譚海 卷之九 同所仙北郡辻堂猫の怪の事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。なお、標題の『同所』は前の三条が、皆、『羽州』の出来事であったことによる。]
仙北郡の人、薪を伐(きり)て山より歸る時、夕(ゆふべ)になりて、雨、降出(ふりいで)たれば、辻堂の緣に、雨やどりせしかば、堂の中(うち)、人音(ひとおと)、きこえて、にぎはしく、しばし有(あり)て、
「太郞婆々(たらうばば)、いまだ、來らず。こたびの躍(をどり)、出來がたからん。」
など、いふ聲せしに、又、しばし有りて、
「婆々、來れり。」
とて、
「をどり、はじめむ。」
といふ。
婆々のいふやう、
「しばし、待ちたまへ。人や、ある。」
とて、堂の格子の穴より、尾を、いだし、かきまはしたるを、此男、尾を、とらへて、外より引(ひき)たるに、
「内には、引入(ひきいれ)ん。」
と、こづむに、あはせて、尾を引(ひき)きりて、もたりければ、恐ろしくなりて、雨のはるゝも、またず、家に歸りて、此尾をば、深く、藏置(をさめをき)たり。
そののち、鄰家の太郞平なるもの、
「母、『痔、起りたり。』とて、うちふしてある。」
よし。
此男、見廻(みまひ)に行(ゆき)て見れば、誠に、心わろく見へ[やぶちゃん注:ママ。]ける。
「いかに。」
と、いへば、
「痔のいたむ。」
よしを、いふ。
あやしくて、夕(ゆふべ)に、又、件(くだん)の尾を懷(ふところ)にかくして、見廻(みまひ)に行(ゆき)てければ、
「なほ、心、あし。」
とて、居(ゐ)たりしかば、
「それは。このやうな事の、わづらひにては、なきや。」
と、尾を引出(ひきいだ)して見せければ、この母、尾(を)を、かなぐりとりて、母屋(おもや)を、けやぶりて、失せぬ。
猫の化けたるにて、ありける。
誠の母の骨は、年ヘたるさまにて、天井にありける、とぞ。
[やぶちゃん注:この話は、柴田宵曲の「妖異博物館」の「化け猫」で採られている関係上、既にそこで私が電子化しているが、今回は、推定読みを付加しているので、新たにフライング単独公開とした。
「仙北郡」秋田県(旧出羽国および羽後国)の郡。旧郡域は、同県の東端の中央部を広域に含んだ。当該ウィキの地図を見られたい。
「こづむ」本来は「偏(こづ)む」は「筋肉がかたくなる・凝る」、「心が重くなる・気がめいる」、「馬が躓いて倒れかかる」であるが、他に「一ヶ所に片寄って集まる・ぎっしり詰まる」の意があるので、「引き入れようと、大勢の者(猫)が、積み重なるようにして、一斉に太郎婆の体を引っ張った」ことを指すようである。映像として面白い。]