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2023/12/16

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「湯治場の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 湯治場の怪【とうじばのかい】 〔窓のすさみ〕厩橋君未だ姫路に移られざりしうち、その臣下に浅井亦六《またろく》と云ふ士、草津<群馬県吾妻郡草津町>に湯治《たうぢ》しけるに、綺麗なる家ありしかば、こゝに泊らんとて、その価《あたひ》を問ひしかば、亭主の云ふ、先づ御泊りありて、価は御心次第に給はるべしと答へしかば、それは性しき答へなり、始めに定めずしては泊りがたしと有りしに、さればこの屋は、止宿する人三日と逗留する事なく候ゆゑ、おのづから家居《いへゐ》も損せずして、他より綺麗なるやうに候、先づ御泊り候へ、いよいよ御泊り候はゞ竝《なみ》もあり候ほどに、その時申すべしといふ。亦六聞きて、それは何故《なにゆゑ》人の泊らざるにや、そのよしを聞かんと云ふ。亭主答へて、さればこの屋には、夜中怪しきものの出でて、人をたぶらかしぬるとて、客一二夜を過さずして立去り申すなり、我等が居申す所には異《ことな》る事もなく候へども、亭には右の如くといふ。亦六それこそわが好む所あり、旅中の慰みにせんとて、主従二人宿し、夜に入りければ、怪しき事のあるにやと、夜もすがら寝ねずして待ちしかども、何のよしもなし。明日《あす》亭主を呼びてその由をかたるに、それは君の勇気に恐れて出でざるにこそ、猶御ためしあれといふ。かくて昼は湯に入り、夜になれば座を構へ、今や今やと待ち明かし、居眠《ゐねむ》りしける時に、小児《せうに》と見えたるもの来りて、燈《ともしび》を消しけるを、抜打に切りければ、手ごたへしけるほどに、人を呼びて燈をともさせ見れば、何の形もなし。斯の如くなりし事二夜にして、三夜におよび、今までは脇指(わきざし)を用ひしゆゑ、短くして届かぬ事もやと思ひ、今夜は刀《かたな》を横たへ待ち居《ゐ》けるが、三四日が間《あひだ》昼は入湯し、夜は終夜《よもすがら》いねざるゆゑか、坐しながら宵より熟睡(うまい[やぶちゃん注:ママ。「うまゐ」が正しい。])しけるに、暁近きころ、何やらん燈を消して、膝よりはひかゝりて、額《ひたひ》の上にそよと当りけるに、目《め》覚《さま》ましながら横なぐり打ちければ、強く手ごたへして去りぬる程に、火を燈させて見れば、例の如く何の形もなかりしが、血やゝこぼれてありしほどに、夜明けて亭主を呼びて、これを見せ、血筋を尋ね見させけるに、庭にも血の跡よほどありしかば、所のもの三四人して、その筋を求め行きけるに、一里ばかり先の山の麗に小さき穴ありて、血《のり》を引きたれば、うがちて見るに、古き狸の横に切られて死《しし》て有りけり。それよりかの宿の怪は止みけり。この亦六は武術に達し、殊に居合すぐれて、ぜにを高く擲《はふ》らせ、落つる処を二刀づつ切り離しけるとぞ。

[やぶちゃん注:「窓のすさみ」松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(大正四(一九一五)年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。同書の「目錄」によれば、標題は『草津の化物宿屋』。幾つか、ルビがあるのを参考にした。この話、宵曲は「妖異博物館 消える灯」でも紹介している。

「厩橋君」播磨姫路藩初代藩主酒井忠恭(ただずみ 宝永七(一七一〇)年~安永元(一七七二)年)のことであろう。老中首座。上野(こうづけ)前橋藩第九代藩主であったが、後の寛延二(一七四九)年一月、遠国である播磨国姫路への転封とともに老中を辞任している。前橋藩は始めは「厩橋藩」と称した。

「二刀づつ」ちょっと意味が判らない。「ふたがたな」では如何にもおかしいし、「ふたみ」(二身)としても、「づつ」が、ややおかしいが、まあ、許せる。]

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