柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竹林院不明の間」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
竹林院不明の間【ちくりんいんあかずのま】 〔閑窻自語〕山門<延暦寺>に竹林院といふ坊あり。その内に児《ちご》がやといひて、開かざる間あり。宝暦七年[やぶちゃん注:一七五七年]法華会《ほつけゑ》の行事に、権右中弁敬明まかりて、かの坊に宿りけるに、家人をしてひそかにかの間を開きこゝろみしむ。うちは暗くて、何もなかりける。冷気身をおそふとおぼえて、たちまちかの身のわづらひつき、家に帰るとそのまゝに失せぬ。また弁もそれより心地たゞならずなやみて、その次のとし三月ばかりに身まかりぬ。それよりして行事弁登山するに、この坊に宿することを用ひずとなん。
[やぶちゃん注:「閑窻自語」(かんさうじご:歴史的仮名遣)は公卿柳原紀光(やなぎわらもとみつ 延享三(一七四六)年~寛政一二(一八〇〇)年)の随筆。権大納言光綱の子。初名は光房、出家して「暁寂」と号した。宝暦六(一七五六)年元服し、累進して安永四(一七七五)年、権大納言。順調な昇進を遂げたが、安永七年六月、事により、解官勅勘を被った。翌々月には許されたが、自ら官途を絶って、出仕することなく、亡父の遺志を継いで国史の編纂に力を尽くし、寛政一〇(一七九八)年まで前後二十二年間を要して「続史愚抄」禅全八十一冊を著した。国立国会図書館デジタルコレクションの『隨筆三十種』第五集(今泉定介・畠山健校訂編纂/明三〇(一八九七)年青山堂刊)のここで視認出来る。標題は『延暦寺竹林院有兒靈事』[やぶちゃん注:「暦」はママ。読みは「えんりやくじちくりんゐんちごのれいあること」であろう。]である。]
「竹林院」現存しない里坊(延暦寺の僧侶の隠居所)。現在は庭園を持つ旧竹林院としてある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「児がや」「兒(ちご)が家・屋(や)」か。
「権右中弁敬明」江戸中期の公卿勧修寺敬明(かじゅうじ:名は「としあき・たかあき・のりあき」か:元文五(一七四〇)年~ 宝暦八(一七五八)年)。勧修寺家第二十二代当主。]
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