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2023/12/02

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の笑い」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の笑い【たぬきのわらい】 〔折々草冬の部〕世に化物の出でつなどいふこそ、彼もこれも人の物語るを耳伝(みみつて)に言へど、自《みづか》らその化物に遇ひつるといふ物語は、必ず無き事なり。物に書附け侍ることも、己れかゝる物を見しとて書きしは無し。さても有ればこそ世には言へ、玆《ここ》に自身(みづから)三人《みたり》四人まで居合ひて、その化物を見つるといふ物語、彼等が物語りしけるを聞きし。こは武蔵の国の事なり。秩父の国鉢形《はちがた》<埼玉県大里郡寄居町内>とふ所は、古き大城(おほき)の跡にて、今は民どもの住みて、家村立栄(たちさか)えけれど、古き堀の跡、築土(ついぢ)などの跡も残りて侍るに、おのづから狐狸(きつねたぬき)様《ざま》のものも、住み著きて侍るが多しといふ。さて師走ばかり、或寺に人々集ひて、夜籠りに連歌《つらねうた》詠みて遊び居《をり》たりけるに、其が友の中に口遅き男の侍りて、己《おのれ》がつぐべき際《きは》に当れば、つらつら考へ入りて順の遅くなるに、自然(おのづから)夜の更け渡りて、田舎なれば、饗応(あるじぶり)かやかく取りつくらふ事もせず、火灯《ともしび》の影も薄くなりおこし炭《ずみ》も大方に消えて、いと寒くなり増《まさ》るに、今夜《こよひ》は一折《ひとをり》にて止まむと言へど、夜籠りに詠むべしとて集ひたるに、朝烏《あさがらす》の鳴きて渡らむ迄は退《しぞ》キ侍らじと言ひしこる友どちらのありて、二のおもての折を詠み掛けて、又一順二順つぎゆくに、かの男の場に当りて考へ入りけるが、おもての見わたしよからずも、次句の意(こころ)ばへ如何など言ひ返されて、兎角に考へ煩ひて侍るに、口疾く言ひ続ぎて渡しける友垣は、眠《ねむた》がりて次方(つぎへ)[やぶちゃん注:ママ。後に示す「新日本古典文学大系」版では『次(ツギ)べ』である。]に立ち来《きたつ》て打眠るもあり。或ひは小便(ゆばり)に立ちなどして人気(ひとけ)も少《すくな》く、かの火桶どもは氷なす冷えかへりて、丑二つ<午前二時頃>ばかりにも侍らむ。[やぶちゃん注:ここは読点であるべきところである。]夜嵐いと寒く吹渡《ふきわた》る音のするに、彼が口遅く考へ煩ひたるを笑ふにや、何所《いづこ》ともなく老いたる声にて、はゝと笑ふ音す。初《はじめ》は友垣どもの次方《つぎべ》より笑ふなりと思ひ居《を》りしに、打重ねて後高(しりだか)にどよみ出でていと高く笑ふに、誰なりと見れども、皆打静まり居《をり》たれば、互《かたみ》に怪しと見るに、よく聞けば火桶を埋《う》めたる板敷の下にて笑ふなり。こは如何《いかに》と呆れてよく聞けば、人にもあらぬ声なるに、狸ならむ、狐ならむ、何にまれ性(さが)見顕《みあらは》さむとて、やをら寄りてその火桶を抜きて見れば、いと黒き獣《けもの》の、犬ばかりなるが飛上りて、先づ火をば吹消(ふきけ)ちて、仏《ほとけ》のおはします方へ指して、走り行きしと覚ゆるに、人皆《ひとみな》驚き騒ぎて、俄かに火を切出《きりだ》し、打殺《うちころ》すべき構へして、爪木様《つまきざま》の物を引提《ひきさ》げて、此方彼方(こなたかなた)と見るに、さる物は見えず、戸も締め垣[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版では『かぎ』(鍵)である。]も固めたれば、何方《いづべ》へ行かん所もなし。人々甲斐なくて、さまれ夜の明けば見定めんとて、跡をばよく差固め、火桶なども旧(もと)の如く取り入れて、火を照《てら》し立てて、皆一つ所に集(つど)ひ寄りてあるに、かの男は、化物に笑はれつる事のいと口惜しき、おのれ朝にならばこの報(むくい)せむ、友垣《ともがき》力を加へて給(た)べとて居《を》るに、夜も明け行けば、物の隈々《くまぐま》見え渡るを待ちて、かの仏のおはす辺《あたり》を隈々見れども更になし。さはこれも化(ばか)したるなめりと言ひて、戸も格子も押開きて侍るに、仏に供へたる木実《このみ》どもは何(いづ)れも残らで、花瓶などは打倒れ、食ひかけたりと見ゆる物は打乱れたるに、さは此所に侍りし物を、今少し求むべきになどいふを、仏も可笑《をか》しくや思《おぼ》しけむ、頻羅果(びんらか)の唇を打開きて、はゝと大声に笑ひ出で給ふに、人々昨夜(よべ)の笑ひよりは打驚きて、魂《たま》弱き男は逃げ走り、強きは打進みて見るに、いく度《たび》も大声にて笑ひ給へば、何にまれ化物《ばけもの》なり、御首(みぐし)にもせよ打扣(《うち》たた)きて見よとて、長き竿《さを》を取出《とうで》て打たむとすれば、御首の螺髪(らほつ)<仏像のちぢれた髪>はいと黒き獣《けもの》と変りて、飛駈《とびかけ》りて逃げ去りける。あはやといふ間に、何所《いづこ》へか紛れて失せぬ。内にさへあるを止め兼ねつるに、まして野をさして逃出でぬれば、何所《いづこ》求めん方便もなく、寺の主(あるじ)を始め、彼に欺《あざむ》かれたる事を腹悪《はらあ》しく仕《し》給へど、そゞろなる事なれば、唯言ひ喧(ののし)りて止みにき。さは螺髪に化けて居《をり》つる[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版ではここに句点を打つ。]毛の色黒かりしかば狐に非ず、狸なりけるよと利巧(さかしら)は言へど、いたく狸が戯れには逢ひけるなり。皆打寄りて、その跡を掻掃《かきはら》ふとて見れば、釈迦牟尼仏《さかむにぼとけ》のうづの大御手《おほみて》には、いと臭き糞《くぞ》まり置き、御頂(おほみいただき)にきすめる[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版では『藏』(きす)『める』とする。]玉は、小便《ゆばり》たれかけて置きつるに、うたて憎き奴かな、かの笑はれたる男は、とにかくにその事を言ひ立てられて、口遅き事の名ぐはしくなりしかば[やぶちゃん注:すっかり有名になってしまったので。]、自ら口惜しく思ひて、連歌詠む事は止みにけり。これはその席に居合せて、狸を駆り廻したる人々の言ひける程に、人伝《ひとづて》の空物語《そらものがたり》には侍らず。

