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2023/12/23

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猫と老媼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 猫と老媼【ねことおうな】 〔北国奇談巡杖記巻三〕同国<越後>弥彦<新潟県西蒲原郡弥彦村>のやしろの末社に、猫多羅天女(めうたらてんによ)の禿(ほこら)とてあり。このはじめを尋ぬるに、佐渡国雑太《さはた》郡小沢といへる所に、一人の老婆ありけるが、折ふし夏の夕つかた、上の山に登りて涼み居けるに、ひとつの老猫きたりて、ともに遊びけるが、砂上に臥しまろびて、さまぐと怪しき戯れをなせり。老婆も浮かれて、かの猫の戯れにひとしく、砂上に臥転《ふしまろ》びてこれを学びしに、何とやらん総身涼しく、快よきほどに、また翌晩もいでてこの業《わざ》をなしてけるに、また化猫来りて狂ひ、ともにたはむれつつ、斯のごとく数日《すじつ》におよぶに、おのづから総身軽く、飛行自在《ひぎやうじざい》になりて化通《けつう》を得て、天に洄溯し地をはしり、倐(たちま)ちに隅目(ますみだ)ち、頇(はげかしら)[やぶちゃん注:底本では「頇」が、(つくり)が「チ」のようになっているが、後に示す活字本に従った。]となり、毛を生じ、形勢すさまじく、見る人肝を消して噩(おどろ)くに絶えたり。かくて終に発屋(いへをはばき)て虚空にさる。岌面(まのあたり)鳴雷して山河も崩るゝごとく、越後の弥彦山にとゞまり、数日《すじつ》霊威をふるひ、雨を降らしぬ。里人時に丁(あた)つて難渋するにより、これを鎮めて猫多羅天女と崇《あが》む。これよりとしごとに一度づつ佐州に渡るに、この日極めて雷鳴し、国中を脅かすこと情つたなき還迹(ありさま)なり。

[やぶちゃん注:「北国奇談巡杖記」加賀の俳人鳥翠台北茎(ちょうすいだい ほっけい)著になる越前から越後を対象とした紀行見聞集。かの伴蒿蹊が序と校閲も担当しており、文化三(一八〇六)年十一月の書肆の跋がある(刊行は翌年)。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第九巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字活字で読める。『卷之二』の『越後國之部』の内。標題は『猫多羅天女』。この一篇、異様に奇体な熟語と読みが多い。

「弥彦」「新潟県西蒲原郡弥彦村」「のやしろの末社に、猫多羅天女(めうたらてんによ)の禿(ほこら)とてあり」現在は「彌彦神社」(現在の「彌彦」は「やひこ」であるが、古くは「いやひこ」と読んでいたので、ここもその読みである可能性がある)の北東直近にある真言宗紫雲山龍池寺宝光院の阿弥陀堂に、この「妙多羅天女像」は安置されている。弥彦観光協会・弥彦観光案内所のサイト「やひ恋」の「弥彦の昔話」の「妙多羅天女と婆々杉」によれば、

   《引用開始》

妙多羅天女は彌彦神社鍛匠(たんしょう)―鍛冶職の家柄―であった黒津弥三郎の祖母(一説に母)でした。黒津家は彌彦の大神の来臨に随従して、紀州熊野からこの地に移り、代々鍛匠として神社に奉仕した古い家柄でした。

 白河院の御代、承暦3年(1079)彌彦神社造営の際、上棟式奉仕の日取りの前後について鍛匠と工匠(大工棟梁家)との争いとなり、結局、弥彦庄司吉川宗方の裁きで、工匠は第1日、鍛匠は第2日に奉仕すべしと決定されました。

 これを知った祖母は無念やるかたなく、怨みの念が高じて悪鬼に化け、庄司吉川宗方や工匠にたたり、さらに方々を飛び歩いて悪行を重ねました。

 ついには弥三郎の狩りの帰路を待ちうけ、獲物を奪おうとして右腕を切り落とされました。さらに、家へ戻って弥三郎の5歳ばかりになった長男弥次郎をさらって逃げようとしたところを弥三郎に見つけられ失敗しました。家から姿を消した祖母は、ものすごい鬼の姿となり、雲を呼び風を起こして天高く飛び去ってしまいました。

