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2023/12/05

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「名づけ親」

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「名づけ親」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Nadukeoya

 

     づけ

 

 

 どうかすると、ルピツク夫人は、にんじんにその名づけ親のところへ遊びに行き、泊まつて來ることを許すのである。この名づけ親といふのは、無愛想な、孤獨な爺さんで、生涯を、魚捕りと葡萄畑で過ごしてゐる。彼は誰をも愛していない。我慢ができるのは、にんじん一人きりだ。[やぶちゃん注:「魚捕り」戦後版のルビを参考にするなら、「うをとり」である。それで採る。]

 「やあ、來たな、坊主」

と、彼は云ふ。

 「來たよ、小父(をぢ)さん・・・。釣竿の用意、しといてくれた?」

 にんじんは、さう云ふが、接吻はしない。

 「二人で一つあれやたくさんだ」

 にんじんは納屋(なや)を開けてみる。別に一本、釣竿の用意ができてゐる。かうして、彼は、にんじんを揶揄(からか)ふのが常である。が、にんじんの方では、萬時吞み込んで、もう腹を立てない。老人のこの癖も、二人の間柄をやゝこしくするやうなことは先づないのだ。彼が「さうだ」といふ時は、「さうでない」といふ意味、そのあべこべが、またさうなのである。それを間違へさへしなければいゝ。

 「それが面白いなら、こつちはどうだつておんなじだ」

 にんじんは、さう考へてゐる。

 で、二人は、相變らず仲善しだ。

 この爺さん、平生は一週に一度、一週間分の炊事をするだけだが、今日は、にんじんのために、隱元豆の大鍋を火にかけ、それに、ラードの見事な塊をほうり込む[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では正しくは「はふりこむ」。]。で、一日の豫定行動をはじめる前に、生(き)葡萄酒を一杯、無理に飮ますのである。

 さて、彼等は、釣りに出掛ける。

 爺さんは水の岸に腰をおろし、テグスを手順よくほどいて行く。彼は、敏感な釣竿を重い石で押さえて置く。そして、大きなやつしか釣り上げない。魚は、手拭にくるんで日蔭へ轉がす。まるで赤ん坊のお褓襁(むつ)だ。[やぶちゃん注:「お褓襁」はママ。通常、「むつき」「おしめ」を意味する漢字熟語は「襁褓」の順である。]

 「いいか、浮子(うき)が三度沈まなけれや、糸を揚げるぢやないぞ」

 

にんじん――どうして、三度さ?

小父さん――最初のは、なんでもない。魚(さかな)がせゝつただけだ。二度目が、ほんものだ。吞み込んだんだ。三度目は、もう大丈夫。離れつこない。いくらゆつくり揚げてもかまわんよ。[やぶちゃん注:実は底本では「かまんよ。」であるが、脱字と断じて、特異的に訂した。]

 

 にんじんは河沙魚(かははぜ)を釣るのが面白い。靴を脫ぎ、川にはひり、足で砂の底を搔きまわし、水を濁らせてしまふ。馬鹿な河沙魚は、すると、駈け寄つて來る。にんじんは糸を投げ込む每に、一尾(ぴき)づゝ引き上げるのである。小父(をじ)さんに、それを知らせる暇もない。

 「十六・・・十七・・・十八・・・」

 小父さんは、頭の眞上(まうへ)に太陽が來ると、晝飯に歸らうと云ふ。彼は、にんじんに白隱元をつめ込ませる。

 「こんな美味(うま)いものはないさ」と、小父さんは云ふ――「しかし、どろどろに煮たやつが、わしは好きだ。嚙むとごりごりするやつ、まるで、鷓鴣の羽根肉にもぐつてる鉛の彈丸みたいに、がちりと來(く)るやつ、あれを食ふくらゐなら、鶴嘴の先を嚙(かぢ)つた方がましだ」[やぶちゃん注:「彈丸」戦後版では、『弾丸(たま)』とルビする。それを採る。]

