間だ。彼らが成したことは其許も成し得るわけだ。せいぜい本を書け。それを後で讀むがよからう。

 

  ――――――――――――

 

 ルピツク氏よりにんじんへ

 

親愛なるにんじん殿

今朝の手紙には驚き入つた。讀み返してみたが、やはり駄目だ。第一、文章も平生と違ひ、言ふことも珍妙不可解で、およそ其許の柄でも、また餘の柄でもないと思はれることばかりだ。普斷[やぶちゃん注:ママ。]は、細々(こまごま)とした用事を語り、席順がどうなつたとか、先生の特長又は缺點がどうとか、新しい級友の名前、下着類の狀態、さては、よく眠るとか、よく食ふとか、書いてあることはそんなことだ。

余に取つても、實にそれが興味のあることで、今日は全く何が何やらわからん。如何なる都合でか、目下、冬だといふのに、時まさに暮春云々とある。一體なんのつもりなんだ? 襟卷でも欲しいといふのか? 手紙に日附はなし、抑も余に宛てたのか、それとも犬に宛てたのか、てんでわからん。字體もまた變へてあるやうだし、行のくばりと云ひ、頭文字の數と云ひ、すべて意想外だ。要するに、其許は、誰かを馬鹿にしてゐるらしいが、察するところ、相手は其許自身に相違ない。余はこれが罪に値すると云ふのではないが、たゞ一應の注意をして置くのだ。[やぶちゃん注:「抑も」「そもそも」。]

 

 

 にんじんの返事

親愛なる父上

前回の手紙につき、急ぎ釋明のため一言します。父上、あの手紙が韻文になつてゐることをお氣づきにならなかつたのです。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。底本の本章は「にんじん」と父ルピック氏との往復書簡集ということで、他の章と版組が微妙に異なる。書簡本文は文全体が一字下げとなっており、従って結果して全ページが一字下げとなる。電子化では、それは無視してある。結語の位置も総て、下から五字上げインデントであるが、ブラウザの不具合を考え、引き上げてある。なお、原本の版組みでは、そのような凝り方はされておらず、他の章と変わりはないように見える。但し、原本では、来信・往診の間に、中央に「――」がある。また、各書簡の間は一様に一行空けであるが、区別するために、二行空けとした。但し、ダッシュが入っている箇所では、前後一行とした。一部のダッシュの開始位置が異なるのはママである。

「釘」原作はこのやうなクォーテーション・マークも、言い直しも、ない。ここは原作ならば、普通に「釘」ではなく、「おでき」と前後の文脈から判読するところである(このことは以下の「人類が「釘」に惱まされた事實は・・・」の注で詳述した)。

「罨法(あんぽう)」原文は“cataplasmes”で、これは医学用語の貼布(ハツプ)・濕布、漢方で言うところの温・冷罨法、若しくは、それを用いた治療法を言う。この場合は、腫物の熱を除去することを主目的にしてゐるように思われるので、冷罨法・冷濕布であろう。なお、この「にんじん」の罹患した疾患は何であろう。急性で予後も惡くない感じはする。「魚捕り」との関連性からは実際に魚捕りで下肢に外傷を負つたことによる感染症といふ解釈も可能ではある。それは「釘」という表現から、この外傷とは、まさに『「釘」のように尖つたものを足に刺した』という意味ではないか? と当初は考えた。しかし、実は、この「にんじん」の言う“clous”という語には、「釘」という意味の他に、以下に記す症状で。古來、本邦で「ねぶと」とか、「かたね」とか言われた鼠径部の腫脹・腫瘍(これらの症状は性病の「軟性下疳」の一症状でもあり、あまり良い響きを持たないと私は理解している)、更に「獣医学」(!)では、“clous de rue”(“rue”は「通り・往来」の意)で、「家畜類」(!)が「尖つた釘」(!)などを、足裏に刺して起る炎症をも指すのである。以上から、「にんじん」の言う「腿(もゝ)」の「太い」『「釘」』というのは、腫物というよりも、鼠径リンパ節の腫脹を指しているのではないかと私は、まず、結論した。ちょっとした傷口から細菌感染が起こったことによる「鼠経部リンパ腺炎」である(悪化すると、「蜂窩織炎」或いは「丹毒」といつた慢性的で難治の病態へと進むが、後の「にんじん」には、そのやうな様子は見られないので良かった)。さらに勘ぐると、実際には軽い「急性リンパ腺腫脹」に過ぎなかったのだけれども、看護婦の行ったこの「罨法」のハップ貼付によって、二次的に「接触性皮膚炎」を起こしてしまったともとれるように思うのである。

