柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「土降る」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
土降る【つちふる】 〔北窻瑣談巻一〕天明癸卯《みづのとう》<三年>[やぶちゃん注:後に示す活字本では、ここに『仲秋(ちうしう)』と月(旧暦八月)が記されてある。]伏見へ行く事のありしに、四方(よも)打曇(うちくも)りて、さながら春の日の霞《かすみ》籠《こ》めたるごとくにて、それよりも甚だし。雨近きやと見れば、雲あるにはあらず。音羽山《おとはやま》三ツの峰も見えず。大仏殿の棟《むなぎ》も唯《ただ》思ひやるばかりにて、程近き梢《こづゑ》も少し黒みわたりたるばかりにて、松杉《まつすぎ》もわからねば、怪しう思ひつゝ肩輿《けんよ》のすだれ打あげて詠めゆくに、道行《みちゆく》人も怪しみて、土(つち)降(ふる)なりといひはやすに心付けば、げにさることなりけらしと思はる。その次の日、またその次の日も同じけはひにて、日輪も光なく、只月《つき》を服《の》む[やぶちゃん注:同前で『望(のぞ)む』となっている。]が如くなり。板敷などには、灰の積りたるやうにて払集《はらひあつ》むべし。猶しも人々に問ふに、土(つち)降(ふる)にてぞ有りける。三日ばかりして空晴れたり。
[やぶちゃん注:秋の偏西風によって齎された大陸からの黄砂であろう。
「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで当該箇所が視認出来る(左ページ後半)。丁寧に読みが振られているので、それらを積極的に採った。
「天明癸卯」「三年」『仲秋』とあるので、グレゴリオ暦では旧暦八月一日は一七八三年八月二十八日で、小の月であるから、八月二十九日は九月二十五日である。
「音羽山」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「三ツの峰」伏見稲荷大社の三ノ峰(下社神蹟)。
「大仏殿」例の方広寺大仏殿。豊臣家滅亡後も大仏は、そのまま残され、再び、地震で壊れたが、木造で作り直されるなどし、江戸時代には、「京の大仏」として庶民の観光地ともなっていたが、本話の十五年後の寛政一〇(一七九八)年の落雷により焼失した。現在は跡地は「大仏殿跡緑地公園」として残る。]
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