只野真葛 むかしばなし (117) 力士「布引」と柔の使い手「佐藤浦之助」の勝負
一、靑山樣御代(みよ)に、「布引(ぬのびき)」といひし角力取(すまひとり)有(あり)しが、其由來は、ある時、
『ちからを、ためさん。』
と、おもひて、日本橋ヘ出(いで)て、くるまうしのはしり行(ゆく)を引(ひき)とゞめしに、牛は、はしりかゝるいきほひ、こなたは、大力にて、ひかへしを、引合(ひきあひ)て、くるま、中(なか)より、われて、左右へ、わかれし、とぞ。
[やぶちゃん注:「靑山樣」「伊達騒動」の火中を生きた仙台藩四代藩主伊達綱村。万治三(一六六〇)年七月、父綱宗の叔父に当たる伊達宗勝(陸奥一関藩主)の政治干渉や、家臣団の対立などの様々な要因が重なり、父が強制隠居させられ、僅か二歳(満年齢で一歳四ヶ月)で家督を相続し、元禄一六(一七〇三)年に養嗣子で従弟の吉村に後を譲って隠居した。]
それより後(のち)は、牛の胸へ布をかけて引(ひき)しに、いつも、とゞまりし故、「布引」とは、つきしぞ。
「天下に、まれなる力士。」
と、いはれしを、茶の湯しゃ[やぶちゃん注:ママ。「ゃ」もママ。「茶の湯者」であろう。]の大名【六萬石ばかり】[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]、松浦(まつら)ちんさいと申御人(ごじん)かゝへに被ㇾ成て、
「凡(およそ)、天下に、我(わが)かゝへのすまふを、なげる人は、あらじ。」
と、自慢有(あり)しを、かねて靑山樣にも御じゆこん[やぶちゃん注:ママ。「御昵懇(ごぢつこん)」。]なりしうへ、御家中にも、かれ是、茶の弟子、有(あり)しとぞ。
[やぶちゃん注:「松浦ちんさい」肥前国平戸藩第四代藩主松浦重信(元和八(一六二二)年~元禄一六(一七〇三)年)。隠居後に諱を、曾祖父と同じ鎮信(しげのぶ)へと改めており、その漢字表記の方が知られているが、ここの出る「ちんさい」の号は確認出来ない。彼は「甲子夜話」で知られる松浦(静山)清の事実上の五祖父である。
以下は底本でも改段落してある。]
靑山樣、仰出(おほせいだ)さるゝは、
「御家中に『布引』を、なげんとおもふ、おぼえのものあらば、申(まふし)いでよ。」
と、御(おん)ふれ、有(あり)しに、村方の役人とか、つとめし人に、佐藤浦之助といへ[やぶちゃん注:ママ。]しもの、小兵(こ《ひやう》)にて、大力の柔(やはら)とりにて有しが、
「拙者こと、ひしと、かゝり柔《やはら》鍛鍊(たんれん)仕(つかまつ)りなば、なげ申べし。」
と、申上たりしを、
「さあらば。」
とて、けいこ被二仰付一、其内は、日々、鴨二羽を食(しよく)に給(たまは)りし、とぞ。
日(ひ)有(あり)て、
『わざも、熟したり。』
と、おもひしかば、そのよしを申上し時、松浦へ仰入(おほせいれ)らるゝは、
「手前家中に『布引』と力をこゝろ見たしと願(ねがふ)ものゝ候。いかゞしきことながら、くるしからずおもはれなば、御なぐさみながら勝負を御覽候わんや[やぶちゃん注:ママ。]。」
と被二仰遣一しに、もとより、角力好(すまひずき)の松浦なれば、
「興(けう)有(ある)事。」
と悅(よろこび)て、
「いそぎ、こなたへ被ㇾ遣よ。」
と、挨拶有(あり)しかば、浦之助を被ㇾ遣しに、
『あなたは、名におふ關取なり。こなたは、常より、小ひよう[やぶちゃん注:ママ。]にて、いかでか、是が勝(かつ)べきぞ。』
と、たちおふ事さへ、おかしきほどに、人々、おもひしに、
「ひらりひらり」
と、ぬけくゞりて、中々、布引が手にのらず、いかゞはしけん、大男をかつぎて、
「ひらり」
と、なげり[やぶちゃん注:ママ。]たりけり。
人々、案に相違して、おどろき、ほめて有し、とぞ【浦之助は、「大ひよう[やぶちゃん注:ママ。]大力の男にとらへられては、必定、まけなり。」とて、工夫して、手にとられぬやうに、立𢌞(たちまは)りし、とぞ。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。
松浦殿、興に入(いり)、
「すぐすぐ、是(これ)へ、是へ。」
とて、浦之助を、はだかのまゝ、女中なみ居(をり)し奧坐敷へ、とほされ、側(そば)ちかく、めされて、
「今日のふるまひ、誠におどろき入(いり)たり。是は、いかゞしけれども、つかはす。」
とて、二重切(にぢゆうぎり)の花生(はないけ)【名器なり。】[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。「二重切」は竹の花入れの一種で、二つの節の間に、各々、窓をあけ、水溜めも二ヶ所つけたもの。利休の創始による。]を手づから賜り、
「さて、此座にある女のうち、いづれにても、其方が心にかなひしを、妻に、つかはすべし。いざいざ、のぞめ。」
と有(あり)ければ、いなかそだちの無骨もの、女中なみ居しまん中へ、まるはだかにて、引(ひき)いだされ、おもひがけなき御ことばに、當感して有(あり)けるが、
『見めよき女は、我に、一生、つれそうまじ。』
と、おもひて、一番みにくきも[やぶちゃん注:ママ。衍字であろう。]顏の女を望みて、かへりし、とぞ。
さてこそ、浦之助を、「日の下(もと)かいざん」とは、つけられし、とぞ。「布引」は、浦之助に、やわらの手にて、なげられしを、生涯、『むねん。』にて有(あり)し、とぞ。
[やぶちゃん注:この話、「奥州ばなし」にも「佐藤浦之助」として同話が載る。そちらの注を見られたい。]
« 只野真葛 むかしばなし (116) 仇討ち二話 | トップページ | 只野真葛 むかしばなし (118) 力士「丸山」 »