「聖體拜受」原文は“première communion”で、文字通り、正式には「初聖体拝領」と言う。これは、カトリツク敎徒にとつて、生涯でも最も重要な儀式とされるもので、七~八歳になつて、初めて「聖餐式に出ること」を言う。キリストの血に見立てた赤ワインと、聖体に見立てたパン(実際には、ウエハースのようなメダルのような菓子様のものである)を神父から受ける。

「敎理問答」原文は“catéchisme”で、これはカトリックで問答体のカトリックの敎理の教授を指す。因みに、これは来信の「にんじん」の書簡にある「罨法」“cataplasmes”と綴りが近似してゐる。ルピック氏はそれを洒落たのではあるまいか? と私は睨んでいる。

『人類が「釘」に惱まされた事實は其許に始まらざること承知の筈(はず)だ。』原文は“tu dois savoir que l'espèce humaine ne t'a pas attendu pour avoir des clous.”で、ちょっとニュアンスが違うように感じられる。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では、岸田氏の訳を、ほぼ踏襲して、『人類が<くぎ>にうなされるのは何もお前に始まったことではないくらい、承知(しようち)のはずだ。』と訳すが、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、『おまえは知つておかなければならない、おまえにおでき(クルー)のできることなぞ人類は期待していなかつたとな。』で、原文に逐語的には極めて忠実な訳となっている。岸田氏と倉田氏の訳は分かり易く、ここから既に後半の洒落れた説教の雰囲気を漂わせているのだが、両氏の訳は、まさに優等生の訳文で、その結果として、ルピック氏の底意地の悪い「皮肉のベクトル」が、物言いから消去されてしまった感があり、「ルピック氏の思惑」とはちょっとズレが生じているように思う。しかし、佃氏の訳は、実は、往信の「にんじん」の手紙では、「釘」を用いずに『大きなおでき(クルー)が腿(もも)にできているのです。』とルビを振り、先に挙げた文に続けて、『イエス・キリストは両手両足に釘(クルー)を打たれていた。』と訳され、ルピック氏の美事なウイットを訳で示しておられる。この掛け合いの上手さに関しては、もう、佃氏の訳文の勝利である。

「聖名祭」これは「聖名祝日」のことで、「自分の洗礼名の守護聖人に割り当てられた日にする祝い」を指す。原文は普通に“la fête de M. Jâques”で、倉田氏の訳では、単に「誕生日」と訳されている。確かに、一般には、自分の誕生日に関わる聖人を洗礼名につけることが多いのだが、必ずしも、そうなるわけではない。但し、私には、この“la fête de M. Jâques”が誕生日でない聖名祝日であるかどうかは、表現上は判別出来ない。それは、そもそもは出来得るのであろうか? それとも、この「にんじん」の原作の叙述のどこかに、それが示されてゐるのであろうか? どなたか、御教授を乞うものである。因みに、ジュール・ルナールは一八六四年二月二十二日生まれで、この二十二日は、「聖ペトロの使徒座」に当たる。

「恕す」思いやりの心で許す。

「尊き師の君よ」私は「尊き」は岸田氏がどう訓じているかと関係なく、「たつとき」と訓ずるのを常としいる。「とうとき」は「貴き」である。原文では、ここは大文字で“VÉNÉRÉ MAITRE”とある。“VÉNÉRÉ”はラテン語由来で、「尊敬する・敬う」の意であり、“MAITRE”は「師事する先生」への敬称である。

「ヴオルテエル」ヴォルテール(Voltaire:これはペンネームで、本名はフランソワ=マリー・アルエである(François-Marie Arouet 一六九四年~一七七八年)は十八世紀の「フランス啓蒙主義」を(というよりも、当時のフランスそのものを、と言つてもよい)代表する思想家・作家である。終始、自由主義で、反ローマ・カトリツク、まさに反権力の象徵的作家であつた。代表的著作は「オイディプス王」・「カールⅫ世伝」・「哲学書簡」・「ザディッグ」・「カンディド」等、戯曲・歴史書・哲学的考察・小説と多岐に亙る。因みに、彼のこのVoltaireといふペンネームは“volontaire”(ヴォロンティエール:「自由意志の・わがままな」の意)といふ「我儘者」といふ小さな頃の渾名であるとも言う。

