譚海 卷之九 鍋島家士坂田常右衞門夫婦の事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]
鍋島家の士に坂田常右衞門と云(いふ)者、をさなきときより、妻を、おなじ家士の娘に約し、兩家の親、約諾(やくだく)終りて、結納をもやりたるに、常右衞門、はたちあまりのころ、江戶づめの役、さゝれ、出府せしが、篤實なる者にて、首尾能(よく)勤(つとむ)るほどに、段々、劇職にうつり、俸祿など加增ありて、年來(ねんらい)、江戶に在(あり)しが、常右衞門ならでは、江戶の事、治(をさ)まりがたきやうに成(なり)て、いくとしも、歸鄕のいとま、かなはず、數年(すねん)經たりしかば、約諾の娘も生長(せいちやう)に過ぎ、あまり、年久しく成(なり)ぬる事故、
「世悴(せがれ)、江戶にあれども、かくても、あるまじき事、我等も年寄(としより)ぬるまゝ、介抱にもあづかりたき。」
よしを、兩親、まめやかに、いひやりければ、娘の親も、
『もつともなる事。』
に思ひて、先づ、娘を、常右衞門親のもとへ、つかはしけるに、此(この)嫁、殊に、おなじき心ばへにて、常右衞門親に、よくつかへ、年々(としどし)を送りけれども、夫(をつと)は、なほなほ、歸國のゆるしもなく、江戶に在勤しけり。
かゝれば、二、三十年も立(たち)ぬる事ゆゑ、終(つひ)には、しうと・しうとめも、をはりぬ。
それまで、此よめ、つかへ、孝成(なる)事、見聞く人も、哀れを、もよほさざるは、なし。
さて、常右衞門、四十餘年、江戶にありて、七十歲に及びて、天明[やぶちゃん注:底本では編者傍注があり、『(明和)』の誤りとする。]五年、はじめて、江戶の役を、ゆるされ、歸國せしかば、共に白髮の夫婦にて、はじめて婚姻の儀式、調ひたる、とぞ。
珍敷(めづらしく)も、又、貞婦成(なる)事に、人々、感じかたり傳へける、とぞ。
[やぶちゃん注:「鍋島家」肥前国佐賀藩主鍋島家。江戸出仕時は第五代藩主鍋島宗茂で、明和五(一七六八)年当時は第七代藩主鍋島重茂(しげもち)の治世。実に三代を通じて、坂田常右衛門を不憫と思わなかったということは、代々が、人情を解さぬ糞藩主であったと断じる外はない。いやさ、「鍋島藩残酷物語」である。
「劇職」激務の要職。]
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