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2023/12/10

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「木の葉の嵐」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、このヴァロトンの挿絵は、先行する「喇叭」とともに、特異点の絵である――二枚とも人物が描かれていないという点で――である。

 

Konohanoarasi

 

     木の葉の嵐

 

 もう餘程前から、にんじんは、ぼんやり、大きな白揚樹(ポプラ)の、一番てつぺんを見つめてゐる。[やぶちゃん注:「白揚樹(ポプラ)」の「揚」の字はママ。正しくは「白楊樹」である。恐らくは植字工のミスであろう。校正係も、最終校正をした岸田氏も見落としたものと思われる。ルビを附してあることで、逆に錯覚して見落とすことが、しばしばある。これもその哀しい集団感染の一例である。その証拠に、後文でも同じ誤植をしているのである。三者は皆が皆、気づかなかったのである。]

 彼は、空(うつ)ろな考へを追ふ。そして、その葉の搖れるのを待つ。

 その葉は、樹から離れ、それだけで、軸もなく、のんびりと、別個の生活をしてゐるやうに見える。

 每日、その葉は、太陽の初めと終りの光線を浴び、黃金色に輝く。

 正午からこつち、死んだやうに動かない。葉といふよりも點だ。にんじんは我慢がしきれなくなる。落ちついてゐられない。すると、やうやく、その葉が合圖をする。

 その下の、すぐ側(そば)の葉が一つ、同じ合圖をする。ほかの葉が、また、それを繰り返し、隣近所の葉に傳へる。それが、急いで、次へ送る。

 そして、これが、危急を告げる合圖なのである。なぜなら、地平線の上には、褐色の球帽が、その繍緣(ぬひぶち)を現はしてゐるからだ。[やぶちゃん注:「褐色の球帽」「球帽」は「きゆうぼう」。原文は“calotte”(カロット)。聖職者の被る黒いお椀形・半球状をした帽子のことを言う。「法帽」とも。以下、本章の最後のネタバレになるので、初読の方は、以下の太字部分は読まないでスルーされたい。本章では、強い風を惹起しながら、太陽の余光をじわじわと侵食してくる「夜(だから――黒い――のであって、とんでもない暴風雨を齎すところの本物の黒雲ではないのである)の浮き雲の塊り」を、これ以下、この――“calotte”――で示す続ける。しかし、それは、まさに――“Carotte”――主人公「にんじん」――の心の中で、いやさわに、膨れ上がつてゆくところの恐るべき――“calotte”――なのである……

 白揚樹(ポプラ)は、もう、顫(ふる)え[やぶちゃん注:ママ。]てゐるのだ――彼は動かうとする。邪魔になる重い空氣の層を押し退けようとする。[やぶちゃん注:「退け」戦後版では、『退(のけ)』とルビする。]

 彼の不安は、山毛欅(ぶな)へ、柏へ、マロニエヘと移つて行き、やがて、庭ぢうの樹といふ樹が、互に、手眞似身振りで囁き合ふ。空には例の球帽が、みるみるうちに擴がり、そのくつきりと暗い緣飾を、前へぐんぐん押し出してゐることを報らせ合ふのである。[やぶちゃん注:「庭ぢう」「庭中(にはぢゆう)」であるが、近代以前よりかなり遡っても「ちう」「ぢう」は慣用的によく使用される。]

 最初、彼等は、細い枝を震はせて、鳥どものお喋りを止めさせるのである。生豌豆を一つ抛(はふ)るやうに、氣紛れにぽいと啼いていた鶫(つぐみ)、ペンキ塗りの喉から、やたらにごろごろといふ聲を絞り出すところを、にんじんもさつきから見てゐた雉鳩、それから例の鵲(かささぎ)の尾の、それだけで、なんとも困りものゝ鵲・・・。[やぶちゃん注:「生豌豆」「なまゑんどう」。「雉鳩」戦後版では、『山鳩』としておられるが、これはハト目ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis の別名なので、全く問題はない。実は底本では、この部分に、利用者が「雉鳩」をおかしい(或いは「雉」・「鳩」と二種で読んだか)と思ったらしく、鉛筆でぐちゃぐちゃと多量に右に傍線を引いてあったことから、老婆心乍ら、注したものである。]

 その次に、彼等は、敵を威嚇するために、その太い觸角を振り廻しはじめる。[やぶちゃん注:「彼等」老婆心乍ら、白楊樹(ポプラ)の樹群を指す。]