[やぶちゃん注:「折々草」俳人・小説家・国学者にして絵師で、片歌を好み、その復興に努めた建部綾足(たけべあやたり 享保四(一七一九)年~安永三(一七七四)年:津軽弘前の人。本名は喜多村久域(ひさむら)。俳号は涼袋。画号は寒葉斎。賀茂真淵の門人。江戸で俳諧を業としたが、後、和歌に転じた。晩年は読本の作者となり、また文人画をよくした。読本「本朝水滸伝」・「西山物語」や、画集「寒葉斎画譜」などで知られる)の紀行・考証・記録・巷説などの様々な内容を持つ作品である。明和八(一七七一)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十一巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。標題は『○連歌よむを聞て笑らひしをいふ條』である。私は「新日本古典文学大系」版(一九九二年刊)で所持し、これは宵曲の見たものとは、版本が異なるらしく、各所に表記上の異同があるが、読みがかなりしっかりと附されてある(ひらがなになっている箇所も多い)ので、それを積極的に参考にして読みを振った。以下の注もそれ(高田衛先生校注)に多くを拠った。なお、宵曲の拠ったのは、リンク先のもので、「新日本古典文学大系」版(愛知県立大本)とは別底本(日本随筆大成刊行会蔵本)であることも判った。この怪談、冒頭の切り口上から、怪奇談に対しては強い懐疑主義者である建部綾足が、珍しく、実話と断定している点で、極めて興味深い怪奇実話である。