 それより後は、佐渡の金北山・蒲原の古津・加賀の白山・越中の立山・信州の浅間山と諸国を自由に飛行して、悪行の限りを尽くし、「弥彦の鬼婆」と恐れられました。

 それから80年の歳月を経た保元元年(1156)、当時弥彦で高僧の評判高かった典海大僧正が、ある日、山のふもとの大杉の根方に横になっている一人の老婆を見つけ、その異様な形態にただならぬ怪しさを感じて話したところ、これぞ弥三郎の祖母であることがわかりました。

 驚いた典海大僧正は、老婆に説教し、本来の善心に立ち返らせるべく秘密の印璽を授けられ、「妙多羅天女」の称号をいただきました。

 高僧のありがたいお説教に目覚めた老婆は、

 「今からは神仏の道を護る天女となり、これより後は世の悪人を戒め、善人を守り、とりわけ幼い子らを守り育てることに力を尽くす。」

 と大誓願を立て、神通力を発揮して誓願のために働きだしました。

 その後は、この大杉の根元に居を定め、悪人と称された人が死ぬと、死体や衣類を奪って弥彦の大杉の枝にかけて世人のみせしめにしたといわれ、後にこの大杉を人々は「婆々杉」と呼ぶようになったといいます。

 婆々杉は宝光院の裏山のふもとにあって、樹齢一千年を数えるといい、昭和27年、県の天然記念物に指定されました。

 弥彦山の頂上近く、婆の仮住居の跡といわれる婆々欅(ばばけやき)、世を去った土地といわれる宮多羅(みやたら)の地名もあります。この欅は農民が雨乞い祈願に弥彦山へ登山するとき、必ず鉈目を入れたといわれている大欅です。

   《引用終了》

とある。私には既に、二〇一七年に公開した「北越奇談 巻之六 人物 其二(酒呑童子・鬼女「ヤサブロウバサ」)」があるが、そこでも紹介した、高橋郁子氏の「ヤサブロバサをめぐる一考察」という優れたページが存在する。是非、読まれたい。サイト「福娘童話集」の「鬼女になった、弥三郎の母」は、この妖怪が佐渡にまで渡った話となっており、やはり読まれんことをお薦めする。なお、個人サイト「山は猫」の「宝光院の妙多羅天女像御開帳(新潟県弥彦村)」で、実見された現在の天女像について、『阿弥陀堂に入った。中央に阿弥陀如来像、左側に「妙多羅天」の額があり、立派な飾り厨子の扉が開いていた』。『妙多羅天女像は、黒っぽく変色していて相当古そうだ。奪衣婆像によく見られる綿帽子をまとうように被り、何かにつかみかかるようなお姿だった。かつてこの真綿は、子どもの首に巻くと百日咳が治る「妙多羅天御衣」として参拝者の信仰を集めたという』。『三体ある妙多羅天の残り二体は、阿弥陀如来像の左右に安置されている。このうち左側の像が写真でよく紹介されているものだった。片膝を立てた姿は奪衣婆像そのもの』であった、とある。「ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その25)妙多羅天女は、古代ペルシアの「ミトラ」神信仰が元⁉【寄稿文】廣谷知行」で、後者の二像の写真があるが、これは明らかに「奪衣婆」であり、前掲した「婆々杉」も強い親和性がある。鬼子母神と同様で、忌まわしい鬼女が改心して仏の眷属となるという説話は、却って民衆に受け入れられ易いのである。

「佐渡国雑太郡小沢」郡名は現代仮名遣では「さわた」。現行の地名に「小沢」はない。但し、旧雑太郡内の佐渡市窪田に「小沢窯跡(こざわがまあと)」がある(グーグル・マップ・データ)。この窯跡は、「佐渡市」公式サイト内の「佐渡の文化財」の「佐渡市指定 記念物:小沢窯跡」には、『この場所は「焼場跡」とも呼ばれ、窯の起源は不明であるものの、『佐渡四民風俗』に、文化年間』(一八〇四年〜一八一七年)『中期か後期頃の成立であろうと記されている』とあるだけで、地名とも判然とはしない。

「還迹(ありさま)」『ちくま文芸文庫』も同じだが、前掲の正字版では、『𨗈迹(ありさま)』となっている。「𨗈」は「行跡・行い」の意であるから、しっくりくる。この「還」の字は宵曲の誤記か、誤植である。]

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