 鉛色の球帽は、徐々に侵略を續けてゐる。

 次第に天を覆ふ。靑空を押し退け、空氣の拔け孔を塞ぎ、にんじんの呼吸(いき)をつまらせにかゝる。時として、それは、自分の重みのために力が弱り、村の上へ墜ちて來るかと思はれることがある。しかし、鐘樓の尖端で、ぴたりと止る、こゝで破られてはならぬといふ風に。

 愈〻すぐそこへ來た。ほかゝら挑みかける必要はない。恐慌が始まる。ざわめきが起る。[やぶちゃん注:「起る」戦後版は『起こる』。それで採る。]

 總ての樹木は、荒れ狂ひ、取り亂した圖體を折り重ねる。その奧には、つぶらな眼と、白い嘴に滿たされた幾多の巢があるであらうと、にんじんは想像する。梢が沈む。と、急に眼を覺ましたやうに、起き上る。葉の茂みが、組を作つて駈け出す。が、間もなく、怖わ怖わ、素直に、戾つて來る。そして、一生懸命に縋りつく。あかしやの葉は、華車で、溜息をつく。皮を剝がれた白樺の葉は、哀れつぽい聲を出し、マロニエの葉は口笛を吹く。そして、蔓のある馬兜鈴(うまのすゞぐさ)は、壁の上へ重り合つて 波のやうな音をたててゐる。[やぶちゃん注:「圖體」「づうたい」(現代仮名遣「ずうたい」)。「華車」「きやしや」。「華奢」(きゃしゃ)の別表記。「重り合つて」の後の空白はママ。誤植とも思われるが、或いは、岸田氏はここに読点を打っていた可能性があるので、敢えて空けておいた。なお、戦後版では、読点はなく、普通に続いている。]

 下の方では、ずんぐりむつくり、林檎の木が、枝の林檎をゆすぶり、鈍い力で地べたを叩く。

 その下では、すぐりの木が赤い滴を、黑すぐりがインク色の滴を垂らしてゐる。[やぶちゃん注:「滴」戦後版では、前者の『しずく』とルビするから、「しづく」と訓じておく。]

 更に下の方では、醉つ拂つたキヤベツが、驢馬の耳を打ち振り、上氣せた葱が、互に鉢合せをして、種で膨らんだ丸い實(み)を碎く。[やぶちゃん注:「上氣せた」「のぼせた」。「葱」原文は“oignons”で、これは玉葱(単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属タマネギ Allium cepa )を指し、本邦の「葱」(ネギ属ネギ Allium fistulosum var. giganteum )ではない。しかし、この訳は、私は絶妙な意味に於いて、これでよいと思うのである。何故なら、現在の一般的な日本人は、畑でタマネギの薹(とう)が立った実を容易に想起出来るような環境にはあまりいないからである。ここは、寧ろ、まだ「葱坊主」で古くから親しんでいるそれをイメージしてこそ躓かずに読めるからである。]

 どうしてだ? 何事だ、これは? そして、一體、どんなわけがあるのだ? 雷が鳴るのでもない。雹が降るわけでもない。稻光りひとつせず、雨一滴落ちて來ず・・・。とは云へ、あの混沌たる天上の闇、晝の日なかに忍び寄るこの眞夜中が、彼等を逆上させ、にんじんを縮み上らせたのだ。

 今や、件の球帽は、覆面した太陽の眞下で、擴がれるだけ擴がつた。[やぶちゃん注:「件」「くだん」。]

 動いてゐる。にんじんはちやんと知つてゐる。滑つて行く。正體はばらばらの浮雲だ。さあもうおしまひだ。お日樣が見られるわけである。だが、そのうちに、空いつぱいに天井を張つてしまつても、にんじんの頭は、却つてそのために締めつけられ、額のへんへ喰ひ込むやうに思はれる。彼は眼をつぶる。すると、例の球帽は、情容赦もなく、瞼の上へ眼かくしをしてしまふ。

 彼は彼で、兩方の耳へ指を突つ込む。ところが、嵐は、叫びと旋風に乘つて、外から、家の中へ侵入する。

 そして、街で紙片(かみぎれ)を拾ふやうに、彼の心臟をつかむ。

 揉む。皺くちやにする。丸める。握り潰す。

 やがて、にんじんは、これが自分の心臟かと思ふ。僅かに、飴玉の大きさだ。

 