「アンリヤアド」原文は“la Henriade”で「ラ・アンリヤッド」。ヴォルテールの書いた長編叙事詩の名。

「ジヤン・ジヤツク・ルウソオ」フランスの哲学者・思想家・作家であったジャン=ジャツク・ルソー(Jean-Jacques Rousseau  一七一二年~一七七八年)。「フランス革命」の精神的支柱とされる。代表的著作は「人間間の不平等の起源と基盤についての言説」(一般に「人間不平等論」と呼ばれるものである)・「社会契約について」(「社会契約論」)・「エミールまたは教育について」・「告白」・「孤独な散歩者の夢想」等である。「告白」等によって、実生活では、性的な倒錯者の一面を持っていたことも良く知られている。

「ラ・ヌウヴエル・エロイイズ」原文は“la Nouvelle Héloïse であるが、正しくは“ Julie ou la nouvelle Héloïse「ジュリ又は新エロイーズ」。ルソーの一七六一年作の書簡体小説。貴族の令嬢ジュリと家庭教師サン・プルーとの愛と貞節を描く。これは実在した中世のっ進学者サン・ドニ修道院長ピエール・アベラール(一〇七九年~一一四二年)と、その弟子にして妻であつたパラクレー女子修道院長エロイーズ(一一〇一年~一一六四年)のラテン語の往復書簡集が元である。所持する岩波文庫の解説に拠れば、『ルソーのロマンティシズムと革命的社会観とを、その優麗な描寫の中にあますところなく語』つているとある。

 以下の原本には、大文字の箇所やポイント違い、斜体部、幾つかの書簡を区切るダッシュがある。今回は原本に従い、それを再現しておく(但し、字空けが不審な箇所は前に徴して従わなかった箇所もある)。]

 

 

 

     lETTRES CHOISIES

   de Poil de Carotte à M. Lepic

      ET QUELQUES RÉPONSES

   de M. Lepic à Poil de Carotte

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

          Institution Saint-Marc.

 

    Mon cher papa,

   Mes parties de pêche des vacances m’ont mis l’humeur en mouvement. De gros clous me sortent des cuisses. Je suis au lit. Je reste couché sur le dos et madame l’infirmière me pose des cataplasmes. Tant que le clou n’a pas percé, il me fait mal. Après je n’y pense plus. Mais ils se multiplient comme des petits poulets. Pour un de guéri, trois reviennent. J’espère d’ailleurs que ce ne sera rien.

               Ton fils affectionné.

 

    Réponse de M. Lepic

   Mon cher Poil de Carotte,

   Puisque tu prépares ta première communion et que tu vas au catéchisme, tu dois savoir que l’espèce humaine ne t’a pas attendu pour avoir des clous. Jésus-Christ en avait aux pieds et aux mains. Il ne se plaignait pas et pourtant les siens étaient vrais.

   Du courage !

               Ton père qui t’aime.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

     Mon cher papa,

   Je t’annonce avec plaisir qu’il vient de me pousser une dent. Bien que je n’aie pas l’âge, je crois que c’est une dent de sagesse précoce. J’ose espérer qu’elle ne sera point la seule et que je te satisferai toujours par ma bonne conduite et mon application.

               Ton fils affectionné.

 

    Réponse de M. Lepic

   Mon cher Poil de Carotte,

   Juste comme ta dent poussait, une des miennes se mettait à branler. Elle s’est décidée à tomber hier matin. De telle sorte que si tu possèdes une dent de plus, ton père en possède une de moins. C’est pourquoi il n’y a rien de changé et le nombre des dents de la famille reste le même.

               Ton père qui t’aime.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

  Mon cher papa,

   Imagine-toi que c’était hier la fête de M. Jâques, notre professeur de latin, et que, d’un commun accord, les élèves m’avaient élu pour lui présenter les voeux de toute la classe. Flatté de cet honneur, je prépare longuement le discours où j’intercale à propos quelques citations latines. Sans fausse modestie, j’en suis satisfait. Je le recopie au propre sur une grande feuille de papier ministre, et, le jour venu, excité par mes camarades qui murmuraient : – « Vas-y, vas-y donc ! » – je profite d’un moment où M. Jâques ne nous regarde pas et je m’avance vers sa chaire. Mais à peine ai-je déroulé ma feuille et articulé d’une voix forte :

     VÉNÉRÉ MAÎTRE

que M. Jâques se lève furieux et s’écrie :

   Voulez-vous filer à votre place plus vite que ça !