 

にんじん――こいつは、舌の上で溶けるね。いつも、母さんのこしらふ[やぶちゃん注:ママ。]のは、さう不味(まづ)かないけど・・・。でも、こんな具合にはいかないや。クリームを儉約するからだよ、きつと。

小父さん――やい、坊主、お前の食べるところを見てると、わしやうれしいよ。おつ母さんの前ぢや、腹一杯食へないだらう。

にんじん――母さんの腹具合によつてだよ。若し母さんがお腹をすかしてれば、僕も、母さんの腹いつぱい食ふんだ。自分の皿へ取るだけ、僕の皿へも、うんとつけてくれるからね。しかし、母さんが、もうおしまひだつていふ時は、僕もおしまひさ。

小父さん――もつとくれつて云ふんだ、さういふ時は・・・阿呆(あほう)!

にんじん――云ふは易しさ、小父さん。それに、何時も饑(ひもじ)いくらゐでよしといた方がいゝんだよ。

小父さん――わしは子供がないんだが、猿の尻(けつ)でも舐めてやるぜ、その猿が自分の子供なら・・・。なんとかしろよ。

 

 彼等は、その日の日課を葡萄畑で終へるのである。にんじんは、そこで、あるひは小父さんが鶴嘴を使ふのを眺め、一步一步その後をつけ、或は、葡萄蔓の束の上に寢ころび、空を見上げて、柳の芽を吸ふのである。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「名づけ親」一般の名前とは別な洗礼名(一般に聖人の名を用いる)をつけた人を指す。なお、この老人は、最終章の「にんじんのアルバム」の「八」で『名づけ親のピエエル爺さん』と、その名が明らかにされる。なお、岸田氏は台詞のパートでは頭に「小父さん――」と標してゐるが、原作では全て“Parrain :”(音写「パァラン」)となつており、これは文字通り、「名づけ親」の意味である。因みに、私は「にんじん」の中で、唯一、素直に文句なく大好きな登場人物は、この『名づけ親のピエエル爺さん』唯一人である。

「隠元豆」「白隱元」バラ亜綱マメ目マメ科インゲンマメ属インゲンマメPhaseolus vulgaris。この煮込み料理はフランス料理の定番である。

「生葡萄酒」通常のワインでは、最後に壜詰めする際、加熱処理をしてワインに残留してゐる酵母菌を殺菌する。その工程をする前の葡萄酒を「生葡萄酒」と呼んでいるものと思われる。これを、フィルターを通したりして、長い時間をかけて濾過したものは、逆に高級ワインとなる。

「テグス」現在、釣り糸は合成樹脂で作られているが、昔は、蛾の幼虫の体内からとつた造糸器官である絹糸腺を、氷水や酢酸等に浸して、引き伸ばして乾燥させて作った。本邦での「テグス」という呼称は、釣り糸に、その繭が用いられた華南・台湾に棲息する昆虫綱鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科Saturniidaeに属する蛾、Saturnia 属フウサン(天蠶蛾・楓蠶)Eriogyna pyretorum の異名「テグスサン」に由来する。お馴染みのカイコガ科カイコガ亞科カイコガBombyx moriからも。無論、作れる。

「河沙魚(かははぜ)」戦後版のサイト版では、『ハゼ亜目 Gobioidei。淡水産といふことでドンコ科 Odontobutidaeまで狭めることが出来るかどうかまでは、淡水産魚類に暗い私には判断しかねる。』としたが、これは誤りであった。今回、先行してブログで改訂を行ったルナールの「博物誌」の「かは沙魚」で、これは、条鰭綱コイ目コイ科カマツカ亜科 Gobionini 群ゴビオ属タイリクスナモグリ Gobio gobio であることが判明した(本邦には分布しない)。

「鷓鴣」先の「鷓鴣(しやこ)」(しゃこ)の私の注を參照されたい。]

 

 

 

 

    Parrain

 

   Quelquefois madame Lepic permet à Poil de Carotte d’aller voir son parrain et même de coucher avec lui. C’est un vieil homme bourru, solitaire, qui passe sa vie à la pêche ou dans la vigne. Il n’aime personne et ne supporte que Poil de Carotte.