[やぶちゃん注:原本は、ここから。

「白揚」(割注で示したように正しくは「楊」)「樹(ポプラ)」原文は“peuplier”。この語は広く、キントラノオヤナギ科ヤマナラシ属 Populus を指す語であるが、これ、ゴッホの絵によく描かれてあることで有名な、空をつんざくように真っ直ぐ直立して伸びるヤマナラシ属ヨーロッパクロヤマナラシ変種セイヨウハコヤナギ Populus nigra var. italica の印象ではない。特にヴァロトンの挿絵のそれは、直立した灌木ではなく、枝を相応に広げてこんもりとしたものとして描かれている(但し、この樹種が、本文の後に出る樹種(例えば「林檎」)の絵でないという保証はないのだが、本篇の樹木の主人公はあくまで白楊樹(ポプラ)であるからして、ヴァロトンが他の脇役の樹種なんぞを挿絵には逆立ちしても描かないと私は信ずる)。さすれば、私はこれはヨーロッパ原産だが、本邦には明治中期に移入され、特に北海道に多く植えられたことで我々に馴染み深いヨーロッパクロヤマナラシ Populus nigra ではないかと考えている。フランス語の当該種のウィキによれば、フランス語では“Peuplier noir”(黒いポプラ)で、ルナールの故郷シトリー村も地理的分布図に含まれている。また、本種の枝は不規則で重く、老樹の大きな枝はアーチ形を成している、とある辺りは、ヴァロトンの絵にマッチするように思われるのである。因みに、ウィキの「ポプラ」によれば、『外来』種群である『ポプラの和名は』、『現在まで整理がなされていないため、同一種でも別名や別表記が多く、学術論文ですら』、『混乱しており、植物園などの表記にも不統一なものが多い』とし、そこで挙げた主な種の『名称も統一名称ではない』とある。何れにせよ、私達が「ポプラ」としてイメージするものと甚だ近いものだろうと考えてよいように思われはするのである。

「柏」これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oak Quercus robur を挙げてもよいだろう。

「山毛欅(ぶな)」原文は“hêtre”。双子葉植物綱ブナ目ブナ科ブナ属 Fagus 。さらに狭めるならヨーロッパブナ Fagus sylvatica でよかろうか。因みに、以下、話しが完全に脱線するが、「山毛欅」の「欅」は「けやき」と読み、バラ目ニレ科ケヤキ Zelkova serrata を指すのだが、本邦に植生するブナFagus crenata (ヨーロッパには植生しない)とは、これ、全く異なつた種であることに注意しなくてはならない。ところが、この縁遠い二種は、観察すると、特に葉が両者が良く似ているのである。ブナの若葉には細かな産「毛」(うぶげ)が生えていること、ケヤキの方は里に近く、ブナは「山」間部に多いことからの命名とされる。

「あかしや」候補として、マメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属フサアカシア Acacia dealbata を挙げておく。フランス語の同種のウィキによれば、オーストラリアから人為的に移入された本種は、その後、栽培地から播種され、フランスでは、地中海と大西洋の海岸で野生で見られ、そこでは、帰化しているとある。分布域が不審だが、栽培されて根付いたとすれば、まあ、問題ないだろう。

「マロニエ」双子葉植物綱ムクロジ目トチノキ科トチノキ属 Aesculusのヨーロツパ種であるセイヨウトチノキ Aesculus hippocastanum のこと。フランス語名が“marronnier”(マロニエ)。フランスの街路樹の代表種である。

「鶫」原文は“grives”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多いので、絞り込めない。

「鵲」二つ前の章「銀貨」の「遙か上の、木の枝か、その邊の古巢の奧か?」の注を参照されたい。

「馬兜鈴(うまのすゞぐさ)」本邦で知られるのは、双子葉植物綱ウマノスズクサ目ウマノスズクサ科ウマノスズクサAristolochia debilis 。楽器のサックスのようなU字形状をした壺状の花をつけるものが多い(それが、「馬の首に懸ける鈴」に似ることからの命名らしい)。ショウジョウバエ等によって受粉する蝿(じょう)媒花である。但し、残念ながら、この種は、本邦の本州の東北南部以西の四国・九州・奄美大島、及び、中国中部から南部にしか植生しないので、違う。そこで、フランス語のウマノスズクサ属のウィキを見たところ、 フランス本土では、Aristolochia clematitisAristolochia rotundaAristolochia pistolochiaAristolochia pallidaAristolochia paucinervisAristolochia sempervirensAristolochia clusii 種がリストされている、とあったので、この中の孰れかである。

「すぐり」原文は“groseilliers”。双子葉植物綱バラ目スグリ科スグリ属 Ribes の、こちらは恐らくセイヨウスグリ(フサスグリ)Ribes rubrumの、果實が赤色系を呈するもの(アカスグリ)、或いは、白色系に近いのもの(シロスグリ)を指していると思われる。

「黑すぐり」原文は“cassis”。こちらは前注と同じスグリ属 Ribes の、クロスグリ Ribes nigrum を指してゐる。食用飲料材料など、多岐に用いられる本種の実は、黒に見える濃い紫色を呈している。]

 

 

 

 

    La Tempête de Feuilles

 

   Il y a longtemps que Poil de Carotte, rêveur, observe la plus haute feuille du grand peuplier.