   Tu penses si je me sauve et cours m’asseoir, tandis que mes amis se cachent derrière leurs livres et que M. Jâques m’ordonne avec colère :

   Traduisez la version.

   Mon cher papa, qu’en dis-tu ?

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Quand tu seras député, tu en verras bien d’autres. Chacun son rôle. Si on a mis ton professeur dans une chaire, c’est apparemment pour qu’il prononce des discours et non pour qu’il écoute les tiens.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

   Mon cher papa,

   Je viens de remettre ton lièvre à M. Legris, notre professeur d’histoire et de géographie. Certes, il me parut que ce cadeau lui faisait plaisir. Il te remercie vivement. Comme j’étais entré avec mon parapluie mouillé, il me l’ôta lui-même des mains pour le reporter au vestibule. Puis nous causâmes de choses et d’autres. Il me dit que je devais enlever, si je voulais, le premier prix d’histoire et de géographie à la fin de l’année. Mais croirais-tu que je restai sur mes jambes tout le temps que dura notre entretien, et que M. Legris, qui, à part cela, fut très aimable, je le répète, ne me désigna même pas un siège ?

   Est-ce oubli ou impolitesse ?

   Je l’ignore et serais curieux, mon cher papa, de savoir ton avis.

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Tu réclames toujours. Tu réclames parce que M. Jâques t’envoie t’asseoir, et tu réclames parce que M. Legris te laisse debout. Tu es peut-être encore trop jeune pour exiger des égards. Et si M. Legris ne t’a pas offert une chaise, excuse-le : c’est sans doute que, trompé par ta petite taille, il te croyait assis.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

  Mon cher papa,

   J’apprends que tu dois aller à Paris. Je partage la joie que tu auras en visitant la capitale que je voudrais connaître et où je serai de coeur avec toi. Je conçois que mes travaux scolaires m’interdisent ce voyage, mais je profite de l’occasion pour te demander si tu ne pourrais pas m’acheter un ou deux livres. Je sais les miens par coeur. Choisis n’importe lesquels. Au fond, ils se valent. Toutefois je désire spécialement la Henriade, par François-Marie-Arouet de Voltaire, et la Nouvelle Héloïse, par Jean-Jacques Rousseau. Si tu me les rapportes (les livres ne coûtent rien à Paris), je te jure que le maître d’étude ne me les confisquera jamais.

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Les écrivains dont tu me parles étaient des hommes comme toi et moi. Ce qu’ils ont fait, tu peux le faire. Écris des livres, tu les liras ensuite.

       ――――

    De M. Lepic à Poil de Carotte

  Mon cher Poil de Carotte,

Ta lettre de ce matin m’étonne fort. Je la relis vainement. Ce n’est plus ton style ordinaire et tu y parles de choses bizarres qui ne me semblent ni de ta compétence ni de la mienne.

   D’habitude, tu nous racontes tes petites affaires, tu nous écris les places que tu obtiens, les qualités et les défauts que tu trouves à chaque professeur, les noms de tes nouveaux camarades, l’état de ton linge, si tu dors et si tu manges bien.

   Voilà ce qui m’intéresse. Aujourd’hui, je ne comprends plus. À propos de quoi, s’il te plaît, cette sortie sur le printemps quand nous sommes en hiver ? Que veux-tu dire ? As-tu besoin d’un cache-nez ? Ta lettre n’est pas datée et on ne sait si tu l’adresses à moi ou au chien. La forme même de ton écriture me paraît modifiée, et la disposition des lignes, la quantité de majuscules me déconcertent. Bref, tu as l’air de te moquer de quelqu’un. Je suppose que c’est de toi, et je tiens à t’en faire non un crime, mais l’observation.

 

    Réponse de Poil de Carotte.

  Mon cher papa,

   Un mot à la hâte pour t’expliquer ma dernière lettre. Tu ne t’es pas aperçu qu’elle était en vers.

       ――――

 

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