柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鼠の宿替」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
鼠の宿替【ねずみのやどかえ】 〔四不語録巻五〕右に記す<元禄三年三月十六日>金沢大火事の節、村越何某と云ふ人あり。その弟松浦氏の宅は新竪町《しんたてまち》の火本よりはほど近し。村越の宅は遙かにへだたりしゆゑに、家来をあまた松浦方へ遣はし、火を防がせければ、火災はのがれたり。何《いづ》れも働きて疲れたるらんとて、村越方にて食物《しよくもつ》を調へ、松浦方へ持たせつかはす。村越某その食物の試みせんとて、三の間へ出て奴婢(めしつかひ)を以て給仕させて食事をいたしけるに、奴婢次の間へ立ちし跡に、納戸のより鼠あまたつれ立ち出《いで》て、三の間の縁《えん》の方へ行く。何某こは珍らしき事なりとながめ居《を》る所へ、奴婢かへりてこれを見付け、逐《お》ひ打たんとす。何某これを制して、いかゞなり行く、これを見はたすべきとて、戸外《こがい》へ出《いで》てこれを見るに、隣さかひの塀を踰(こ)えて、後(うしろ)の町屋へ行く。その数二三百もあらんと見ゆ。しばらく連立《つれだ》ち行きてやみぬ。いといぶかしき事と思ふ所に、十七日の朝の火事に村越宅も残らず焼失しぬ。かの鼠の行きし後《うしろ》の町屋は焼けざるなり。これ予(あらかじ)め火災を知りて、鼠の宿を替へしならん。
[やぶちゃん注:「四不語録」「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。
「元禄三年三月十六日」同月「十七日の朝の火事」資料によれば、元禄三年三月十六日と三月十七日(グレゴリオ暦一六九〇年四月二十四日と二十五日)に、金沢では、別に二度、続いて、大火が起こっている。前者は九百軒、後者は六千六百三十九軒と大量の家屋が焼失している。金沢では旧暦の三月から四月にかけて大火が多かったが、これは、北陸地方特有の、所謂「フェーン現象」に起因するものである。
「新竪町」ここ(グーグル・マップ・データ)。]
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