只野真葛 むかしばなし (83)
[やぶちゃん注:本篇は前の「81」と「82」の続きのコーダである。]
此殿、御一生、世を嘲弄被ㇾ遊て、御たのしみにのみ、過(すご)させ給ひし。御隱居後、
「人の墓所(《はか》しよ)は、いくら、結構をつくされても、見ぬ事にて、おもしろからず。」
とて、御存生中(ごぞんしやうちゆう)に、穴の中の石だゝみ・御石碑まで御好(おすき)にて御しつらひ、御㚑屋《みたまや》[やぶちゃん注:「㚑」は「靈」の異体字。]の中の戶扉に十六羅漢の高彫(たかぼり)あり。下繪は狩野榮川(かのうえいせん)に被二仰付一しに、書(かき)て奉らぬうちは、日々、御本(ごほん)供(とも)にて、御自身、せつき[やぶちゃん注:「節季」。]にいらせられし故、迷惑がりて、忽(たちまち)、認(したた)め、差上し、とぞ。
御墓所(おんぼしよ)、出來《でき》しより、年每の花盛(はなざかり)には、其穴の中へ被ㇾ爲ㇾ入(いらせられ)て、御覽被ㇾ遊、後(うしろ)の、ぬけ道を、かまへて、御殿山にて、賑々(にぎにぎ)しく御酒盛被ㇾ遊し、とぞ【御酒(ごしゆ)も、おほくは、めし上らず、人に飮せて、たのしませられし。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]
[やぶちゃん注:「狩野榮川」狩野典信(みちのぶ 享保一五(一七三〇)年~寛政二(一七九〇)年)。江戸中期の竹川町家、後に木挽町家狩野派第六代目の絵師。詳しい事績は当該ウィキを見られたい。
「御本供にて」よく判らないが、「この秋本殿が手本として、かの絵師から渡されていた下絵をともに持って」の意か。]