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2023/12/27

只野真葛 むかしばなし (102)

 

一、桑原の高弟に「養丹」といひし人、有(あり)し。此名、付られしころまでは、おぢ樣も萬事、父樣のまねばかり被ㇾ成し時なりし。

「人の名は、書(かき)よく、おぼへよきが、よひ[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、「元丹」といふ弟子有しにならひて、つけられしなり。後に五、六萬石の大名家中となりて有し【追(おつ)て聞(きく)、「養丹は仙石越前守樣御家中、熊崎某(なにがし)養子に成(なり)、後(のち)「養春」といひしなり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。

 同家中の用人の妻、ふしぎの病(やまひ)にて有し。

 見うけたる所、つねの如く、食も相應に成(なり)、氣分もよく、色つやもよし。

 縫物を手にとれば、たちまち、ふさぎ、一向に、すること、ならず。

 二月、三月は、うちすてゝもおきしが、三年わづらひて、家内(いへうち)、ぼろを引(ひき)て有し、とぞ。

 いろいろ、「しやく」の藥も用ひしかど、しるしなかりしに、其頃、他國より來りし下人を、めしつかひしが、ある時、其中元(ちゆうげん)[やぶちゃん注:「中間」に同じ。]が申(まふす)は、

「私(わたくし)が家につたはりし一子相傳の積[やぶちゃん注:ママ。前の「しやく」と同じで、「癪」。多くは古くから女性に見られる「差し込み」という奴で、胸部、或いは、腹部に起こる一種の痙攣痛。医学的には胃痙攣・子宮痙攣・腸神経痛などが考えられる。別称に「仙気」「仙痛」「癪閊(しゃくつかえ)」等がある。]の妙藥の候。奧樣へ、さし上見申度(あげみまふした)し。」

と、いひし、とぞ。

「『とても、藥は、きかぬもの。』と思ひしを、何にても、こゝろみん。」

とて、もらひうけてのみしに、すらすらと、快氣せし、とぞ。

「ふしぎのこと。」

と、悅(よろこび)、ほうびなどつかわして[やぶちゃん注:ママ。]有しに、一季に成(なり)しかば、いとま申上(まうしあげ)て國へかへる時、主人のいふは、

「其方、おぼゑし粉藥(こなぐすり)、誠(まこと)にきたいの名法なり。あまねく、人にほどこして、病(やまひ)のたすけともなすべきを、何卒、我に、其法を傳授せよ。」

と、いひしに、下人、淚をながして、

「御尤なる御意(ぎよい)に候へども、父が末期(まつご)につたへしこと故、遺言とも形見とも存(ぞんじ)候こと故、御つたへ申上がたし。」

と、いひし、とぞ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落してある。]

 主人も、ぜひなく、法をならはざりしに、其中元、下りて後(のち)、半年ばかり有(あり)て、又、例の病(やまひ)おこりし、とぞ。

 藥をこひしたひて有し所へ、養丹、見舞(みまひ)しかば、有しことゞもを語(かたり)つゞけて、法をおしみ[やぶちゃん注:ママ。]しを、にくみておるを、養丹は、たばこのみながら、つくづくと聞居(ききをり)しが、

「さて、其藥は、きぐすり屋よりとゝのへ來りしや。」

と、とふ。

「さやうなり。」

といふ。

「わたくし、少々、心あたりのことも候間、近日、藥法を承りいだし、調合さし上申(あげまふす)べし。」

とて、しりぞき、心中におもふ。

『其中元、たしかに、近所の藥屋へ行(ゆき)しなるべし。かねて、酒のみなかまの藥屋に、もし、うり上帳(あげちやう)に、付(つけ)てあるや。』

と、こゝろ付(づき)し故、其足にて、行(ゆき)たり。

 養丹といふ人は、大の酒好(さけずき)にて、いづかたにても、酒の有(ある)所へ、ひしと、入(いり)びたりて居(を)る人なりしが、此藥屋も、酒のみにて、日ごとの友なりしかば、例のごとく、酒をのみあひて後(のち)、