「秩父の国鉢形」「埼玉県大里郡寄居町内」「古き大城(おほき)の跡」現在の埼玉県大里郡寄居町(よりいまち)大字鉢形。中央に鉢形城跡を配した(グーグル・マップ・データ)。この城の築城は関東管領山内上杉氏家臣長尾景春と伝えられる。その後、小田原後北条氏期に北条氏邦によって整備拡張され、後北条の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線の防備を重要な役割として担った。後には下野国遠征の足掛かりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。参照した当該ウィキによれば、『跡地の周辺には殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える』とし、『関東地方に所在する戦国時代の城郭としては比較的きれいに残された城のひとつと』されるとある。また、『稀に見る頑強な要害だったとされ、武田信玄、上杉謙信、前田利家、上杉景勝らの数度の攻撃に耐え、小田原征伐では』三『万とも』五『万とも言われる北国軍に包囲されて』一『ヶ月に渡って籠城したのち』、『「開城」という形になった』。『城跡は西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村の搦手としている。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪などがあり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空堀も残存する』とあった。

「築土(ついぢ)」この場合は、前注にある土塁のこと。

「夜籠りに」夜を徹して。

「連歌」俳諧連歌。

「饗応(あるじぶり)かやかく取りつくらふ事もせず」ホストの主人が細やかな饗応をすることもなく。

「一折」俳諧連歌で、句を記す懐紙(鳥の子紙)の一枚目(下で折り、右手で紙縒りで閉じる)を指す。但しこれを、普通はここにあるような「一折」とは呼ばす、「初折」と称する。「百韻」では、八句を「初折の表」に、折った内部二面の裏面に当たる面である「初折」に十四句を清書する。同様のものを三セット後に加えて、「二の折」(「表」に十四句、「裏」に十四句)を記し(ここまでで「五十韻」)、次を「三の折」(「表」・「裏」の句数は「二の折」と同じ)とし、最後のものを「名残の折」と称し、「表」に十四句、「裏」に八句を記して、計百句となって完成するのが、基本の定式。別に三十六句からなる「歌仙」があり、一枚目を「初折」(「表」六句・「裏」十二句)、二枚目を「名残りの折」(「表」十二句・「裏」六句)を記す。「新日本古典文学大系」版の二ヶ所の脚注では、「歌仙」の解説を二ヶ所で載せておられるが、「歌仙」では「二の折」はないので、不審である。徹宵の俳諧連歌であり、後に「二のおもての折を詠み掛けて、又一順二順つぎゆくに」と続けている以上、これは「百韻」である。

「しこる」この場合は「爲凝(しこ)る」で、「一つの事に熱中する」の意。

「見わたし」俳諧連歌で、「一の折」の裏と「二の折」の表のように、懐紙を広げて見渡せる範囲の箇所を言う。ここは、その句群の創作上の意味の移り方の変遷の趣きが「よからず」なのである。こうした様を「見渡しの障り(さは)り」とも称する。

「次句の意(こころ)ばへ」前の句を受けて引き継いだ句の趣向。「付合(つけあひ)」の趣き・発想を言う。

「次方(つぎへ)」「次(ツギ)べ」「次の間」であろう。高田氏もそのように推定しておられる。

「氷なす」高田氏の注に、『氷のように、の意だが、「ひえ」にかかる擬古的修飾語として用いている』とある。

「後高(しりだか)に」だんだん後の方が大きく声高になってゆくさま。

「どよみ」「響(どよ)む」。平安末期頃までは「とよむ」で清音。「音が鳴り響く・響き渡る」、また、「多くの人が大声を上げて騒ぐ」の意。ここは前者。

「互に」「かたみに」は副詞で、同一の行動・心情を、二人以上の人間が、交互に、或いは、同時に相手に対してとる状態を表わす語。「たがいに・相互に」。

「火桶を埋めたる板敷」高田氏注に、『囲炉裏のように火鉢を床』下『んい仕かけてあるのをいう』とある。

「やをら」副詞で、下の動詞に係って、「おもむろに・悠然と」など、「その動作がゆったりとしているさまを表わす。「やをら步き始む」など。近現代では、逆に「急に」の意味で、「やおら走り始めた」などと使われるが、これは誤用である。