   Te voilà, canard ! dit-il.

   Oui, parrain, dit Poil de Carotte sans l’embrasser, m’as-tu préparé ma ligne ?

   Nous en aurons assez d’une pour nous deux, dit parrain.

   Poil de Carotte ouvre la porte de la grange et voit sa ligne prête. Ainsi son parrain le taquine toujours, mais Poil de Carotte averti ne se fâche plus et cette manie du vieil homme complique à peine leurs relations. Quand il dit oui, il veut dire non et réciproquement. Il ne s’agit que de ne pas s’y tromper.

   Si ça l’amuse, ça ne me gêne guère, pense Poil de Carotte.

   Et ils restent bons camarades.

   Parrain, qui d’ordinaire ne fait de cuisine qu’une fois par semaine pour toute la semaine, met au feu, en l’honneur de Poil de Carotte, un grand pot de haricots avec un bon morceau de lard et, pour commencer la journée, le force à boire un verre de vin pur.

   Puis ils vont pêcher.

   Parrain s’assied au bord de l’eau et déroule méthodiquement son crin de Florence. Il consolide avec de lourdes pierres ses lignes impressionnantes et ne pêche que les gros qu’il roule au frais dans une serviette et lange comme des enfants.

   Surtout, dit-il à Poil de Carotte, ne lève ta ligne que lorsque ton bouchon aura enfoncé trois fois.

 

     POIL DE CAROTTE

Pourquoi trois ?

     PARRAIN

   La première ne signifie rien : le poisson mordille. La seconde, c’est sérieux : il avale. La troisième, c’est sûr : il ne s’échappera plus. On ne tire jamais trop tard.

 

   Poil de Carotte préfère la pêche aux goujons. Il se déchausse, entre dans la rivière et avec ses pieds agite le fond sablonneux pour faire de l’eau trouble. Les goujons stupides accourent et Poil de Carotte en sort un à chaque jet de ligne. À peine a-t-il le temps de crier au parrain :

   Seize, dix-sept, dix-huit !…

   Quand parrain voit le soleil au-dessus de sa tête, on rentre déjeuner. Il bourre Poil de Carotte de haricots blancs.

   Je ne connais rien de meilleur, lui dit-il, mais je les veux cuits en bouillie. J’aimerais mieux mordre le fer d’une pioche que manger un haricot qui croque sous la dent, craque comme un grain de plomb dans une aile de perdrix.

     POIL DE CAROTTE

   Ceux-là fondent sur la langue. D’habitude maman ne les fait pas trop mal. Pourtant ce n’est plus ça. Elle doit ménager la crème.

     PARRAIN

   Canard, j’ai du plaisir à te voir manger. Je parie que tu ne manges point ton content, chez ta mère.

     POIL DE CAROTTE

   Tout dépend de son appétit. Si elle a faim, je mange à sa faim. En se servant elle me sert par-dessus le marché. Si elle a fini, j’ai fini aussi.

     PARRAIN

   On en redemande, bêta.

     POIL DE CAROTTE

   C’est facile à dire, mon vieux. D’ailleurs il vaut toujours mieux rester sur sa faim.

     PARRAIN

   Et moi qui n’ai pas d’enfant, je lécherais le derrière d’un singe, si ce singe était mon enfant ! Arrangez ça.

 

   Ils terminent leur journée dans la vigne, où Poil de Carotte, tantôt regarde piocher son parrain et le suit pas à pas, tantôt, couché sur des fagots de sarment et les yeux au ciel, suce des brins d’osier.

 

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