柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白猿刀を奪う」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
白猿刀を奪う【はくえんかたなをうばう】 〔兎園小説第十一集 〕佐竹侯の領国羽州に山役所《やまやくしよ》といふ処あり。この役所を預りをる大山十郎といふ人、先祖より伝来する所の貞宗の刀を秘蔵して、毎年夏六月に至れば、これを取り出だして、風を入るゝ事あり。文政元六月例のごとく座敷へ出だし置きて、あるじもかたはら去らず、守り居けるに、いづこよりいつのまに来りけん、白き猿の三尺ばかりなるが一疋来りて、かの貞宗の刀を奪ひ立ち去り、ゆくりなき事にて、あるじもやゝといひつゝ、おつとり刀にて追ひかけ出づるを、何事やらんと従者共もあるじのあとにつきて、走り出でつゝ追ひゆく程に、猿はそのほとりの山中に入りてゆくへを知らず。あるじはいかにともせんすべなさに、途中より立ち帰り、この事従者等をはじめとして、親しき者にも告げ知らせ、翌日大勢手配りして、かの山にわけ入り、奥深くたづねけるに、とある芝原の広らかなる処に、大きなる猿二三十疋まとゐして、その中央にかの白猿は、藤の蔓を帯にして、きのふ奪ひし一腰を帯び、外の猿どもと何事やらん談じゐる体《てい》なり。これを見るより十郎はじめ、従者も刀をぬきつれ切り入りければ、狼ども驚き、ことごとく逃げ去りけれども、白猿ばかりは、かの貞宗を抜きはなし、人々と戦ひけるうち、五六人手負ひたり。白猿の身にいさゝかも疵つかず。度々《たびたび》切りつくるといへども、さらに身に通らず。鉄砲だに通らねば、人々あぐみはてゝ見えたるに、白猿は猶山ふかく逃げ去りけり。それより山猟師共を語らひけるに、この猿たまたま見あたる時も候へども、中々鉄砲も通らずといへり。この後《のち》いかになりけん。今に手に入らざるよし、その翌年、かの地の者来りて語りしを思ひ出でて、けふの兎園の一くさにもと、記し出だすになん。<『道聴塗説廿編』に同様の文がある>
[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 白猿賊をなす事』を参照されたい。なお、宵曲は「柴田宵曲 妖異博物館 猿の刀・狸の刀」でも採り上げているので、そちらも、どうぞ。そこで、最後の宵曲の附記の「道聴塗説」の当該話も電子化してある。]