   Il songe creux et attend qu’elle remue.

   Elle semble détachée de l’arbre, vivre à part, seule, sans queue, libre.

   Chaque jour, elle se dore au premier et au dernier rayon du soleil.

   Depuis midi, elle garde une immobilité de morte, plutôt tache que feuille, et Poil de Carotte perd patience, mal à son aise, lorsque enfin elle fait signe.

   Au-dessous d’elle, une feuille proche fait le même signe. D’autres feuilles le répètent, le communiquent aux feuilles voisines qui le passent rapidement.

   Et c’est un signe d’alarme, car, à l’horizon, paraît l’ourlet d’une calotte brune.

   Le peuplier déjà frissonne ! Il tente de se mouvoir, de déplacer les pesantes couches d’air qui le gênent.

   Son inquiétude gagne le hêtre, un chêne, des marronniers, et tous les arbres du jardin s’avertissent, par gestes, qu’au ciel la calotte s’élargit, pousse en avant sa bordure nette et sombre.

   D’abord, ils excitent leurs branches minces et font taire les oiseaux, le merle qui lançait une note au hasard, comme un pois cru, la tourterelle que Poil de Carotte voyait tout à l’heure verser, par saccades, les roucoulements de sa gorge peinte, et la pie insupportable avec sa queue de pie.

   Puis ils mettent leurs grosses tentacules en branle pour effrayer l’ennemi.

   La calotte livide continue son invasion lente.

   Elle voûte peu à peu le ciel. Elle refoule l’azur, bouche les trous qui laisseraient pénétrer l’air, prépare l’étouffement de Poil de Carotte. Parfois, on dirait qu’elle faiblit sous son propre poids et va tomber sur le village ; mais elle s’arrête à la pointe du clocher, dans la crainte de s’y déchirer.

   La voilà si près que, sans autre provocation, la panique commence, les clameurs s’élèvent.

   Les arbres mêlent leurs masses confuses et courroucées au fond desquelles Poil de Carotte imagine des nids pleins d’yeux ronds et de becs blancs. Les cimes plongent et se redressent comme des têtes brusquement réveillées. Les feuilles s’envolent par bandes, reviennent aussitôt, peureuses, apprivoisées, et tâchent de se raccrocher. Celles de l’acacia, fines, soupirent ; celles du bouleau écorché se plaignent ; celles du marronnier sifflent, et les aristoloches grimpantes clapotent en se poursuivant sur le mur.

   Plus bas, les pommiers trapus secouent leurs pommes, frappant le sol de coups sourds.

   Plus bas, les groseilliers saignent des gouttes rouges, et les cassis des gouttes d’encre.

   Et plus bas, les choux ivres agitent leurs oreilles d’âne et les oignons montés se cognent entre eux, cassent leurs boules gonflées de graines.

   Pourquoi ? Qu’ont-ils donc ? Et qu’est-ce que cela veut dire ? Il ne tonne pas. Il ne grêle pas. Ni un éclair, ni une goutte de pluie. Mais c’est le noir orageux d’en haut, cette nuit silencieuse au milieu du jour qui les affole, qui épouvante Poil de Carotte.

   Maintenant, la calotte s’est toute déployée sous le soleil masqué.

   Elle bouge, Poil de Carotte le sait ; elle glisse et, faite de nuages mobiles, elle fuira : il reverra le soleil. Pourtant, bien qu’elle plafonne le ciel entier, elle lui serre la tête, au front. Il ferme les yeux et elle lui bande douloureusement les paupières.

   Il fourre aussi ses doigts dans ses oreilles. Mais la tempête entre chez lui, du dehors, avec ses cris, son tourbillon.

   Elle ramasse son coeur comme un papier de rue.

   Elle le froisse, le chiffonne, le roule, le réduit.

   Et Poil de Carotte n’a bientôt plus qu’une boulette de coeur.

 

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