柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「二十年経て帰宅」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
二十年経て帰宅【にじゅうねんへてきたく】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕江州八幡<滋賀県八幡市>は彼国にては繁花なる場所の由。寛延・宝暦の頃、右町に松前屋市兵衛といへる有徳《うとく》なる者、妻を迎へて暫く過ぎしが、いづち行きけんその行方なし。家内上下大に歎き悲しみ、金銀惜しまず所々尋ねけれど、曾てその行方知れざりし故、外に相続の者もなく、かの妻も元一族の内より呼び迎へたるものなれば、外より入夫して跡を立て、行衛なく失ひし日を命日として訪《と》ひ弔《とむら》ひしける。かの失ひし初めは、夜に入り用場へ至り候とて下女を召連れ、厠の外に下女は燈火を持ち待居りしに、いつ迄待てども出《いで》ず。妻は右下女に夫の心ありやと疑ひて、かの厠に至りしに、下女は戸の外に居りし故、何故用場の永き事と、表より尋ね問ひしに一向答へなければ、戸を明け見しに、いづち行きけん行方なし。かゝる事ゆゑ、その砌《みぎり》は右の下女など難儀せしとなり。然るに二十年程過ぎて、或日かの厠にて人を呼び候声聞えし故、至りて見れば右市兵衛、行方なくなりし時の衣服等、少しも違ひなく坐し居りし故、人々大いに驚き、しかじかの事なりと申しければ、しかと答へもなく、空腹の由にて食を好み、早速食事など進めけるに、暫くありて著《ちやく》し居り候衣類も、ほこりの如くなりて散り失せて裸になりし故、早速衣類等を与へ薬など与へしが、何か古への事覚えたる様子にもこれなく、病気或は痛所などの呪《まじな》ひなどなしける由。予<根岸鎮衛>が許へ来《きた》る眼科の、まのあたり八幡の者にて見及び候由咄しけるが、妻も後夫《うはを》もをかしき突合《つきあひ》ならんと一笑なしぬ。
[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 貮拾年を經て歸りし者の事」を見られたい。]
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