「我、我等(われら)屋敷の用人の所なる中元、此見世へ、粉藥を、かひに來りし事は、なきや。」

と聞(きき)しに、

「去年中、折々、來りし。」

といふ故、

「しからば、むつかしながら、其時のうり上帳を、少し、見たき事、有(あり)。」

と、いひしかば、

「やすきこと。」

とて取(とり)いだしみせしに、買藥(かひやく)のかなしさは、かくしとすれど[やぶちゃん注:ママ。「隱しとすれど」か。「隱(かく)さんとすれど」であろう。]、おのづから、分量、ありありと、しるし有(あり)し、とぞ。

 養丹、大きに、悅(よろこび)、うつしとりて、すぐすぐ、藥屋にて調合し、翌日、用人かたへ持參してのませしに、たちまち、こゝろよく成(なり)し故、大(おほ)ほこりせし、とぞ。

「是、『酒のみ養丹』が一生の出來(でき)なり。」

と聞(きき)し。

 藥種三味(さんみ)・龍膽(りんだう)二匁(もんめ)・細辛五匁・沈香(ぢんかう)壱匁。

 其中元、名、惣八といひし故、「惣八散」と名付しが、合(あはせ)て、八匁なれば、よしある名なるべし。

 さて、此病(やまひ)は、わかき人に、しばしば有(ある)ことなれど、病とはしらで、「縫物きらい[やぶちゃん注:ママ。]」と名付(なづく)る事なり。

 養丹は、はきはきとせず、ずるけものといふなり。五十ばかりに成(なり)て、ひさしく病(やまひ)せしに、氣(き)のごとく、はきともせず[やぶちゃん注:彼の性格と同じで、病態ははっきりと現れず。]、又、わるくもならず、其内、分(わけ)て、すぐれぬとき、日中、看病人など置(おき)し事有(あり)しに、夏の事なりし。

 長日[やぶちゃん注:夏のある日。]七ツ頃[やぶちゃん注:午後四時頃。]、床の上にうすねぶりて居(ゐ)しに、いづくより來りしや、薄鬢(うすびん)のふとりたる大男、枕上(まくらがみ)のかたに、座して有(あり)しが、其男の曰(いはく)、

「其方、病は、いかゞせられしや。我等も、昔、そのやうに、わづらひ、久しく難儀せしが、次郞坊樣の御弟子になつてから、すきと、よく成(なり)し。其方にも御弟子になる心は、ないか[やぶちゃん注:ママ。]。御弟子に成氣(なるき)なら、俺と、つれだちて、ござれ。」

と、いひし、とぞ。

 養丹は、うつうつとしながら、こたふるは、

「近頃、かたじけなきことなり。さりながら主人を持(もち)し身(み)故、いとまをもらはねば、身は、うごかしがたし。」

といふを、聞(きき)おわらぬうち[やぶちゃん注:ママ。]、かの大男、まなこをかへして、

「橫道(わうだう)ものめ。」[やぶちゃん注:「橫道」人間としての正しい道に外れていること。邪(よこし)ま。邪道。]

としかりし聲、耳にひゞきて、今ぞ誠に目はさめしが、其男は、たちてあゆむともなく、庭の角(すみ)なる八ツ手の下にて、消(きえ)うせたり。

 柿色の帷巾(かたびら)に、淺黃(あさぎ)のすゞしの羽織を着たりし、と、見うけし。[やぶちゃん注:「すゞし」「生絹」。まだ練らないままの絹糸。生糸 (きいと) 。この怪人の姿も、挙げた「次郞坊」という名も、全く以って天狗である。]

 看病人は、次に、ねむりて居(ゐ)しが、

「何か、うなさる[やぶちゃん注:ママ。]聲、する。」

とて、おどろきて[やぶちゃん注:目を覚まして。]、見に來りし、とぞ。

「是、世にいふ『神かくし』の成(なり)そこねならんか。」

と、いひあひし。

 大男の着たる物、極(ごく)むかしの服付(ふくつき)なり。

 ことばなども、今時(こんじ)、聞(きき)なれず、「橫道もの。」といひしも、中々、作りごとには、いでじ。

 養丹、元來、きつとせし心もなくて、表むき尤(もつとも)にて、口入(くちいれ)しがたき挨拶せし故、さやうに、いひしなるべし。

 それより、だんだん、快氣と成(なり)しも、不思議のことなりし。

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