「仏のおはします方」寺の本堂。彼らが、集っていたのは、以下の描写から、本堂に付随する部屋であったのであろう。

「火を切出し」「切出し」は「火を鑽(き)り出し」。但し、行燈の火を紙燭(しそく)等に、まず、移したのであろう。

「爪木様」(つまきざま)「の物」高田氏の注に、『薪ざっぽう』(「薪雜把」(まきざっぱ・まきざっぽう:薪にするため、切ったり、割ったりした木切れ)『のごときもの。棒など』とある。

「何方《いづべ》へ」「何處(いづべ)へ」で、「どこへ」の意の万葉以来の古語。

「さまれ」副詞で「然(さも)あれ」の変化したもの。「ままよ・さもあらばあれ」。

「頻羅果(びんらか)」高田氏は『不詳。「檳榔果」のあて字か』とされるが、小学館「日本国語大辞典」に『仏語。頻婆』(びんば:現在はインドやタイ料理に使われる食用のウリ科トウガン連コッキニア属ヤサイカラスウリ Coccinia grandis に同定されている)『という植物の鮮紅色の果実。仏典で、や女子の唇、兜率天宮の荘厳など、紅色のものを形容するのに用いられる』(下線太字は私が附した)とあった。高田氏の示された「檳榔果」は単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu を指し(インドにも植生する)、この実は完熟すると深紅色に熟すが、私は上記のヤサイカラスウリの熟した、その紅色と採る

「そゞろなる事」ここは「原因や理由のわからない奇怪なこと」の意。

「利巧(さかしら)は言へど」知ったようなことを言うが。

「うづの大御手」高田氏の注に、『ここでは仏像の貴い手。「すめらわがうづの御手もちかきなでそ」(万葉集巻六)』とある。

「糞まり置き」糞をひってあり。ここは、確かに、狐や天狗らしくない、尾籠なところが、狸らしくはある。

「御頂(おほみいただき)」釈迦牟尼像の頭頂部を指す。「新日本古典文学大系」版本文では『御いなだき』とするが、同義。次注参照。

「きすめる」割注した通り、「新日本古典文学大系」版では『藏』(きす)『める』とあり、これは「蔵(おさ)める」の意で、高田氏の注に『仏像の頭頂部に置かれた玉をいう。「いなだきに蔵(をす)める玉は二つなし」(万葉集巻三)に拠る表現』とある。これは、四一二番歌で、

   *

   市原王(いちはらのおほきみ)の歌一首

 頂(いなだき)に藏(きす)める玉は二つ無し

          かにもかくにも君がまにまに

   *

この「市原王」(生没年未詳)天智天皇の曾孫安貴王の子で、奈良中期から末期にかけての人。万葉歌人。備中守・玄蕃頭・治部大輔などを歴任。天平宝字七(七六三)年に造東大寺司の長官となっており、正五位下に昇ったところまでは確認出来る(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。所持する「万葉集」(中西進訳注)の注に「頂に藏める玉」について、『仏典に、転輪王が大切にした「髻中』(けいちゆう)『の明洙」一つがあったという』とある。Sanukiyaichizo氏の「讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ」のこちらの冒頭に本歌をとられ、

   《引用開始》

 

 頭の髷(まげ)の中に大事に

 秘蔵してきた宝玉は

 ふたつとないがいずれにしても

 あなたの好きにしていいよ

 

※『新日本古典文学大系』脚注に〈市原王が…最愛の愛娘を信頼する若者に託したのであろう〉とある。

   《引用終了》

とあった。]

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